見えない
「彼女を人里へ必ず届けろ」
唖然としていた男は森主をにらみつけた。「言われなくとも」と、彼はつぶやく。二人のやり取りを聞いていながら、葵は思わず森主に向かって叫んだ。
「待って!何も、何も悪いことしてないでしょ?」
すると森主はにやりと笑った。あくどい、相手に嫌悪感を抱かせる笑顔だ。葵と祓い屋の背筋に悪寒が走る。ぶわっと、森主から気持ち悪い空気が流れて来た。それは二人を包みこんで、まるで生ぬるいお湯の中でおぼれているような錯覚にとらわれる。さらに下からつむじ風のようなものが起こり、祓い屋の男を包みこんだ。沸き起こる吐き気を必死に抑えながら、彼は印を結ぶ。しかし、それが結び終わる前に、その邪気は一瞬にして散った。
「何が・・・起きた?」
茫然とそうつぶやいた彼は、けれどもすぐに森主を見た。
「何をした!」
「悪いこと」と言うと同時に、木にボコッと穴が開く。まるで棺桶のようで、不気味だ。森主の言葉はかなり抽象的だったが、葵にはすぐにわかった。悪いことをしていないと言った彼女の言葉に対して、森主は今目の前で「悪いこと」をしたのだ。何を考えているのかはわからないが、ただ封印から逃れるつもりはないようだった。
「悪いこと」の一言で済ますわけにはいかない祓い屋は、葵に動かないように言いつけてから、森主に近づき、身動きの取れない彼の襟首をつかんだ。「何をしたか言え」
しかし森主は不敵な笑いを隠すことなく、彼の鋭い視線を真正面から受け止める。
「さあ?家に帰ってからわかることだ。いうなればただの呪いさ」
「呪い」という言葉を繰り返した祓い屋を見て、森主の表情が真面目なものへと変化する。あまりにも真面目な顔なので、祓い屋の男は言葉を続けられなくなった。
「俺の望みを妨げたから報いだ」
恐怖を覚えた祓い屋は、思わず放っておいても入れられる木の棺桶に、思わず彼を押しこんだ。同時に木が幻想的に光だし、封印の準備に入る。おびえる祓い屋の肩越しに、森主は葵を見た。葵は信じられないという顔をしている。いや、理解できない顔だろうか?間抜けな顔にも見えて、おかしくて笑いそうになる。
不意に、彼女が走りだした。ぽかんと固まる祓い屋を押しのけて、森主を正面から見つめる。彼に手を伸ばそうとするも、危険だと祓い屋に止められた。泣きそうな顔の彼女に、森主は笑う。
「俺は、ここを動かないから」
「本当に?」
「ああ、約束だ」
そう言って、彼はわずかにしか動かない手で、彼女に何かを投げた。それと同時に、木の棺桶のふたが閉まる。その周りを蔓がぐるぐると固め、ポウと光ってから姿を消した。
森主がいなくなったと同時に青空がのぞき、何もなかったかのように森を心地よい風が吹き抜けた。森主を飲み込んだ木も、緑の葉をキラキラと輝かせる。その光景があまりにもきれいで、葵は現実ではないように感じた。森主が最後に託したそれはペンダントで、トップにカプセルのようなものが入っている。中身は見えないが、彼が昔話していたことを思い出した。
『妖怪っていうのは、邪気で探し出せるものだ』
きっと、これには何らかの力がある。意味もなく、葵は確信した。