祭のあと
梶井基次郎の檸檬のような町の中を「かせきさいだぁ」の「じゃあ、夏なんで」を聞きながら歩いている。茹だるようなじめっとした暑さの中、
「ここで行き倒れになったら死体はカビ生えてチーズになるのだろう」
「生まれる前に死ぬことと、死んだあとに生まれることの違いってなんだろう」
「ああ、こんな時サイダーがあれば」
などと考えるとはなしに考えながら歩いている。
とりとめもなく湧き上がる鬱々とした妄想は、不景気のせいなのかもしれない、蝉の鳴き声がうるさいせいなのかも知れない。もしくは今日振り込む必要のある家賃が高過ぎるせいなのかも知れない。ああ、もう僕なんかはいっそのこと、この暑さで茹だりきって温野菜の添え物になってしまえば良いのだ。
その言葉が頭に浮かんだ時、温野菜の添え物として皿に供された僕を想像する。塩茹でにされた僕にナイフが迫る。ぞぶりぞぶりと僕の腹を切り裂き、ドロリドロリとした血が、僕という皮袋から溢れだして皿を満たす。血抜きせず塩茹でにしたため余計な水分が抜けて血がドロリとしているのだなと考える。その先、「マズい、マズい」と言いながら一口も食べられることなくフォークとナイフで弄ばれ、ズタズタになった僕が皿に散乱する。その皿を給仕が下げる。ゴミ箱へ捨てられる。やがてゴミ袋の中で惨めに腐敗していくのだ。そのような妄想を繰り広げて、昏い悦びにゾクゾクとする。ニヤニヤが止まらない。暑さなどはいつしか忘れてしまっていた。
歩みを進めると西日が赤く染める坂道にさしかかる。先程からの妄想が止まらずニヤニヤしながら坂の上を見上げると、狐のお面を頭につけた少年の姿が見える。少年は僕の姿を確認するとリコーダーをでたらめに吹きながら駆け下りてきた。
ああ、この少年は今ここで転ぶと喉の奥にリコーダーを突き立てて死んじゃうのだろうな。実際に少年が転んで笛が喉を突き破る惨劇を繰り返し思い浮かべている。
死を呼ぶ笛……
死を呼ぶ笛……
死を呼ぶ笛……
死んじゃうリコーダー♪
死んじゃうリコーダー♪♪
死んじゃうリコーダー♪♪♪
そのような言葉が頭をリズミカルに駆け回る。
死んじゃう笛♪
死んじゃう笛♪♪
死んじゃう笛♪♪♪
僕は今にも踊り出しそうだった。手と脚がリズムを刻みはじめるのを自覚して無理矢理に我に返る。一体なんだというのだ。もう夕刻だというのにまだ二日酔いのつもりかと。
頭痛も吐き気も昼過ぎには収まったはずなのに脳みそだけが、ひどい二日酔いのようだ。僕は平静さを取り戻そうとコメカミを押さえて深く息を吸い込む。
胃の悪い時に出る乾いた咳、臭い咳をしながら駆け寄ってくる少年を眺めている。少年は僕の前で立ち止まった。狐面を頭に付けた少年は肩で息をしながら段々と目を見開いていく。それでいて無表情を崩さずに僕の顔を覗き込む。目をこれ以上開くことが出来なくなったであろうところで少年はボソリと呟く。
「ねぇ、あんた、そっちで良かったの?」
それだけ言うと、リコーダーで「茶色の小瓶」を吹きながら行ってしまった。
僕はフラフラになりながら「ジンジャーエールが飲みたいなぁ」等と考えては坂を登っている。やっと、登りきったところに一軒屋が有った。古い木造建築の家屋。金田一耕輔が頭を掻きながら訪問すると惨劇が起こりそうな家だと言えば伝わるだろうか。そんな家だ。今、何番目の殺人が行なわれたところだろうね、などと考えながら家を眺めていると、生垣に覗き見に最適な隙間があることに気付いた。本当に覗けるのかを確認するだけだ、覗きたくて覗く訳ではない、少し確認したらすぐにこの場から離れるから、と、覗いてみる。
