古都・純情物語 6 (17~最終章)
第17章
京都会館は、左京区岡崎の疎水べりにあり、1960年開場した当時、
京都随一のコンサートホールだった。
第一、第二と分かれ、第一ホールの収容人数2000名、
第二ホールはその半分約1000名弱。
優一達のコンサートが行われたのはその何れでもなく、
京都会館と同じ敷地内に1931年に『京都公会堂』として
建てられていた、『京都会館別館』だった。
この別館は、古都に相応しい?古風な姿を持ち、
当時『帝冠様式』と呼ばれ、「西洋建築の躯体(コンクリート
建築)でありながら、城郭風の屋根をもつ建物であった。
現在は2000年に改装されて『京都市美術館別館』として
現存している。
別館の収容人数は300名で、当時から優一達のような
アマチュアバンドやアコースティックのブルースバンドが
小規模のコンサートライブを行っていた。
当日の出演バンドは
優一達の高校の後輩バンドが前座を務め、
優一達『カミカゼ』の演奏の後、
田川友宏等元ブラスバンド部から、田川、トロンボーン、
和多田明トランペット、本川肇テナーサックスのブラスセク
ションが加わって、エンディングセッションで締めることに
なっている。
因みにこの日の司会進行役は、
若き日の「長谷川公彦」が買って出てくれた。
現在の【島田紳介】である。
彼は、優一達の仲間・小川吉伸の中学時代の親友だった
のだ。
勿論、当時の彼は島田洋介門下に入門したてであり、
あの松本竜介とも出会う以前のことであったから、
当時彼を知る者は一人としていなかったが、
今思えば面白い【因縁】だったと思う。
そんなこんなで
コンサートは開演した♪
(^_-)-☆
オープニングは
イーグルスの【呪われた夜】から始まった♪(^_-)-☆
ステージ上が暗転し、
「ワン、ツウ、スリー・・・」武のスティックの合図の後演奏は始まった♪
優一の独特のベースのメロディーラインに、
有田、東野のツインギターが絡む♪
この曲はこの年の6月に出たばかりの新曲だ♪
それまで「カントリーロック」とされてきたイーグルスを
全米NO1のロックバンドに引き上げた曲だった♪
所どころに入るファルセットのコーラスは、
その頃流行りのディスコミュージックを感じさせた♪
余計なMC(おしゃべり)は抜きに、
オールマンBBのインスツルメンタル
「アトランタの暑い日」「エリザベスリードの追憶」
エリッククラプトンの
「I SHOT A SHERIFF」「CLOSS ROAD」
と続き、
BBキングのブルースメドレーでは、しゃがれた李(り)の
声がピタリと来た♪(^。^)y-.。o○
その後、ホーンセクションの田川や和多田が加わり、
いよいよエンディングは『25 OR 6 TO 4』、
つまり、シカゴの『長い夜』だ♪
高音のボーカルは優一が担当した♪
三度くらい、頭の血管が切れそうになりながら
歌いきった♪(^_-)-☆
大迫力のホーンセクション!
武が何時になく真剣にスッティクを振るう!
有田と東野の二本のギターが挑みかかるように
バトルする!
会場全体はもう総立ちだ!
\(◎o◎)/!ヽ(^。^)ノ(*^^)v\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(~o~)/\(~o~)/\(~o~)/ヽ(^o^)丿
ステージ上の誰もの顔が汗か涙か分からないくらい
しずくにまみれていた♪
きっとその中で
山木も手を振って
歌っていたに
違いない♪(^_-)-☆
祭は終わった・・・・
(*^^)v
優一達は未だ高揚した気持ちのまま、
しかしながら現実的には10時までに会場から機材を運び
出し、撤収しなくてはならなかった。
ドラムセットや大きなアンプ、PAなどの機材が、
先ほどまでステージの上で演じていたプレーヤーが
スタッフに混じり、トラックに積み込んでいた。
そんな優一たちのもとに、山木の両親が歩み寄って来た。
「林君、今日は本当にありがとう。
こんな好い仲間に支えられていた昭次は幸せモンです。
親として、本当にうれしかった。ありがとう。m(__)m」
山木の両親は宮崎県出身で、山木も中学の時、
宮崎の日向から家族で京都に越してきたのだ。
色々あったのだと聞いている・・
山木の両親から【皆さんで打ち上げの時に使ってください】
と過分なカンパを頂いた♪(#^.^#)
その後、瑛子と泰子がやっきた♪
「やったぁ~~~!ヽ(^o^)丿皆、良かったよ~~~♪
ようけチケット捌いた甲斐があったわ♪(^。^)y-.。o○
林君、瑛子ちゃん、【惚れ直した】って♪(^_-)-☆」
「いや~ん♪(#^.^#)泰子ちゃん、私そんなん云うてへん!」
泰子の背中を瑛子の平手がパッシ~ン!と打つ♪
「優ちゃん、成功、おめでとう♪(#^.^#)すごく良かった♪」
