天草小咄 -一-
六月下旬にもなると空気は蒸し、暑苦しくてしかたない。
天草の一人息子の常磐には夏バテというものはなかった。熱した朝日の中でも寝覚めはすっきりといいし、炎天下の中のアイスは格別だと思っていて、寝苦しいはずの夜でも快適な睡眠を貪る。その反面、常磐より天草の家に長年居座り、すでに家族同然の扱いである小鬼(体長約六寸ほど)の小四郎丸は、夏にはめっぽう弱かった。
久しぶりに梅雨のじめっとした空気が乾き、からりとした空気が気持ちのよい朝。この時期には珍しく、小四郎丸は陽射しのきつい縁側から庭を眺めていた。
天草の家にはちょっと曰くありげなものが多い。
それは庭の池だったり花だったり木だったり石だったり…。
小四郎丸が見つめるそれも、彼にとってはちょっとした曰くつきのもののひとつだった。常磐にとっては何の変哲もないヤマモモの木であるが。
「ああ! もうそんな季節か」
常磐はそれを見つけ、声を上げた。小四郎丸が見つめるヤマモモの木には、赤い実がたわわに実っていた。
小四郎丸が縁側から庭に降りて、タタタとヤマモモの木に駆け寄り、見上げた。金色の目を瞬かせ、小四郎丸は黙って見上げる。
常磐も庭に下りて近づいた。
今年のヤマモモの実は、常磐が生まれてはじめてみるほどたわわに実をつけていた。
本当に見事に生っている。いままでこれほど見事なったことがあっただろうか。去年も一昨年もその前も、もっと小さかったはずだ。
「おいしそう」
ふと思い出す。そういえば先日、母比沙子が密封瓶を丁寧に洗って乾かしていた。母は毎年庭の梅で梅酒を作る。常磐にはアルコール抜きの梅ジュース(子供用)だったが。今年はそれに一品加えることができそうだ。
一粒とって、口に運ぶ。実から滴る果樹が指を濡らしたが気にならない。むしろその様子は実の熟成を思わせ嬉しくなった。
「うん、甘酸っぱい! 小四郎丸も食べてみろよ」
言って、一粒捥いで渡してやった。
小四郎丸は、なぜか、飴色の目をまん丸にして、それから恐る恐るというよりは恭しく、大切な宝物を頂くように、小さな両手でヤマモモの実を受け取った。
その仕草は常磐の目にやけに大げさに映った。敬虔で、厳かで、常磐は黙って見入ってるしかなかった。
小鬼の口が、赤い果実にかぶりつく。小四郎丸の口許にほんのりと、けれど染み入るような、深く深く喜びと悲しみを噛み締めるような微笑が浮かんだ。
そこにあった感情は間違いなく愛惜だった。
小四郎丸はとても小さい。玩具のような小ささで、子供のような仕草で動く。だから時々忘れそうになるが、こんななりでも小四郎丸は常磐よりずっと長生きで、ずっと色々な経験をしているわけで…。当然、胸に抱えているあれやこれやは子供の常磐に比べてたくさんあって…。
(歴史ってやつだ)
小四郎丸の小さな身体には、常磐の知らないたくさんの積み重なりがあって、たくさんのものが詰まっている。喜びとか悲しみとかもいっぱいあって、このヤマモモはきっとそのうちのひとつなのだ。
曰くありげなものが詰まった天草の庭の一角。このヤマモモは小四郎丸に縁の深いものなのだと、常磐ははじめて知った。ずっと一緒に暮らしていながら、いまさらに。
「集めよう!」
常磐は足元の小四郎丸と目を合わせるようにしゃがみこんでから声をかけた。
台所から持ってきた笊に、常磐と小四郎丸は熟れて収穫時のヤマモモの実を摘んでいく。最初はちょっと躊躇いがちだった小四郎丸も、今では大胆に遠慮なく実を捥いでいっては笊に投げ込んでいた。
小さな小四郎丸は、その小ささを上手く利用して、枝の奥まったところにあるよく熟れた実を上手く摘む。ヤマモモの枝は折れやすいが、小四郎丸は小さくて軽いから折れる心配もなく悠々だ。常磐は外側の手の届きやすいところから実を摘んでいく。日当たりのいいところはすでに黒ずんでいて、実を摘む瞬間跳んできた果汁が口の中に入ったりしてて笑った。時々小四郎丸が枝を振ると、赤い実がぼとぼとと落ちた。上手い具合に笊が受け止めてくれたものもあれば、地面に落ちてもったいないことになったものもある。そんなことにも笑い声を上げて、二人は実の収穫に夢中になった。
