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フライングマン

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「さあ、高松、大会三連覇なるか!」
 テレビの画面からは緊張が伝わってきた。社会人陸上百メートル短距離。スタートはいよいよ間近に迫っていた。
「ごくり」
 信良はつばを飲み込んだ。そして今から走ろうとする選手八人に細心の注意を払った。
「パアン!」
 高く鳴り響いたピストルの音。選手は一斉に走り出したが、しばらくしたところで全員がゆっくりと引き返してきた。
「やったー! くー! これなんだよなあ~!」
 信良は膝を叩いた。フライングである。
 フライングをすると、場が「あ~……」という雰囲気になる。緊張がプツンとほどけてしまうのだ。しかし信良はこの瞬間が好きだった。
 彼は今、世の中に多く存在するフライング愛好家の一人であった。

 信良は運動オンチだ。学校の体育は2。体もぼってりと太っている。だから女子にはあまりモテない。信良は自然とスポーツを憎むようになった。
「なあなあ、見たか、昨日のフライング! 綺麗だったよなあ~」
 眼鏡をかけた細身のガリ勉、杉田が嬉々として話しかけてきた。彼は信良の友達で中学校ではいつも一緒にいる。
「見た見た、あのタイミングのはずし具合! お見事って感じだよな!」
 信良はまあるい顔を高潮させ、体をゆさっと揺らしながら杉田に返事をした。
「昨日のフライングは、最近見た中では五本の指に入るいいフライングだったな!」
 信良が言うと、杉田は持っていたノートをパラリと開いた。
「ここ一年でいうと、バナソニッグの盛田が一番フライングの数を切っている。しかし、クオリティーの高さからいうとトヨダの中山だろう」
 秀才の杉田は選手がフライングをする度に、その回数や芸術性をノートに書き込んでいっている。今回フライングした小沼という選手に関しては、十点満点中八点をつけていた。
「なあなあ、小沼はさ、プロになったのか?」
「うーん……」
 信良の問いに杉田は手を顎に当てる。
「だってさ、昨日の決勝、二回もフライングしてさ、場がだいぶ盛り下がっただろ? 優勝した高松のタイムもあまり良くなかったじゃないか。だからさ、小沼はプロのフライングマンになったんじゃないかな」
「ありえるな」
 信良と杉田は顔を見合わせた。てかてかと脂の浮いた顔と分厚い黒縁眼鏡がキラリと光った。

 現在、運動オンチの人のための邪道スポーツ、『フライング』はその筋で絶大な支持を得ていた。運動を苦手とする者は運動を敵視する傾向にある。だから、何かの大会があると、スムーズにレースが進行していくことを望まない。つまり、フライングを期待するようになったのである。
 最初の頃はこの風潮は敬遠されていた。大会を主催する側もそんな目で見られたくないと当然のごとく思っていた。
 しかし、徐々にこのフライング目当てでテレビをつける者が現れ始めたのである。それはだんだんと広がっていき、ついには視聴率の何割かを支えるようになっていった。
 そこでスポーツ界は、選手にフライングをするよう要請した。そしてその中の選手として芽が出ない人間が、ぽつぽつとこのフライングスポーツに転向していったのである。
 人は彼らを『フライングマン』と呼ぶ。

 信良と杉田が話題にした小沼は、選手としてはトップクラスであった。しかし、各大会の決勝で必ずといっていいほど対決する高松というスターには勝つことができなかった。
 そこで小沼はフライングを繰り返すことで高松の気を散らし、タイムを下げようとしているのではないかともっぱらの噂だった。
 このフライングマンのファンたちは一般の世界では嫌われている。考え方がよろしくないという当然の理由からだ。だが逆風を浴びる度、フライングファンたちの結束は固まっていった。ちょうどアイドルオタクが敬遠されて、ますますアイドルに傾倒していくあの感じである。
 運動オンチの人たちがこぞってスポーツ番組を見る。それをスポーツ業界がほっておくわけがなかったのだ。

 ただし、フライングというのはあくまで闇のスポーツであり商売である。スポーツを純粋に楽しもうとする人たちは、そんなフライングを好むわけがない。だから、プロのフライングマンといっても、世間に公表されるわけではなかった。プロもアマチュアも、あくまで「あのフライングは偶然だ」というふうに主張しているのであった。
 ただ、そのような事情はすでに世間に知れ渡っていた。スポーツが好きな人たちは、もちろんこのフライングに反対するものの、証拠がないのでそれ以上追及できなかったのだ。

 信良たちは、各スポーツのフライング観戦を楽しみにしていた。陸上、水泳、スピードスケートなどである。
「陸上の短距離もいいが、水泳のフライングもそそるものがあるな」
 斜め上を向いた杉田に信良がうんうんとうなずいて同意する。
「水泳は一度飛び込むと、またわざわざ上がってこないといけないからね。あれはまぬけな瞬間だよな」
 女子がひそひそ話をしながらこちらを見ている。しかし、信良と杉田は開き直っていた。
「フライングは美しいよ。フライングは芸術だ。一般の人間はその奥深さを知らない。コンマ0.0何秒違うだけで美しさがガラリと変わってくる。ああオレは、フライングマンのファンでよかった! オレはこのスポーツに一生ついていく!」
 力説する杉田にうっとりとした目でこっくりうなずく信良。遠巻きに見ていた女子たちは、げんなりして悪口を言うのを諦めた。

 ところがである。事件は起こった。
 先日とは別の社会人陸上百メートル短距離走で、高松、小沼、盛田、中山が揃ったのだ。盛田はフライングの数で郡を抜いており、中山は杉田のノートで芸術性十点満点を獲得している選手だ。レースはいやがおうでも注目された。
「さあ、どうなるんでしょうか、この勝負。高松、自己新記録を更新できるか!そして他のメンバーはそれにどう対抗していくのか!」
 司会者は力んだ声を出していた。フライングを警戒してである。杉田は信良の家に来て二人でスポーツ専門チャンネルにかじりついた。脂と眼鏡はいつも以上に光っている。
「ようい!」
 スタートの格好をした選手たちは一斉に腰を上げた。
「パアン!」
 ピストルが鳴って案の定その後全員が戻ってきた。しかしである。司会者が大声で言った。
「おおーっと、どうしたことでしょうか! これは、全員がフライングした模様です! どういうことですか、藤沢さん」
 解説の藤沢は首を捻った。
「高松君はめったにフライングなんてしないんですがね。周りにつられたのでしょうか?」 
 藤沢は小沼らを皮肉った。
「二度目のスタートです」
 場はしんとなった。皆が嫌な予感を抱いていたその時。
「パアン!」
 ピストルの音が渇いた音を立てた。その数秒後。
「ああっと、これは珍しい! フライングです! フライングです! しかも全員フライングで失格です!」

 注目されたのは高松だった。大会後の記者会見で高松は質問攻めにされた。
「一体どうしてですか!」
「高松さんだけはと信じていましたが、これは裏切られたということになるのでしょうか!」
「まさか高松選手まで、フライングマンになってしまわれたのですか!」
作品名:フライングマン 作家名:ひまわり