「ヒュ~ヒュ~♪(*^^)vあっついなあ~~♪
これでも12月かぁ?」
アンプを担いだ東野が横を通り過ぎて行く♪
「あ、大井さん、明日の晩、【忘れな草】で打ち上げやるし、
二人で来てくれへんか?【営業部長】として(#^.^#)」
「アラ、ウチが付いて行ってもええの?(^。^)y-.。o○
お邪魔じゃなくて?(-。-)y-゜゜゜」
「^^;・・・も、勿論、大歓迎や♪明日6時から【忘れな草】で
(^.^)/~~~全員集合や♪」
「オッケー♪ほな、ウチら、門限あるし♪(^。^)y-.。o○
瑛子ちゃんはお名残り惜しいやろけど(-。-)y-゜゜゜」
振り返った瑛子に優一がウインクした♪
(^_-)-☆
第18章
翌日夕方から【喫茶・忘れな草】を借り切って優一達バンド
の打ち上げが行われた♪
優一達5人の他、前座を務めた後輩バンド、田川等
元ブラバンメンバー、小川等音響担当スタッフ等約25人に
瑛子たち看護短大から瑛子・泰子のほか初子の3人が出
席した。
テーブル数8席の他カウンターの店内は若者の熱気で充
満していた♪
ビール、ジュース、コーラーの飲み物の他、サンドイッチと
スパゲッティーに近くの『餃子の王将・西大路店』より、
30人前の餃子も持ち込まれた^^;・・クサカッタ・・
ヽ(^o^)丿(*^^)v(^.^)/~~~!(^^)!( ^^) _U~~(*^_^*)( ^)o(^ )
(-_-メ)(^0_0^)(^^♪(^_^.)ヽ(^o^)丿^m^\(゜ロ\)(/ロ゜)/
「ええ~~、お静かに願います♪(^^♪」優一が言う。
(^^♪ワイワイガヤガヤ^m^ヽ(^o^)丿(=^・^=)(^。^)y-.。o○
「ええ~~、お静かに^^;・・・」再度、優一が言う。
^m^キャハハハ♪\(゜ロ\)(/ロ゜)/(^.^)/~~~!(^^)!ワイワイ♪
京都会館は、左京区岡崎の疎水べりにあり、1960年開場した当時、
京都随一のコンサートホールだった。
第一、第二と分かれ、第一ホールの収容人数2000名、
第二ホールはその半分約1000名弱。
優一達のコンサートが行われたのはその何れでもなく、
京都会館と同じ敷地内に1931年に『京都公会堂』として
建てられていた、『京都会館別館』だった。
この別館は、古都に相応しい?古風な姿を持ち、
当時『帝冠様式』と呼ばれ、「西洋建築の躯体(コンクリート
建築)でありながら、城郭風の屋根をもつ建物であった。
現在は2000年に改装されて『京都市美術館別館』として
現存している。
別館の収容人数は300名で、当時から優一達のような
アマチュアバンドやアコースティックのブルースバンドが
小規模のコンサートライブを行っていた。
当日の出演バンドは
優一達の高校の後輩バンドが前座を務め、
優一達『カミカゼ』の演奏の後、
田川友宏等元ブラスバンド部から、田川、トロンボーン、
和多田明トランペット、本川肇テナーサックスのブラスセク
ションが加わって、エンディングセッションで締めることに
なっている。
因みにこの日の司会進行役は、
若き日の「長谷川公彦」が買って出てくれた。
現在の【島田紳介】である。
彼は、優一達の仲間・小川吉伸の中学時代の親友だった
のだ。
勿論、当時の彼は島田洋介門下に入門したてであり、
あの松本竜介とも出会う以前のことであったから、
当時彼を知る者は一人としていなかったが、
今思えば面白い【因縁】だったと思う。
そんなこんなで
コンサートは開演した♪
(^_-)-☆
オープニングは
イーグルスの【呪われた夜】から始まった♪(^_-)-☆
ステージ上が暗転し、
「ワン、ツウ、スリー・・・」武のスティックの合図の後演奏は始まった♪
優一の独特のベースのメロディーラインに、
有田、東野のツインギターが絡む♪
この曲はこの年の6月に出たばかりの新曲だ♪
それまで「カントリーロック」とされてきたイーグルスを
全米NO1のロックバンドに引き上げた曲だった♪
所どころに入るファルセットのコーラスは、
その頃流行りのディスコミュージックを感じさせた♪
余計なMC(おしゃべり)は抜きに、
オールマンBBのインスツルメンタル
「アトランタの暑い日」「エリザベスリードの追憶」
エリッククラプトンの
「I SHOT A SHERIFF」「CLOSS ROAD」
と続き、
BBキングのブルースメドレーでは、しゃがれた李(り)の
声がピタリと来た♪(^。^)y-.。o○
その後、ホーンセクションの田川や和多田が加わり、
いよいよエンディングは『25 OR 6 TO 4』、
つまり、シカゴの『長い夜』だ♪
高音のボーカルは優一が担当した♪
三度くらい、頭の血管が切れそうになりながら
歌いきった♪(^_-)-☆
大迫力のホーンセクション!
