妖怪たちの八百万
「環。」
僕はソファに身体を預ける環に問いかけた。環は空気が抜けたような返事ともつかない音を発した。一応返答があったと解釈し、話を続ける。
「この事件って妖怪が関わってるんじゃないのかな。」
「ああ、そうだな。」
意外にも断定的な返答があったことに少し驚く。
「そうだな、って環は何か知っているのか?」
環は白い毛で覆われた犬とも兎ともつかない耳を少し揺らして、僕の方を振り向いた。
「牛島陽子。県立相生高校二年、17歳。被害者二人とは同じくらすに所属している。」
環はそれ以上の言葉を続ける気はないらしく、僕を見つめるだけだ。居心地の悪さを感じて挙動不審になりながらも言葉の真意を追究する。
「牛島?それは誰なんだ。その人が今回の事件に関係があるってのか。襲われた人の友達なのか?」
環は先程までと変わらない様子で僕に応えた。
「犯人だ。」
一瞬、言葉を失った。
「犯人だ。」
環はもう一度繰り返した。我に返る。
「え、な、何だって!!犯人ってどういうことだ。何で君がそんなこと知ってるんだよ。」
環は当たり前のことを聞くなとばかりに踏ん反り返って言う。
「そりゃ、調べたからな。」
調べたってどうやってだよ。
短期間で被害者が二人も出ているという非常事態に警察は躍起になって犯人探しを行っているはずだ。ニュースを見る限りでは手がかりすらも見つかっていないというのに、こいつはすでに真相を掴んでいるというのか。
「ただし、こいつはそこいらの人間とは違う。まぁ、角があるだの、赤い目で睨まれただのを聞いてそこから人間を想起する者はいないだろうがな。」
「どういうことだ。その人は人間じゃないのか。」
「いや、人間だよ。お前と変わらない年端もいかない小娘だ。ただこいつには協力者がいてな。」
環は不機嫌そうに呟く。
協力者か。では被害者が見たという化け物の正体はその協力者ということになるのだろう。
「もう大体事件の構図は理解できただろうが、一応言っとくとこの事件、人間の娘と妖怪が組んで起こしたものだ。ふん、この協力者ってのが厄介そうでな。あたしは一度こいつらに会ってきているんだが、あれは見たところ鬼のようだ。」
「鬼……、鬼もいるのか。」
「お前でも知っているような一般的な妖怪はほとんど今でもいるはずだ。ただ、鬼はここのところあたしも見ていなかったからな。もういなくなったのかと思っていた。」
「そうか。鬼って強いのか?」
「強いだと?それは強いだろう。奴らの力業というのはお前の想像できる範囲を超えているぞ。人間の枠ではどんな力自慢だろうとその限界を想像することはできるだろう。奴らが扱う力業は最早それが純粋な力のみで為されているのか疑わしいほどの奇跡を生む。一般に好戦的でもあるし、正直なところあたしでは歯が立たん。だが、今回奴の傍らにいた鬼は見る影もないほどに弱りきっているようだった。今のあたしのようにな。」
環は僕を見て自嘲気味に笑った。子供のように小柄な環だが、今の姿は元の姿を保てなくなるほど力を失ってしまったことによるらしい。きっと環の元の姿は、獏から僕を助けてくれたときのような力強く精悍なものなのだろう。
「それじゃ、その鬼が人を襲うことは不可能なのか?だったら被害者達が見た化け物ってのはそいつじゃないのか。」
「それは分からんがな。弱体化したとはいえ、鬼は鬼だ。人間くらいどうとでもできるだろう。しかし、あのちんまい角を見て天を衝く双角とは大げさな気もするな。あれほど弱った鬼ならばあたしでもお前の力を利用すれば勝てそうなくらいだ。」
僕は環が獏を圧倒的な力でねじ伏せた光景を思い出していた。環は妖力を失い、このような可愛らしいなりをしているが、人から力を譲り受けることで一時的に本来の力を取り戻すことができるらしい。本来の力ついでに、姿も今の子供のようなものではなく、成人女性ほどに変貌する。環の白く渦を巻いたくせっ毛は、どの姿でも変わらないようだが。
「まぁ、でもどうやらお前とは縁がない奴らしいな。一応目的は聞いてきたがお前が狙われることはないだろう。うん。この事件はあたしとは関係がない。直接的に関わっていないお前はあたしよりももっと関係がない。人様の事情に変に首を突っ込むのも野暮だしな。じゃ、この話は終いだ、終い。」
「え、この前みたいに環が倒してくれるんじゃないのか。だから情報を集めてるんだと思ったけど。」
当然のように環が解決してくれるものだと思っていた僕は、環の発言に違和感を感じた。獏を懲らしめたときと同様に環が何とかしてくれるのではないか。環は正義の味方なのだと何の疑問も持たずに考えていた。
「馬鹿言え。何故あたしが奴らと対立しなければならんのだ。いいか、さっきも言ったがな、奴らの目的ははっきりしている。あたしやお前が標的になることはないと分かっているんだ。大人しくしとけ。変に目立つと恨みはないが仕方がないとか言って標的にされるかもしれん。」
「だけど、僕たちしか犯人を知らないんだろう。そんなこと言ってたらまた襲われる人が出てしまうかもしれないじゃないか。」
僕らしくないと思った。僕が人を助けるなんて想像したこともなかった。なのに何故こんなことを口走るのか。
「ああ、出るだろうな。牛島はまだ終わっていないと言っていたからな。しかし、それが何の関係があるんだ。あたしに。お前に。襲われる可能性のある奴はお前とは違う学校だし、お前の友人ってわけでもないだろうが。」
何故だか環に見放されたような気がした。環が関係がないと言っているのは、僕のことではないと分かっていたが、目の前に差し伸べられた救いの手を失ったかのような喪失感に苛まれた。だからなのかもしれない。僕は生まれてから一度も発したことのなかった言葉を環にぶつけた。
「関係ないなんて言うな。知らない人だからって見過ごせるか。」
一瞬の沈黙の後、環を確認すると目を見開いて僕を見ていた。
「……。」
「あ、あの、環。どうしたんだ。」
「……いや、何でもない。」
「そうだ。せめて警察に知らせないと。容疑者が絞れれば警察だって捜査しやすくなるはずだ。」
「おいお前、余計なことをするな。奴らの好きなようにさせておけよ。奴らだって真剣なんだ。」
環の声が低く響いた。環の顔からは感情を読み取ることはできないが、言葉の端に僕を咎める気配を感じる。一体環は僕の何が気に入らないというのか。
「環、さっきから何で犯人のことを庇うようなことばかり言うんだ。そいつは人を襲うんだぞ。すでに二人も被害者が出ているんだ。放ってはおけない。」
「一方的な情報だけで視界を狭めるんじゃないぞ、孝明。奴がなぜ人を襲うのか考えてもみないのか。何があれば人を襲うなどという蛮行にでるのか想像することすらできんのか。」
「な、どういうことだ。犯人の目的って何なんだ。」
人を襲う牛島とその相棒の鬼。傍らに控える鬼さえも凌ぐ気迫を纏い、夜の街を獲物を求めて彷徨う。ニュースから伝わる犯人像。環からもたらされた鬼の存在。それらが合わさって生み出された僕の中の牛島のイメージ。
「この事件の主犯、牛島陽子の目的。それは復讐だ。」