旅のスケッチ
下関 (1976年3月)
おずおずとドアを開けて部屋に入ると、「こんにちは」と言う声がした。
僕は多少面喰いながら、「こんにちは」と返した。
初めてユースホステルに泊ったときのことだ。
なにしろ初めてだったし、一人旅なので不安なこと、この上ない。
そんな僕にユースホステルの印象を良いものにしてくれたのは、この下関の火の山ユースホステルで知り合ったFというやつだった。
部屋は2段ベッドが4つ並んだ8人部屋だった。
僕に声を掛けたのは、その一番奥の下のベッドにいた。
そいつは僕と同い年で、広島の県立高校に通うFと名乗った。
人懐こくて話が面白く、それでいてどこか大人の雰囲気を漂わせたやつだった。
僕とFは、それから夕食まで話し込んだ。
高校生活のこと、大学受験のこと、恋愛について、人生について・・・・。
僕はFの通っている高校の生活にあこがれを抱いた。
そこには僕が理想としていた高校生活があった。
誰もがしらけずに高校生活をエンジョイし、かと言って決して物質的な面や享楽的な方向に流れず、そこには、世間一般の呼び方に従うなら、確かに青春があり、若さの輝きがある。
それは表面的には大人が『今どきの若い者は』と眉をひそめながら言う生活かもしれない。
しかし、その根底には、不完全ながら彼らの行動を一貫して貫く彼らなりの理論、純粋性、一貫性が存在する。
決して単なる無軌道や放縦とは別のものなのだ。
僕はFから、ユースホステルに限らず、いやむしろユースホステルに関することよりも多く、他のことを学んだ。
夕食が終ると、Fと火の山の夜間登山に行くことにした。
ユースホステルから借りたランプをぶら下げて、20分ほど歩いて山頂にたどり着いた。
ちょうどその日は土曜日で、関門大橋にイルミネーションが灯っていた。
その夜景は確かに美しかったが、どこか夜の新宿のネオン街を思わせて、物淋しかった。
そのうちに、郷土で自慢できるものは、人造物ばかりになってしまうかも知れない、などど思ったりした。
ここで、三脚を借りて、関門海峡の夜景をバックに、Fのカメラで、Fと二人で写真を撮った。
Fは、うまく撮れていたら写真を送ってくれると約束した。
しかし、旅を終え、いくら待っても写真が送られて来ることは無かった。
きっとうまく撮れていなかったのだろう。
作品名:旅のスケッチ 作家名:sirius2014