見えない
森主の体が限界だったのだと、梓はじわじわと感じた。記憶も知識もないのに、無意識に彼を抱き返していると遅れて自覚する。彼の姿はどんどん消えて行って、最終的には霧のようにふわりと黒い何かだけが残った。
予測すらしていなかった事態に固まってしまっていたサトキは、森主が消えた後少し経ってから我に返る。走って梓のもとへ行き、彼が触れたとたんに彼女は座り込んだ。
「梓?」
彼女の目からはボロボロと涙があふれ出していた。それにサトキが妙に驚いてしまったため、頭痛が治まった馨も走ってくる。
「どうした?」
「梓が泣き出してる!」
「だからどうした」
「なんで?俺なんか悪いことした?」
「ひとまず落ち着け」
パコンと頭をたたかれたサトキは、やっぱり落ち着かなくて、仕方なく馨が梓の前にしゃがみこんだ。いつも精悍な面立ちで男勝りな梓だが、さすがにその泣き顔はちゃんとした少女だった。そのギャップに魅力より気まずさを覚えて、馨は視線をそらす。
「どうしたんだよ」
「・・・わからない」
「明日腫れるだろうな」と思わずにはいられないほど、梓はごしごしと強く目をこすった。わからないと言われてしまったら、さすがの馨も突っ込むことはできない。梓を挟んだ向こう側でバタバタと慌てるサトキをちらりと見て、頼るのをあきらめた。ただの困惑が沈黙を生む。太陽から光を貰った馨の髪が、森主の放っていた邪気をはらうように輝く。
問いただすのをあきらめた馨は、奥で走り回っているサトキを捕まえた。抱えるとバタバタと暴れたが、抑えられない力ではない。
「・・・っていうかお前、人型かと思ってたよ」
「『不在の呪い』の影響を受けてた時は、森主の姿だったんだけどな」
今のサトキの姿は、ただのイタチだった。泥色のイタチ。サトキは「種類」で言うなら「カマイタチ」と言われる妖怪、それが彼の正体だった。
そんなやり取りをしていると、梓がついに口を開いた。
「なんか、悪い」
「悪いと思ってるなら、理由だけでも教えてくれないかな?」
やさしい言葉とは裏腹に、馨の言い方は少しとげがあった。迷惑をかけたことに怒っているらしい。しかも、このよくわからない状況を説明できるのは梓だけなのだ。見えていてもどうもできなかった事態に、ふてくされているのかもしれない。でも、梓にも説明はできなかった。せめてもの言葉だけ告げる。
「説明は出来ない。出来ないけど…、なんか涙が出てきたんだ」
馨はそれに対して何を言うでもなく、再び梓の前にしゃがみこんだ。それからサトキを持っていない方の手で、彼女の頭をわしゃわしゃと撫でる。女の子を慰めるというよりもそれは、まるで子供をほめるときのようだ。こんなシーンに免疫のない馨は、少し考えた結果、シンプルな言葉をかける。