歳の頃で言えば20代後半位の浴衣を着た女が天狗のお面と戯れている。天狗の長い鼻をひたすら愛しそうに撫で回したり、しゃぶったり。時々甘い声で「ねぇ、あゝ、ねぇ」、「わたしカワイイ?」などと話しかけている。女はひとしきり肥大化した自らの自我と天狗のお面を弄んだあと、飽きてしまったのか唐突に放り投げて、そのまま寝そべってしまった。もう、これ以上面白いことは起きないだろう、と考えた僕は窃視も大概にして退散することにした。
矢先、
「なに見てんのさ!」
と、先程の甘い声とは打って変わって女特有の鋭い声を出す。「見付かったのか? どのように言い訳をすれば良い?」と咄嗟に考えて、手頃な言い訳を二つばかり思い付いたところで、恐る恐る女の方を見てみると、女の睨んでいる先がこちらではないことに気付く。女の視線を辿ると、そこには立派な松の庭木が有った。しばらく見ていると庭木の影から坊主頭の少年がビクビクした様子で現れた。少年は全裸で股間に天狗の面を付けただけの姿であった。
「ふーん、あんたかい。いつも見ているよねぇ? 姉ちゃんのこと好きなんだろう? 知っているよ。怒らないから出ておいで、悪くはしないからさ、ほら、隣に座りな」
女がそう言いながら自分の右隣をバンバン叩くと、少年はオドオドしながら女の隣に座った。
「麦茶飲むかい?」
少年は首を横に振る。
「ふーん、よく見ると可愛い顔してるじゃないか、ねぇ。ふーん」
女は左手で団扇を扇ぎながら、右手で浴衣の胸元に手を入れて、大袈裟に自分の乳首を弄りはじめる。あのはだけ具合で考えると少年からは女の胸がチラチラ見えていことだろう。事実少年は女の方をチラチラ伺いながらモゾモゾしている。しばらくすると、女の口がニヤリといやらしく歪んで、少年の股間につけている天狗の面の鼻をグっと掴んだ。
「ガキでも男なんだねぇ。立派になっているじゃないか。こんなになっちゃってカワイソっ。ハハハハッ、助平ッ!! ハハハハッ!」
とバカ笑いを始めた。少年は顔を真っ赤にして、元々隠れていた松の木の影に戻ってしまった。何やらゴソゴソと人には言えないことをはじめたようだ。僕は、このくだらない見世物にも見飽きたので先に進むことにした。
坂道を下る。脇で屋台を片付けている様子が見える。
坂を下りながら西日に照らされて続けている。赤い、赤い、赤い。蒸し暑くてどうにもならない。水分が不足していてクラクラする。せめてサイダーか、ジンジャーエールが必要だ。グッタリしながら歩いている。ゆっくりと歩いている。左脇を見ると神社が有った。ここの手洗い場ならば水を飲めるかも知れない。神社に立ち寄る。手洗い場で、手を洗い、顔を洗い、口を濯ぐと、生き返ったような気分になる。命を分けていただいた礼として一礼二拍手四拝を捧げ、境内で休ませてもらうことにした。境内の賽銭箱前に腰をかけて暫く空を眺めていると雲も無いのに雨が降りはじめた。雨はやがて強くなり、バケツを引っくり返したよう勢いになってきた。
「おいおい、どうすんだよ……」
僕は空を見ながら途方にくれて独り言を喋る。
地上に目線を戻すと、そこには浴衣を着た少女が立っていた。白地に朱色の柄を染めた品の良い浴衣だ。僕は慌てて、
「早くこっちに来なさい。濡れると冷えるから」
と、少女に声をかけるが。
「お水、気持良いよー」