武が何時になく真剣にスッティクを振るう!
有田と東野の二本のギターが挑みかかるように
バトルする!
会場全体はもう総立ちだ!
\(◎o◎)/!ヽ(^。^)ノ(*^^)v\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(~o~)/\(~o~)/\(~o~)/ヽ(^o^)丿
ステージ上の誰もの顔が汗か涙か分からないくらい
しずくにまみれていた♪
きっとその中で
山木も手を振って
歌っていたに
違いない♪(^_-)-☆
祭は終わった・・・・
(*^^)v
優一達は未だ高揚した気持ちのまま、
しかしながら現実的には10時までに会場から機材を運び
出し、撤収しなくてはならなかった。
ドラムセットや大きなアンプ、PAなどの機材が、
先ほどまでステージの上で演じていたプレーヤーが
スタッフに混じり、トラックに積み込んでいた。
そんな優一たちのもとに、山木の両親が歩み寄って来た。
「林君、今日は本当にありがとう。
こんな好い仲間に支えられていた昭次は幸せモンです。
親として、本当にうれしかった。ありがとう。m(__)m」
山木の両親は宮崎県出身で、山木も中学の時、
宮崎の日向から家族で京都に越してきたのだ。
色々あったのだと聞いている・・
山木の両親から【皆さんで打ち上げの時に使ってください】
と過分なカンパを頂いた♪(#^.^#)
その後、瑛子と泰子がやっきた♪
「やったぁ~~~!ヽ(^o^)丿皆、良かったよ~~~♪
ようけチケット捌いた甲斐があったわ♪(^。^)y-.。o○
林君、瑛子ちゃん、【惚れ直した】って♪(^_-)-☆」
「いや~ん♪(#^.^#)泰子ちゃん、私そんなん云うてへん!」
泰子の背中を瑛子の平手がパッシ~ン!と打つ♪
「優ちゃん、成功、おめでとう♪(#^.^#)すごく良かった♪」
「ヒュ~ヒュ~♪(*^^)vあっついなあ~~♪
これでも12月かぁ?」
アンプを担いだ東野が横を通り過ぎて行く♪
「あ、大井さん、明日の晩、【忘れな草】で打ち上げやるし、
二人で来てくれへんか?【営業部長】として(#^.^#)」
「アラ、ウチが付いて行ってもええの?(^。^)y-.。o○
お邪魔じゃなくて?(-。-)y-゜゜゜」
「^^;・・・も、勿論、大歓迎や♪明日6時から【忘れな草】で
(^.^)/~~~全員集合や♪」
「オッケー♪ほな、ウチら、門限あるし♪(^。^)y-.。o○
瑛子ちゃんはお名残り惜しいやろけど(-。-)y-゜゜゜」
振り返った瑛子に優一がウインクした♪
(^_-)-☆
第18章
翌日夕方から【喫茶・忘れな草】を借り切って優一達バンド
の打ち上げが行われた♪
優一達5人の他、前座を務めた後輩バンド、田川等
元ブラバンメンバー、小川等音響担当スタッフ等約25人に
瑛子たち看護短大から瑛子・泰子のほか初子の3人が出
席した。
テーブル数8席の他カウンターの店内は若者の熱気で充
満していた♪
ビール、ジュース、コーラーの飲み物の他、サンドイッチと
スパゲッティーに近くの『餃子の王将・西大路店』より、
30人前の餃子も持ち込まれた^^;・・クサカッタ・・
ヽ(^o^)丿(*^^)v(^.^)/~~~!(^^)!( ^^) _U~~(*^_^*)( ^)o(^ )
(-_-メ)(^0_0^)(^^♪(^_^.)ヽ(^o^)丿^m^\(゜ロ\)(/ロ゜)/
「ええ~~、お静かに願います♪(^^♪」優一が言う。
(^^♪ワイワイガヤガヤ^m^ヽ(^o^)丿(=^・^=)(^。^)y-.。o○
「ええ~~、お静かに^^;・・・」再度、優一が言う。
^m^キャハハハ♪\(゜ロ\)(/ロ゜)/(^.^)/~~~!(^^)!ワイワイ♪
作品名:古都・純情物語 6 (17~最終章) 作家名:ef (エフ)