笊に詰まれたヤマモモの実は宝石のようにあざやかで、二人は笑顔になった。特に小四郎丸は本当にいい笑顔で、常磐もつられる。
「あら、たくさん採れたわねぇ」
笊に山盛りのヤマモモの実を見て、比沙子は歓声を上げた。
「甘酸っぱくておいしかった」
「あら、ホント。おいしい。今年は久しぶりに大きな実が生ったわね。ジュースにしようかしら。ジャムもいいわね。凍らしてゼリーも作りましょうか。ヨーグルトやアイスにも合うでしょうね」
「こんだけあったらいっぱい作れるよ」
「そうね。楽しみね。洗ってくるわね」
「おれがやるよ」
「そう? 洗いすぎないでね。埃を落とすくらいでいいのよ」
「はーい」
常磐は笊を持って台所に行った。その背中を比沙子と小四郎丸は見送った。
視線を下げて、比沙子は語りかける。
「久しぶりによい実が生ったわね。ここ何年もずっと小ぶりで、収穫もしてなくて…」
収穫しなかった理由は、本当は別にあった。比沙子はその理由を知っていた。
庭のヤマモモの木は、小四郎丸の友人が天草にくれたものだった。頂いてからの年月分大きくなっていた。その年月に思いを馳せると脳裏に浮かぶその姿。
棒切れみたいに細っこくて、いつも髪がぼさぼさだった。襤褸じゃないけれど着古した着物をヤマモモの果汁で赤く染め、頬張って種を飛ばしていた姿が思い出される。
小さな子供だった。いまの常磐と同じくらいだった。もしかしたらもう少し小さかったかもしれない。年齢はたぶんそう変わらないだろう。その小四郎丸の友人は、もういない。十年近く前の話だ。
あの子がいなくなったを機に、庭のヤマモモの木は存在を庭の隅に追いやられてきた。それは悲しいことだった。でも今年は見事な実を実らせ、あざやかに存在を主張した。
そろそろどうですか?
そんな風に語りかけられてるようだ。
強烈な個性を持った小さな子供の姿は、未だ記憶の中に褪せることなくそこにある。棒切れみたいな細腕で、生まれたばかりの常磐をあやしていた。人嫌いで知られ、人を寄せ付けず孤独だった子供は、意外にも赤ん坊をあやすのが上手で面倒見がよかった。
庭のヤマモモの木。実はまだいっぱい生っていて、また数日たてばたくさん採れるだろう。
あの時一緒に食べたヤマモモの実もよく熟れて、大振りで、甘酸っぱくて…。
そんなことを思い出し、小四郎丸と比沙子はほんのり幸せそうに笑った。
風にそよぐヤマモモ。ああ、時間が経ったのだと、感じ入る。胸中はいまだ複雑だ。不思議と凪いでいるようで、そのくせ今にも何かが溢れ出てきそうで…。けれど――
いなくなってしまった人を思い出すと未だ胸は痛むけれど、それだけではないでしょう?
小四郎丸はヤマモモの木を見つめ、眩しそうに目を細める。
周囲から散々人でなしとか感情がないとか言われていた子供だったが、そんなのは嘘だったと小四郎丸は知っている。
天草の一人息子の常磐には夏バテというものはなかった。熱した朝日の中でも寝覚めはすっきりといいし、炎天下の中のアイスは格別だと思っていて、寝苦しいはずの夜でも快適な睡眠を貪る。その反面、常磐より天草の家に長年居座り、すでに家族同然の扱いである小鬼(体長約六寸ほど)の小四郎丸は、夏にはめっぽう弱かった。
久しぶりに梅雨のじめっとした空気が乾き、からりとした空気が気持ちのよい朝。この時期には珍しく、小四郎丸は陽射しのきつい縁側から庭を眺めていた。
天草の家にはちょっと曰くありげなものが多い。
それは庭の池だったり花だったり木だったり石だったり…。
小四郎丸が見つめるそれも、彼にとってはちょっとした曰くつきのもののひとつだった。常磐にとっては何の変哲もないヤマモモの木であるが。
「ああ! もうそんな季節か」
常磐はそれを見つけ、声を上げた。小四郎丸が見つめるヤマモモの木には、赤い実がたわわに実っていた。
小四郎丸が縁側から庭に降りて、タタタとヤマモモの木に駆け寄り、見上げた。金色の目を瞬かせ、小四郎丸は黙って見上げる。