こちらの話を聞いてくれる気配が無い。
「お水、気持ち良い、生き返るの」
「ここで行き倒れになったら死体はカビ生えてチーズになるのだろう」
「生まれる前に死ぬことと、死んだあとに生まれることの違いってなんだろう」
「ああ、こんな時サイダーがあれば」
などと考えるとはなしに考えながら歩いている。
とりとめもなく湧き上がる鬱々とした妄想は、不景気のせいなのかもしれない、蝉の鳴き声がうるさいせいなのかも知れない。もしくは今日振り込む必要のある家賃が高過ぎるせいなのかも知れない。ああ、もう僕なんかはいっそのこと、この暑さで茹だりきって温野菜の添え物になってしまえば良いのだ。
その言葉が頭に浮かんだ時、温野菜の添え物として皿に供された僕を想像する。塩茹でにされた僕にナイフが迫る。ぞぶりぞぶりと僕の腹を切り裂き、ドロリドロリとした血が、僕という皮袋から溢れだして皿を満たす。血抜きせず塩茹でにしたため余計な水分が抜けて血がドロリとしているのだなと考える。その先、「マズい、マズい」と言いながら一口も食べられることなくフォークとナイフで弄ばれ、ズタズタになった僕が皿に散乱する。その皿を給仕が下げる。ゴミ箱へ捨てられる。やがてゴミ袋の中で惨めに腐敗していくのだ。そのような妄想を繰り広げて、昏い悦びにゾクゾクとする。ニヤニヤが止まらない。暑さなどはいつしか忘れてしまっていた。
歩みを進めると西日が赤く染める坂道にさしかかる。先程からの妄想が止まらずニヤニヤしながら坂の上を見上げると、狐のお面を頭につけた少年の姿が見える。少年は僕の姿を確認するとリコーダーをでたらめに吹きながら駆け下りてきた。
ああ、この少年は今ここで転ぶと喉の奥にリコーダーを突き立てて死んじゃうのだろうな。実際に少年が転んで笛が喉を突き破る惨劇を繰り返し思い浮かべている。
死を呼ぶ笛……
死を呼ぶ笛……
死を呼ぶ笛……
死んじゃうリコーダー♪
死んじゃうリコーダー♪♪
死んじゃうリコーダー♪♪♪
そのような言葉が頭をリズミカルに駆け回る。
死んじゃう笛♪
死んじゃう笛♪♪
死んじゃう笛♪♪♪
僕は今にも踊り出しそうだった。手と脚がリズムを刻みはじめるのを自覚して無理矢理に我に返る。一体なんだというのだ。もう夕刻だというのにまだ二日酔いのつもりかと。
頭痛も吐き気も昼過ぎには収まったはずなのに脳みそだけが、ひどい二日酔いのようだ。僕は平静さを取り戻そうとコメカミを押さえて深く息を吸い込む。
胃の悪い時に出る乾いた咳、臭い咳をしながら駆け寄ってくる少年を眺めている。少年は僕の前で立ち止まった。狐面を頭に付けた少年は肩で息をしながら段々と目を見開いていく。それでいて無表情を崩さずに僕の顔を覗き込む。目をこれ以上開くことが出来なくなったであろうところで少年はボソリと呟く。
「ねぇ、あんた、そっちで良かったの?」
それだけ言うと、リコーダーで「茶色の小瓶」を吹きながら行ってしまった。
僕はフラフラになりながら「ジンジャーエールが飲みたいなぁ」等と考えては坂を登っている。やっと、登りきったところに一軒屋が有った。古い木造建築の家屋。金田一耕輔が頭を掻きながら訪問すると惨劇が起こりそうな家だと言えば伝わるだろうか。そんな家だ。今、何番目の殺人が行なわれたところだろうね、などと考えながら家を眺めていると、生垣に覗き見に最適な隙間があることに気付いた。本当に覗けるのかを確認するだけだ、覗きたくて覗く訳ではない、少し確認したらすぐにこの場から離れるから、と、覗いてみる。
