彼方へ…
「夜中に診てくれる産婦人科なんて判らない。」
と言いながら、とりあえず119番に電話した。
私は救急車で病院に運ばれた。私はやはり妊娠していて、子供は非常に危ない状態。
「間一髪でしたよ。朝まで我慢していたら、助かってなかったでしょうね。」
そう、医師は言っていた。私はその場で絶対安静を命じられ、2週間入院した。
しかし、退院してからは、そんなことがウソだったかのように、新しい命はすくすくと育っていった。
そして、7ヶ月に入った頃…
「名前、何にしようか。」
夫が言った。
「う〜ん、護(まもる)真実(まこと)雅之(まさゆき)とかどう?」
「悪くはないけど、それって男名前ばっかりだな。お前、男が欲しいの?俺はお前に似た女の子が良いな。」
私が男の子の名前ばかり口にするので、夫は口を少し尖らせながらそう言った。
「だって、あの子がマー君って言ったんだもの。絶対に男の子だから。」
「あの子って誰さ。」
夫は私が自分のお腹を撫でながら返した言葉に首を傾げていた。
「え?本当なら一緒に生まれてくるはずだった、この子の片割れ、双子の弟?兄になるのかしら…そんなのどっちでも良いけど。」
でも、続けて私がそう言うと、夫は息を呑んで急に顔色を変えた。
「…お前、それ知ってたのか…」
それから夫はつぶやくようにそう言った。
あの時、私が病室に運ばれた後、夫は1人残されて、子供が本当は双子で1人は既に流れてしまっている事を告げられたという。その時点で私がそれを知ると、助かった子供までまた危なくなるかもしれないと、医師は夫にだけ説明したという。
夫は、私が言い出すまで元気になってもそのことを私に切り出せずにいた。
「あの子が知らせてくれなければ、『今なら間に合うんだ、ママ』って言ってくれなければ…だから、この子は男の子だし、マー君じゃなきゃダメなのよ。」
そして、私たちは生まれてきた子供に真実と名づけた。
私は、誰にも言わずにあの子に彼方と名づけた。
私は時々鏡に映る真実の中に、真実と一緒に成長する彼方を見つける。
夫にはそれは悲しすぎると思うし、真実にはそれは重過ぎる。
だから、それは私だけの楽しみ。鏡の中に暮らす『もう1人の息子』の成長を確認するのだ。
そして、私は鏡に向かってそっとありがとうと言う。