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クレイジィ ライフ

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episode4 混乱よ こんにちは




見慣れたアパートの風景に、見慣れない人物が侵入していた。
侵入。そんなどこか除外したくなるような、線引きをしたくなるような言葉をつかって、透は侵入者を表現した。

降りしきる雨は霧状に変わっており、傘を叩く雨音は皆無に等しい。
古びたアパートの扉の前で、フードを目深く被った青年が壁にもたれながら佇んでいる。離れた場所からでもわかるくらい底が高いブーツを履いている。両手をポケットに突っ込んで、気怠げに立っていた人物はこちらに気づき、気味が悪いくらい唇を吊り上げた。

「ハァイ」

指先をぴょこぴょことコミカルに動かす相手に透はため息をついた。


「おまえ帰ってくるの遅いよ。バイト先から直帰すれば一時間かからないだろう」
何故数日前まで顔すら知らなかった相手にそんなことを指摘されなければならないのかと透は思った。
「買い物にいかないと食材がもうないんだよ」
「そうか。それは重要だ。人間寝る食うヤルは本能だからな」
カイナは首を傾けて、片眼を細めて見せた。
「でも絶対買い忘れしているだろ、おまえ」
「・・・ドレッシング、買い忘れた」
「そりゃ味気ないな。人のこと待たせて買い物なんか行くからだよ」
「突然押しかけてくる相手に、そんなことを気にしないといけないのか」
「気にする気にしないはおまえが判断すればいいさ」
透はもう一度この招かれざる客を見た。
格好を黒に統一したカイナは透よりもやや背が低い。しかし今はアパートの黒ずんだ壁にもたれているので、立ち上がればあまり変わらないかもしれない。殺し屋という仰々しい職業を口にしながら、今の彼からは初めて会った時に向けられた威圧感を感じられなかった。むしろ眠たげな瞳には疲労が滲んでいるが、それを隠す様子もない。
「入れてくれないの」
いつまでも扉を開けない透にカイナは聞く。唇が軽薄に笑う。
「前はあんなえっちぃことしたくせに」
「用があるなら早く言ってくれ」
「俺は別にいいんだけど」
「なんだ」
「いや、おまえがいいならいいんだけど。前さ、おまえとばったり雨の中会ったじゃん。その前も会ったのは夜明け前の時間だったろう」
「それがどうした」
「おまえ、夜這いしにいっているのか」
透は鍵を差し込んで扉を開けた。カイナは肩をすくめた。
「だから言ったのに」
「前触れもなく人の痴情を話すな」
「一応匂わせたつもりだったんだけど。まあいいか、立ち話もなんだし。お邪魔しまーす」
「できればお邪魔しないでくれ」
「固いこというなよ」
何故か上機嫌で言って、カイナは先に部屋の中に入っていった。狭いアパートの入り口で素早く靴ひもを解き、中に上がっていく。半分呆れながら透は買ってきたものをテーブルの上に置いた。その間にカイナはコートを脱いで勝手にハンガーでかけた。
「おい」
「だってこれ高かったんだよ。変な型つくのいやなんだ」
真っ当なことを言われて引き下がりかけたが、透はやっぱり可笑しいと気が付いた。だが指摘するのが面倒臭くて結局冷蔵庫を開けて、食材を入れる作業に戻った。衣を寛がせたカイナはベッドの上に座った。
「おい」
「だってこの部屋ソファないじゃん」
「部屋を見ろ。置く場所ないだろ。ソファがなくても床があるだろ」
カイナはごろりと横になった。
「硬いからやだ」
首根っこ捕まえて部屋から放り出してやろうと立ち上がると、カイナは可笑しそうに笑い始めた。
「うん。それがフツーの反応だよ。前はなんであんなことしたんだ」
