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Stern

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 時間はただ刻々と過ぎていき、誰も話すこともなく、目の前の赤いランプが消えることを望んでいた。
 午後十一時三十分。
 洸がここに運び込まれてから、三時間ほどが過ぎた。
 もう三時間なのか、まだ三時間なのか、その判別は私にはできなかった。時間の感覚が狂ってしまっているのかもしれない。
 でも、もっと重症なのはもちろん華月ちゃんだと思う。
 多分彼女の中の時間は止まってしまっている。私からの電話で事実を聞いたときから。
 その華月ちゃんは私達より少し離れたところに座っている。誰かの側につくこともせず、誰かが側につくこともせずに。
 実際、誰も側に行きたくないのだろう。触れたくないのだろう。どうなってしまうか分からないから。
 私も怖い。今の華月ちゃんに近づくのは。
 ふと、華月ちゃんが顔を上げたのが見えた。そして、直後に足音が聞こえてきた。二人分の足音。
 姿が見えるや否や、誰もが不快感をあらわにしたのが分かった。
 一人は制服に身を包んだ警察官。それを見れば、もう一人は誰か自ずと理解できる。
 洸を轢いた人間。
 私達とほとんど年は変わらない顔立ちで、沈痛そうな顔をしていた。
 彼は私達に深く礼をしてきた。
 その瞬間。
 私の背筋が凍りつきそうになった。
 華月ちゃんが立ち上がって、その男のほうに歩き出した。
 冷たい形相で。
 明らかに分かる、殺意。
 男も横にいた警察官も一歩も動けなかった。
 それは私達も同じで、ただ一歩一歩近づいていく音だけが響いた。
「・・・・・・・・・・華・・・・・・・月・・・・・・ちゃん」
 私は何とか総ての力をふりしぼって、華月ちゃんの前に立ちふさがって手首を?んだ。
 強い力。彼女はこんなに力があっただろうか。
 華月ちゃんの眼が私の視線とぶつかる。
 怖い。
 体中が震える。
 私を振り切ってそのまま男のほうへ向かっていきそうな、そんな気がした。
「・・・・・・やめて・・・・・・・・・お願い」
 舌が痺れる。うまく喋ることが出来ない。
 今すぐこの手を離して逃げ出したかった。 
「・・・・・・お願い」
 沈黙が流れる。幽かに聞こえるのは激しい雨の音だけ。まるで今の私たちの心の中を投影いるよう。
「お願い」
 私は言葉に力を込めた。私の精一杯の思いをのせて。
「・・・・・・・・・・・・ごめん・・・・・・・なさい」
 華月ちゃんの口から発せられたのは、小さな声。全身の力が抜けていったのが分かった。
「でも」
 その言葉とともに、憎しみを持って濁っていた眼から透明な涙がこぼれ、華月ちゃんは私にしがみついてきた。
「わたしは、なにもできなくて、くやしいの。苦しんでいるのに、なにもできないの。
 どうしたらいいの」 
 今まで抑えていた感情が一気に溢れ出た。
「どうしたらいいの!」
 さっきまでの静寂とは逆に今度は華月ちゃんの泣き喚く声が響いた。
「今は」
 私は華月ちゃんの頭を撫でた。洸がいつも華月ちゃんにしてあげるように、優しく、温かく。
「信じて」
 華月ちゃんの眼を見る。瞳の奥にあるのは強い意思。
「洸が華月ちゃんの隣に戻ってきてくれることを、信じて」
 少しでも救いになるように、私はその言葉を呪文のように唱えた。
「うん。しんじる」
 華月ちゃんは力強く頷いた。
 その表情はいつも通りのものになっていた。可愛くて、明るくて、そして強さを秘めた顔。さっきまでの崩れそうな心は微塵も存在していなかった。
 それは、これからどんな事が起きても、逃げないで立ち向かっていく、決意の表れにも見えた。
 まるで、どれほど辛いことが待ち受けているか、予見しているようだった。



 私は腕時計を見た。日付が変わる。
 洸が楽しみにしていた日が来る。
 私は鞄の中から一つの箱を取り出した。今日、洸が私を呼び出して買いにいったもの。
 洸の鞄の中に大事に入っていたもの。
 午前零時。
「華月ちゃん」
 私は横でずっと洸を信じて待ちつづけている華月ちゃんに話しかけた。
「お誕生日おめでとう」
 こんな時だからこそ、私は明るく、祝福の言葉を送った。
「え、あ、そうだっけ・・・・・・・・」
 華月ちゃんはあまりに突然のことに驚いて戸惑っていた。
「ええ、そう」
 私の言葉を聴いた周りの友人達も皆、華月ちゃんのところに集まって、おめでとう、と口々に言った。
「それで、プレゼントがあるの。洸からの」
 私は手に持っていた箱を華月ちゃんに差し出した。真っ青で小さな箱。一目で中身が分かる箱。
 箱を開ける。
 天井の明かりに反射して、淡く輝く銀。
 愛情の証。
 小さくて細い、華月ちゃんの左手の薬指のサイズにあわせた。
 指輪。
「洸はこの日のために、これを買うために華月ちゃんと一緒にいるのを我慢してバイトをしてたの。それで、日付が丁度変わったら、華月ちゃんのところに行って、これを渡すって、嬉しそうに言ってたの」
 私は自然と涙が出ていた。それは、華月ちゃんも同じ事だった。
「私からじゃ不満かもしれないけど、受け取って」
 私は指輪を取り出して、華月ちゃんの左手の薬指にはめようとした。
 心臓に直結する指に。
 でも、華月ちゃんは決してその指を差し出そうとはしなかった。
「美柴さん」
 真っ直ぐな瞳。は私が今手にしている指輪にも劣らない輝き。
「気持ちは、すごく、すごいうれしいんだけど、わたしはあの人がこうしてくれるのを待ちたいの。どんなにおそくなっても」
「そうね。それが一番いいわね。ごめんなさい、勝手なことをして」
「ううん。わたしのほうこそわがまま言ってごめんなさい。こんな大変なじょうきょうなのに、美柴さんはずーっとわたしのことを心配してくれてるのに」
「いいのよ。私が好きでやってるんだから。私の方こそ我侭よ。
 私は洸と華月ちゃんが幸せでい続けているのを見ていたいの。それがあなた達の幸せでもありわたしの幸せでもあるの。
 だから、華月ちゃんが苦しんでいる姿は見たくないの。ただそれだけの理由よ」
「ありがとう、美柴さん。わたし、美柴さんがいなかったら、こうしてここに来なかったと思うし、あの言葉がなかったら、立ち向かわなかったと思う。本当にかんしゃしてます。   だから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「え?」
 その時、赤いランプが消えたのが目に入った。
 救急治療室の扉が開く。
 中から手術衣を身に纏った男が出てくる。
 沈痛そうな表情。それで誰もが絶望を悟る。
「残念ですが・・・・・・・・・・・」
 私には彼の言葉は聞こえなかった。
 華月ちゃんの言葉が耳から離れなかったせいで・・・・・・・・・・。  







作品名:Stern 作家名:砌 朱依