真夏の逃避行
修羅場
それは今から七年程前のことである。その年の五月、暫くの間失業していた早川学は、失業保険が支給されなくなると間もなく、廃家電回収というアルバイトを始めた。それは、主に不要になったテレビ受像機などを、建て前は無料で回収する、というものだった。
夏になると猛暑の日々が執拗に続いた。熱中症や、熱射病で倒れる人が、少なくなかった。
そこは閑静な住宅地に建つ、煉瓦色の五階建ての高級マンションだった。玄関前の車寄せに、薄汚れた軽のワンボックス車が停まっていた。
本来の塗装は白なのだが、かなり旧いのでグレーに近い色に染められていた。携帯電話の番号を、紅いラッカーで書いてある車の屋根には、何度も落下させたために変形して無残な姿のラウドスピーカーが載せられていた。
連日の猛暑から逃げられないものかと、白いTシャツと短く切ったジーンズ姿の長身の男は、最後の回収品の圧力鍋と、重いスポーツバッグを荷台に投げ込みながら思った。
時刻は十三時半になるところだった。昨日の十四時には、気温が三十五度を超えた観測地点が、全国で百箇所以上だったと聞いた。今日も恐らく同じくらいだと思うのだが、早川が借りているポンコツには、ラジオもエアコンもない。勿論、オートマチックでもない。