訴えかける老人
あれが、私の前に現れたのは去年の3月、
私がまだ会社に勤めていた頃のことでした。
私は、その日の仕事を全て片付け、いつものように会社から自宅に
早々と足を進めていました。
20分ほど歩いたところでしょうか、もう家まであと数歩という所まで
来ていたのですが、いや、正しく表現するならば、
家があるべき地点と言った方がいいでしょうか。
その地点の、どこを見ても、私の家がまったく見当たらないのです。
あまりにも突然のことでした。
そして、私の家がない代わりに、そこには名も知らぬ他人の家が佇んでいました。
そんなばかな。だって、さっきの公園を過ぎて、あの角を曲がって、すると
するとそこにあるはずなんだ。
そう、ここには我が家があるべきなんだ。
私は、何が起こったのかわかりませんでした。
何かが起こったというより、なにか、ひどい仕打ちを受けたような気分になりました。
ただひとつ、何かの間違いではないことだけを直感しました。
残念なことに、自分の家がないこと以外、隣の家や、道路の形状、その景色のすべてが、
私の記憶の中の景色と完全に一致していました。違うのは、そう、目の前にある一軒の家だけです。
何度見ても、そこあるのは二階建ての、青い屋根の家であり、
本来あるべきはずの、一階建ての、赤い屋根の家はどこにも見当たりません。
青い屋根の家に対して、どんな感情を抱けば良いのか、私にはわかりませんでした。
そして私は、この耐え難い不協和に対して、瞬時に、脆い仮説を構築しました。
ここは、私の家の近所に限りなくそっくりな、まったく別の場所。
つまり、どこかで道を間違えただけであり、本当の我が家は別の場所に存在する。
私は、自身のその考えを疑うことを放棄し、
それよりもただ、その説を妄信し、歩き続けることで不安から逃れようとしました。
ひたすらに歩き続けました。
足を止めたときに、先ほどの不安定な仮説が崩れ落ちるような、
そんな予感がして、そのうち、足を止めるという選択ができなくなっていきました。
暫く探していると私は、ここが私の住んでいる地域ですらないことに気がつきました。
いや、それどころか、その時私が居た場所は、市街地ですらなかったのです。
はっとして、漸く足を止めることができました。
私は森の中に居ました。森の中で、雨に濡れた土を踏みしめていました。