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ゆうかのエッセイ集「みつめて…」

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懐かしい歌を、仕事帰りの路地を歩いていて ふと思い出しました。

♪♪時には〜母のない子のように〜黙って〜海をみつめていたい〔中略〕
だけど〜心はすぐ変わる〜母のない子になったなら 誰にも愛を話せない〜
                〔カルメン・マキ〕

親から生まれたこの命、決して無駄にしてはいけないと、当然のように誰もが知ってるはず。
なのに 悲しい出来事が毎日どこかで起こっている。
親に手を掛ける子供、子供を殺す親。
みんなどこかが狂っている。
親の愛を知らない人の所業なのか。

母のない子や父のない子に、なりたくてなった人はいないだろう。
かく言う私も、小学校1年の時から母のない子だった。
お母さんと一緒に出かける友達が羨ましくて、うらやましくて…。

しかし、私の父はちゃーんと母の役割も果たしてくれた。
だから私はきっと幸せな部類だと思う。
それなのにやはり母が欲しかった。
それは我儘だと今ならわかる。
でも 子供だった当時の私には辛い現実だった。

学校の授業参観の日、みんなの場合は綺麗に着飾ったお母さんがやって来て、後ろに立ってみんなを見ていた。
みんなはそんなお母さんを目で探し、見つけると嬉しそうに笑顔を浮かべて、自慢げな顔で授業に集中した。
そして先生が何か質問すれば すぐにでも手を挙げられるように準備し、目を輝かせていた。

私は…後ろを見たくない。
でも そう思いながらも見てしまう。
そして いつもの通りにがっかりする。
洒落っ気も何もない 痩せ衰えたお祖父ちゃんがいるだけだから。
着飾ったお母さん達の中でのお祖父ちゃんの存在は、妙に目立ち悲しくなる。どうして私だけ…と。

小学校4年生の運動会の時だった。
ブルマにポケットを付けなくてはいけない事になったけど、私はお祖父ちゃんが付けるポケットを想像すると憂鬱だった。
そんな時、担任だった先生が私のブルマだけにポケットを付けてくれた。
今でも忘れられないほど嬉しかった。
今頃だけど…山中先生ありがとう。

しかし、そのお爺ちゃんも 私が中学校にあがると同時に亡くなって、私には父しかいなくなった。

父は仕事柄帰りが遅く、食事はいつも私と弟とふたりきりだった。
わずか12歳の私には 料理らしい料理など作れる訳もなく、当時としては数少ないチャーハンの素とか、ハヤシライスの素をよく使っていたように思う。
今思えばあの頃は、毎日何を食べていたのだろう。

ただ日曜日だけは父が休みで、一緒に買い物に行き、ご馳走を作ってくれた。
だから 日曜の家族3人揃っての食事は一週間に一度の楽しみだった。
ご馳走と言っても貧しい事に変わりはなかったので、本来の意味でのご馳走ではなかったかも知れないが、私にとってはご馳走だった。

夕飯時のテレビの番組も決まっていて、「笑点」や「サザエさん」はお馴染みだった。それを見ながら みんなでよく笑った。

お祖父ちゃんが亡くなってからは、私たちが淋しい想いをしてると思ってか、父は、月に一度はどこかへ遊びに連れて行ってくれるようになった。
初めて常盤公園に連れて行ってもらった時の事は、今でもはっきり覚えている。

初夏だった。結構暑い日で私は大好きなソフトクリームをいくつも買ってもらって食べた。
その日ばかりは 父は何でも我儘を聞いてくれた。
ゴーカートにも乗った。
色んな遊具で遊び、とっても楽しかった。

その日私が着ていた服は、お気に入りのグリーンのチェックのオーバーブラウスで、ついでにお気に入りだった帽子を被っていた。
それらの景色が 今でもはっきり目の前に見える。
あの日が…。

父に初めて叱られたのは、私が19歳の時だった。

その日はひどい台風が吹き荒れていた。
夜 私は急に淋しさを覚え母に会いたくなった。
母の所までは車で走れば 30〜40分だった。

出掛けようとする私に
「こんな日にどこ行くんだっ!?」と、父が血相を変えて言った。
「お母さんに会いたくなったから行って来る」
そう言って玄関を出ようとすると、
「お前は何を考えちょるんじゃ! こんな台風がきちょるのに!!」と大声で言い、無理やり腕を掴んで引っ張った。

私が抵抗すると、頭の毛を引っ張られて玄関から引きずり上げられた。
その時は、父も必死だったんだと思う。

台風の中を出て行ってもし事故にでもあったら…と。
そんな所へ出す訳には行かないと。
そんな思いが必死の行動をとらせ、それは結局暴力にも思えるほどだった。

だが、その一度だけだった。
いつもは話を良く聞いてくれて、私の良き理解者であった。

先日ちょっとしたきっかけで、ふと父の事を書いてみたくなった。
父が亡くなって もう今年の夏で丸8年になる。
月日の経つのはなんて早いんだろう。
あんなに泣いたあの日からもう8年だなんて。
今でもつい昨日の事のように思い出せるのに…。


きっと皆さんにも、思い出深い何かが、ひとつやふたつは有るのではないでしょうか。
この機会に 日記にでも書いてみたらいかがでしょう。
両親のこと。

それでは 私が書いた詩を〜〜〜 「おとうさん」