胸を突かれた思いがして、透は口ごもる。
「俺が世話を焼くのは、死にかけの酔っ払いに対してだけだ」
「そっか」
急な侵入者に気を取られていて、透は部屋の照明をつけ忘れていた。アパートのすぐ傍には青白い街灯があるので、部屋は薄ぼんやりとした明かりに包まれている。
カイナは身を起こした。一瞬で身を起こす動きに無駄がない。透はカイナの横顔を見る。初めて出会った時に向けられた狂気に満ちた微笑み。子供っぽい狂人というのはこんな感じだろうかというのが、透が抱いた第一印象だった。出会った殺人鬼は静寂の中、ゆっくりと言う。
「花のような匂いがしたんだ。ここで目ぇ覚ました時。初めはどっかから花の香りがしているのかなと思ったんだが、おまえからすっごくその匂いがして、ああ、これは相手の体臭が移ったんじゃないかって思ったんだ」
暗い碧眼が透を見つめる。
「ねえ、その人のこと、好き?」
透には分からなかった。もしそうだとしても、どうして目の前の相手にそんなことを聞かれないといけないのか。応えなければならないのか。カイナの表情が真面目であればあるほど、滑稽に思えた。
「どうしてそんなことを聞く」
「いいだろ。答えはわかりきっているんだから」
そう、わかりきっている。透には話が見えない。目の前の相手が言うことが分からない。行動もなにもかもが謎だ。透は首筋を撫でた後、抑揚のない声でいう。
「愛している、心底」
「ん。そんな感じ」
カイナは目を閉じて、膝を抱えた。殊更ゆっくりと動くメトロノームのように身体を揺らす。闖入者の口元に卑下た笑みが戻ってくる。
「でーもさぁ、アンタって不思議なんだよなぁ。前にオレに触ったでしょう。その時、逆算すればアンタ、ヤったばっかりだった筈だ。確かにアンタから疲労の気配を感じた」
「それはおまえもだろう」
透のささやかな反撃に、カイナの瞳が怒りに染まった。吊り上がった鋭い視線をこちらに向ける。吐き捨てるように鼻を鳴らし、カイナは怒りと場の雰囲気を一蹴する。
「アンタは一種の空気を纏っていたって話なんだよ、チャカすな」
「空気」
「そ。疲労だけじゃない。息を潜めて身を隠している肉食獣みたいな感じ?」
「なんだそれ。俺が公共の場で狩りでもしているっていうのか」
「ちーがーう。おまえちょっと黙っていろ。息殺してさ、必死に押し殺している感じ。感情とか、衝動とか。まあ簡単にいえば、性欲?」
エロ本みて喜ぶ中学生のような明るさで、ケタケタと笑う。
透は半眼になる。酔っ払い相手並みに面倒臭くなってきた。
「好きな人とエッチできているんでしょう。いいねー、オレみたいな奴からみたらとても羨ましい。でもアンタ、それに満足していない。違うか?」
「さあな」
透は心底楽しそうに語るカイナを視界の端に追いやる。カイナは話を続ける。
「だから前の時、あんな触り方したんじゃない? こっちが鳥肌立てて逃げ出したくなるようなねちっこい触り方」
「随分感じていたみたいだが」
「まあね」
爬虫類を思わせる瞳でカイナは嗤った。透の背筋が悟られない程度に凍る。しかし表情には出さない。透はわざとため息をつく。
「最初からの疑問をもう一度だけ聞く。応えない場合は叩きだす」
意味がないことは承知の上で強く言い切る。カイナはわざとらしく小首を傾げた。
「なんで、オレがまたアンタの前に現れて、こんなこと色々くっちゃべっているか、だろう」
床を蹴る軽い音。一瞬で距離を詰めたカイナに透は心臓を握りこまれた。文字通り、カイナのナイフで一刺しされれば、一瞬で死に至る距離。透は息を飲むが、違和感は拭えない。こちらを見つめる瞳の色。腐り落ちる前の果実のように生々しく濡れている。人を死に至らしめる指先が両頬をなぞる。
作品名:クレイジィ ライフ 作家名:ヨル