傀儡師紫苑アナザー
「我ガ領土ヲ侵シタノミナラズ、愛シイ我ガ子ヲ殺シタ罪、我ラガ贄トナリ償エ!」
巨大蜘蛛は尻からのみならず、全身から粘糸を放出させた。
投げ網のように宙で広がる粘糸に向かって愁斗の妖糸が放たれる。だが次の瞬間、愁斗の眼が見開かれた。
「まさか!?」
放った妖糸は蜘蛛の巣を切ることができず、粘着性のある蜘蛛の糸に捕らえられてしまったのだ。
そして、粘糸は愁斗の放った妖糸だけではなく、愁斗の身体をも捕らえてしまったのだ。
簀巻き状態にされてしまった愁斗に巨大蜘蛛が飛び掛かるその牙からは猛毒が分泌され、ひと噛みされれば、全身は痙攣を起こし心臓麻痺を引き起こしまう。
「愁斗!」
亜季菜の叫びが木霊した。
巨大蜘蛛によって引きちぎられる肉。傷口から紅い血が噴出し地面を染めた。
――刹那。
一筋の煌きが巨大蜘蛛の身体を引き裂いた。
それはかろうじて動く指先で放った愁斗の一撃であった。
着物を紅く染め、お紗代は簀巻きになって地面に寝転ぶ愁斗の上に覆いかぶさった。お紗代の左肩は喰い千切られ、腕は地面の上に転がっていた。
「何故ダ、何故ダ!!」
巨大蜘蛛はお紗代を睨付けながら命を引き取った。そう、巨大蜘蛛が牙をかけた相手は、愁斗ではなく、お紗代だったのだ。
「嗚呼、私はなんてことを……。敵を助けたと知れれば、私は未来永劫同族に呪われることでしょう」
生き絶え絶えになりながら、お紗代は口から分泌液を出して、愁斗の身体に巻きついた粘液を溶解していった。
愁斗が自らの身動きができるようになった時、蒼白い顔をしたお紗代は愁斗の胸に顔を埋めた。
「できれば、貴方様のお傍にいたかった。同じ種族に生まれたかった」
自分の胸の中で眠りの落ちようとする娘に、美しき顔を持つ堕天使が囁きかけた。
「僕の傀儡になれば、仮初の永久をあげよう」
お紗代は愁斗の言葉の意味を理解できなかった。それにも関わらず、お紗代は魔法にかかってしまったように、目の前の美しい悪魔に魅了され、無言のまま頷いてしまったのだ。
儚く散ろうとしている娘の頷きに、愁斗は静かな微笑で迎えた。
「禁じられた契約を交わそう」
まだ息のあるお紗代の胸に煌きが放たれ鮮血を噴いた。
剥き出しになった心臓が弱々しく鼓動を打っている。なんと、愁斗のそこに手を突き入れたのだ。
「君のアニマは僕の糸によって束縛される」
魔導の力によって細工されるお紗代の心臓。
生物から物へ造り変えられる躰。
仮初の永久を与えられ、開かれた胸の扉は妖糸にとって縫合された。
蒼白い顔がほのかに紅くなっていく。
そして、愁斗はお紗代の胸の中心に契りを交わした証拠として秘密の印を残した。
「同族に呪われるより、僕と共にある方が何倍も苦しいだろう。しかし、君が選んだ道だ」
「貴方様と入られるなら」
「さあ、闇の中にお入り」
愁斗の手から煌きは放たれ、宙に一筋の傷をつくった。
闇色の傷は唸り声をあげながら広がっていく。
鎮魂歌[レイクエム]がどこからか聞こえた。いや、違う。それは鎮魂歌などではない。
歌声は悲鳴のようで、泣き声のようで、呻き声のようで、どれも苦痛に満ちている
目を閉じならが、その場にしゃがみ込んでしまっている亜季菜は、両耳を強く強く塞いだ。
愁斗の胸からお紗代の身体が離された。
「さあ、連れて行くがいい」
裂けた空間から〈闇〉が泣きながら飛び出した。
嗚呼、お紗代の白く美しい肌を、〈闇〉が犯していくではないか。
〈闇〉がお紗代の腕を掴み、細い脚を掴み、豊かな胸を掴んだ。
全身を〈闇〉に呑まれたお紗代が開かれた門[ゲート]の中に引きずり込まれていく。
愁斗に召喚[コール]されるまで、蜘蛛の化身お紗代はあの世界で過ごさなければいけない。
いつか愁斗に召喚[コール]されるまで……。
しゃがみ込んで震えている亜季菜に、繊手が優しく差し伸べられた。
「亜季菜さん、僕らの世界に帰りましょう」
亜季菜が顔を上げるまで、少し時間があった。
けれど、亜季菜はしっかりと愁斗の手を握ったのだった。
奇怪な紋様が空に描かれ、〈それ〉が呻き声をあげた。
愁斗の作った網目の魔方陣は、これを呼び出すための?巣?だ。
〈それ〉は汚らしい嗚咽を漏らし、この世に巨大な蜘蛛の怪物を生み出す。
傀儡として与えられた運命[サダメ]。
CASE03(完)
作品名:傀儡師紫苑アナザー 作家名:秋月あきら(秋月瑛)