傀儡師紫苑アナザー
一方ゾーラはキラのすぐ横で、魔法陣を描き再び真珠姫を招喚していた。
「今度こそ私をがっかりさせないで欲しい」
「わかっておる、手はず通り妾を瑠璃姫の肉体に移すのじゃ」
揺らめく影のような真珠姫のすぐ近くには、気を失って縛られている瑠璃の姿があった。
現在肉体を失い魂だけの真珠姫は、瑠璃の肉体を得ることにより、生前の力を取り戻すばかりか、瑠璃の力をも吸収する魂胆だった。
迫る魔の手に気付いたのか、今まで気を失っていた瑠璃が突然目を覚ました。
「ここは……真珠姫!?」
目を開けたすぐ先に般若の形相をした真珠姫の顔があった。
横を見るとゾーラやキラの姿もある。
縛られている瑠璃は首から上しか動かすことができない。絶体絶命とも言うべき状況に追い込まれていた。
真珠姫は邪悪な笑みを浮かべていた。
「今からお主の肉体をもらうぞ」
その言葉に瑠璃は驚きを隠せなかった。
「私の肉体を……肉体を手に入れてなにをする気なのです!」
「ほほほっ知れたこと。龍神を思うが侭に操るためじゃ」
「まだそんなことを……龍神の力を甘く見てはいけません」
「お主こそ妾を甘く見てはおらぬか?」
炎が燃え上がるように真珠姫の影が揺れ、風のように翔ける影は瑠璃の背後に回った。
そして、瑠璃の足元に描かれた魔法陣が淡く輝きはじめる。
ゾーラも瑠璃の背後に立っていた。
「では行くぞ……ハッ!」
ゾーラは掌底で真珠姫を突き飛ばし、瑠璃の肉体へと押し込めた。
大きく肩を揺らした瑠璃。
急に瑠璃は縛られたままの身体で地面を転がり回った。
肉体の中で魂と魂が闘っているのだ。
苦悶する瑠璃の顔の筋肉が動いた。皮が動き、肉が動き、骨格が動いている。
「大人しく消えるのじゃ!」
瑠璃の口から真珠姫の声が発せられた。
その間も瑠璃の顔は変化を続け、瑠璃と真珠姫が混ざったような顔に変化していた。
「やめ…て……ください……」
弱々しい瑠璃の声が零れた。
「ほほほほほっ、そのまま消えてしまえ!」
顔は真珠姫の相が強くなっていた。
「ゾーラ、縄を解け」
真珠姫に命令されゾーラは縄をナイフで切った。
立ち上がった真珠姫の身体は、瑠璃とは比べ物にならないほど豊満で妖しかった。
しかし、まだ微かに瑠璃の面影がある。
ゾーラはそれに気付いていた。
「まだ完全に肉体を乗っ取っていないようだな。あの女の相が残っている」
「案ずるな、この躰の支配者は妾じゃ。彼奴にもう力などない」
「ならばいいが……ではさっそく龍神を呼ぶとしよう」
ゾーラは蒼く拳ほどの大きさの玉を懐から取り出し、それは真珠姫の掌に握らせた。この玉が龍封玉だった。
龍封玉は龍神を封じた玉。けれど、それ自体に封印しているわけではない。この玉は一種の鍵であり、制御装置でもあるのだ。
人間には発音できないような音で真珠姫は呪文を唱えた。
これとほぼ同時に、大津波を起こして移動する巨大生物によって、東京湾アクアラインの海底トンネルが上から押しつぶされて破壊された。
真珠姫が頭を抱えた。
「無理じゃな、水深が低すぎて泳いでくることができん」
東京湾の水深は30メートルにも満たない。アクアラインの手前までは水深もあり、相模湾から入ってくることができたが、これ以上は泳いで入って来られない。
自衛隊のヘリが海面から巨体をビデオカメラで撮影していた。
その全長は世界最大の豪華客船に迫るほどで、300メートルを越えているのではないかと思われる。それに伴い全高も相当なもので、アクアラインを腹で潰して海面から躰が半分以上出てしまっている。