歳の頃で言えば20代後半位の浴衣を着た女が天狗のお面と戯れている。天狗の長い鼻をひたすら愛しそうに撫で回したり、しゃぶったり。時々甘い声で「ねぇ、あゝ、ねぇ」、「わたしカワイイ?」などと話しかけている。女はひとしきり肥大化した自らの自我と天狗のお面を弄んだあと、飽きてしまったのか唐突に放り投げて、そのまま寝そべってしまった。もう、これ以上面白いことは起きないだろう、と考えた僕は窃視も大概にして退散することにした。
矢先、
「なに見てんのさ!」
と、先程の甘い声とは打って変わって女特有の鋭い声を出す。「見付かったのか? どのように言い訳をすれば良い?」と咄嗟に考えて、手頃な言い訳を二つばかり思い付いたところで、恐る恐る女の方を見てみると、女の睨んでいる先がこちらではないことに気付く。女の視線を辿ると、そこには立派な松の庭木が有った。しばらく見ていると庭木の影から坊主頭の少年がビクビクした様子で現れた。少年は全裸で股間に天狗の面を付けただけの姿であった。
「ふーん、あんたかい。いつも見ているよねぇ? 姉ちゃんのこと好きなんだろう? 知っているよ。怒らないから出ておいで、悪くはしないからさ、ほら、隣に座りな」
女がそう言いながら自分の右隣をバンバン叩くと、少年はオドオドしながら女の隣に座った。
「麦茶飲むかい?」
少年は首を横に振る。
「ふーん、よく見ると可愛い顔してるじゃないか、ねぇ。ふーん」
女は左手で団扇を扇ぎながら、右手で浴衣の胸元に手を入れて、大袈裟に自分の乳首を弄りはじめる。あのはだけ具合で考えると少年からは女の胸がチラチラ見えていことだろう。事実少年は女の方をチラチラ伺いながらモゾモゾしている。しばらくすると、女の口がニヤリといやらしく歪んで、少年の股間につけている天狗の面の鼻をグっと掴んだ。
「ガキでも男なんだねぇ。立派になっているじゃないか。こんなになっちゃってカワイソっ。ハハハハッ、助平ッ!! ハハハハッ!」
とバカ笑いを始めた。少年は顔を真っ赤にして、元々隠れていた松の木の影に戻ってしまった。何やらゴソゴソと人には言えないことをはじめたようだ。僕は、このくだらない見世物にも見飽きたので先に進むことにした。
坂道を下る。脇で屋台を片付けている様子が見える。
坂を下りながら西日に照らされて続けている。赤い、赤い、赤い。蒸し暑くてどうにもならない。水分が不足していてクラクラする。せめてサイダーか、ジンジャーエールが必要だ。グッタリしながら歩いている。ゆっくりと歩いている。左脇を見ると神社が有った。ここの手洗い場ならば水を飲めるかも知れない。神社に立ち寄る。手洗い場で、手を洗い、顔を洗い、口を濯ぐと、生き返ったような気分になる。命を分けていただいた礼として一礼二拍手四拝を捧げ、境内で休ませてもらうことにした。境内の賽銭箱前に腰をかけて暫く空を眺めていると雲も無いのに雨が降りはじめた。雨はやがて強くなり、バケツを引っくり返したよう勢いになってきた。
「おいおい、どうすんだよ……」
僕は空を見ながら途方にくれて独り言を喋る。
地上に目線を戻すと、そこには浴衣を着た少女が立っていた。白地に朱色の柄を染めた品の良い浴衣だ。僕は慌てて、
「早くこっちに来なさい。濡れると冷えるから」
と、少女に声をかけるが。
「お水、気持良いよー」
こちらの話を聞いてくれる気配が無い。
「お水、気持ち良い、生き返るの」