天草小咄 -一-
彼の子供は感情がないどころか、実はとても繊細で感受性が強かった。それゆえに孤独だったのだと思う。あの小さい身体には、子供が抱えるには重すぎるたくさんのものが詰まっていた。
感情がないといわれていた子供は、悲しみを知っていた、憎しみを知っていた、怒りを知っていた。人を嘲り、蔑み、嗤っても、――けれども知っていた。
人を愛するということを。
慈しみを知り、優しさを知り、ぬくもりを知っていた。泣く姿を見たことはないけれど、きっと心の中は涙で溺れそうなほどしょっぱくて、存分に泣かせてやることができなかったのが悔いだったと今になって知る。
孤独な子供は最後まで孤独だったくせに、どこまでも優しく残酷に、その痕跡を残している。彼の子供を思い出し胸に溢れてくる感情は、きっと親愛とか友愛とかいう情だ。けして一方通行の情ではなかったと思う。
その証拠に、一緒にヤマモモの実を摘んで食べた記憶は、泣きたくなるほどあたたかく優しい。
「ヤマモモジュースには、お酢を入れましょう」
静かな語り口に、小四郎丸は頷く。あの子供は、酸味のきいたそれが好きだった。夏場にはすっきりするのだといって愛飲していた。
「常磐も好きな味だといいわね」
またひとつ頷いて、小四郎丸は台所に向った。
いつも夏が駄目な小鬼は、今年はいつもよりちょっと元気だった。
風呂上りの一杯が効いたに違いないと、常磐は笑って語った。