カメラをズームするとその躰が、岩のような鱗に覆われていることがわかった。まるで岩に覆われた蛇だ。
龍神は蛇のように這いながら進みはじめた。
そのスピードは信じられないほど速く、津波を起こし海底を削って舞浜に向かって進んでいた。
ホテルの屋上でゾーラはまだ肉眼では見えぬ龍神の方角を見ていた。
「あと10分ほどか……泳げればもっと早かったのだがな」
双眼鏡を覗いているキラも愚痴た。
「のんびり這ってなんか来たら、テーマパークで遊んでる奴等に逃げる隙を与えちまうもんな」
この時点では、まだテーマパークに避難勧告は出ていなかった。
龍封玉を胸で抱く真珠姫は目を瞑って呪文を唱え続けている。全神経を集中させて、滝のような汗を噴いている。
ゾーラは何者かの気配を感じて振り向いた。
「誰かね?」
口に巻いたマフラーを強風に靡かせながら、シルエットは凛とその場に立っていた。
「……瑠璃と龍封玉を返して貰おう」
「残念ながら瑠璃と言う海人の肉体は真珠姫に奪われてしまった」
ゾーラの言葉に紫苑は視線を真珠姫に動かした。その姿は以前、幼き愁斗が見たものとは異質だった。言われれば真珠姫とわかるが、どこか違う。
「真珠姫であって真珠姫ではないな」
まだ瑠璃の魂がそこにあるのなら、元の姿に戻すことは可能かもしれない。
以前、龍神を操れるのは海の民だけだと聞いた。真珠姫が持っている蒼い玉が龍封玉であり、真珠姫が龍神を操ろうとしているのは明白だった。
問題はそれをどうやって阻止するかだ。
紫苑は戦闘の構えを取った。
まずは周りを片付けるしかあるまい。
紫苑は地面を蹴り上げ、氣を練り上げて妖糸を放った。まず倒すはゾーラ。
目を見開いたゾーラは常人ではほぼ不可視の糸を見切った。コートを巻くって腰に下げていたチェーンを握り放つ。
銀色のチェーンは鞭のように紫苑の妖糸を弾いた。
双眼鏡で海を見ていたキラは、そのレンズを海から屋上に向け、逆に双眼鏡が邪魔なことに気付いて肉眼で見た。
「ヤベッぜんぜん気づかなかった。いつ来てたんだよ?」
紫苑の登場にまったく気付いていなかったらしい。
こちらに顔を向けるキラにゾーラは注意を促す。
「キラ後ろに気を付けろ」
「はぁ?」
後ろはすぐに空中だ。
押柄な感じでキラが後ろを振り向くと、その瞳に巨大な魔鳥の影が映った。
「ごきげんよう」
手首に黒い翼をつけている彪彦は空を飛び、空中から回し蹴りを放ってキラの顔面に喰らわせた。
「ガァッ!」
アヒルが絞められたような声を出してキラがぶっ飛んだ。
彪彦はひょいと屋上に降り立ち、手に装着されていた大きな翼は、そのまま嘴のような鉤爪に変化した。
地面に肩膝をついてキラは口を手の甲で拭った。
「クソッタレ、よくもやったな!」
「わたくしが降りるのに邪魔でしたので、思わず蹴り飛ばしてしまっただけですよ」
「くだらねージョーダン言いやがって、死ね!」
パーカーのポケットからヨーヨーを取り出してキラが彪彦に襲い掛かる。
一方、紫苑とゾーラの戦いも続いていた。
薄闇の空の下、戦いはまだまだこれからだった。
-7-
彪彦に続いて亜季菜と伊瀬も屋上に駆けつけた。
「伊瀬クン、あの蒼い玉がアレじゃないの?」
「かもしれません」
真珠姫の持つ蒼い玉に2人の視線は注がれた。
龍神を操ることに神経を集中している真珠姫は、周りの様子が見えていない。今が龍封玉を奪うチャンスかもしれない。
伊瀬が走った。
作品名:傀儡師紫苑アナザー 作家名:秋月あきら(秋月瑛)