常磐も庭に下りて近づいた。
今年のヤマモモの実は、常磐が生まれてはじめてみるほどたわわに実をつけていた。
本当に見事に生っている。いままでこれほど見事なったことがあっただろうか。去年も一昨年もその前も、もっと小さかったはずだ。
「おいしそう」
ふと思い出す。そういえば先日、母比沙子が密封瓶を丁寧に洗って乾かしていた。母は毎年庭の梅で梅酒を作る。常磐にはアルコール抜きの梅ジュース(子供用)だったが。今年はそれに一品加えることができそうだ。
一粒とって、口に運ぶ。実から滴る果樹が指を濡らしたが気にならない。むしろその様子は実の熟成を思わせ嬉しくなった。
「うん、甘酸っぱい! 小四郎丸も食べてみろよ」
言って、一粒捥いで渡してやった。
小四郎丸は、なぜか、飴色の目をまん丸にして、それから恐る恐るというよりは恭しく、大切な宝物を頂くように、小さな両手でヤマモモの実を受け取った。
その仕草は常磐の目にやけに大げさに映った。敬虔で、厳かで、常磐は黙って見入ってるしかなかった。
小鬼の口が、赤い果実にかぶりつく。小四郎丸の口許にほんのりと、けれど染み入るような、深く深く喜びと悲しみを噛み締めるような微笑が浮かんだ。
そこにあった感情は間違いなく愛惜だった。
小四郎丸はとても小さい。玩具のような小ささで、子供のような仕草で動く。だから時々忘れそうになるが、こんななりでも小四郎丸は常磐よりずっと長生きで、ずっと色々な経験をしているわけで…。当然、胸に抱えているあれやこれやは子供の常磐に比べてたくさんあって…。
(歴史ってやつだ)
小四郎丸の小さな身体には、常磐の知らないたくさんの積み重なりがあって、たくさんのものが詰まっている。喜びとか悲しみとかもいっぱいあって、このヤマモモはきっとそのうちのひとつなのだ。
曰くありげなものが詰まった天草の庭の一角。このヤマモモは小四郎丸に縁の深いものなのだと、常磐ははじめて知った。ずっと一緒に暮らしていながら、いまさらに。
「集めよう!」
常磐は足元の小四郎丸と目を合わせるようにしゃがみこんでから声をかけた。
台所から持ってきた笊に、常磐と小四郎丸は熟れて収穫時のヤマモモの実を摘んでいく。最初はちょっと躊躇いがちだった小四郎丸も、今では大胆に遠慮なく実を捥いでいっては笊に投げ込んでいた。
小さな小四郎丸は、その小ささを上手く利用して、枝の奥まったところにあるよく熟れた実を上手く摘む。ヤマモモの枝は折れやすいが、小四郎丸は小さくて軽いから折れる心配もなく悠々だ。常磐は外側の手の届きやすいところから実を摘んでいく。日当たりのいいところはすでに黒ずんでいて、実を摘む瞬間跳んできた果汁が口の中に入ったりしてて笑った。時々小四郎丸が枝を振ると、赤い実がぼとぼとと落ちた。上手い具合に笊が受け止めてくれたものもあれば、地面に落ちてもったいないことになったものもある。そんなことにも笑い声を上げて、二人は実の収穫に夢中になった。
笊に詰まれたヤマモモの実は宝石のようにあざやかで、二人は笑顔になった。特に小四郎丸は本当にいい笑顔で、常磐もつられる。
「あら、たくさん採れたわねぇ」
笊に山盛りのヤマモモの実を見て、比沙子は歓声を上げた。
「甘酸っぱくておいしかった」
「あら、ホント。おいしい。今年は久しぶりに大きな実が生ったわね。ジュースにしようかしら。ジャムもいいわね。凍らしてゼリーも作りましょうか。ヨーグルトやアイスにも合うでしょうね」
「こんだけあったらいっぱい作れるよ」
「そうね。楽しみね。洗ってくるわね」
「おれがやるよ」
「そう? 洗いすぎないでね。埃を落とすくらいでいいのよ」
「はーい」
常磐は笊を持って台所に行った。その背中を比沙子と小四郎丸は見送った。
視線を下げて、比沙子は語りかける。
「久しぶりによい実が生ったわね。ここ何年もずっと小ぶりで、収穫もしてなくて…」
収穫しなかった理由は、本当は別にあった。比沙子はその理由を知っていた。
庭のヤマモモの木は、小四郎丸の友人が天草にくれたものだった。頂いてからの年月分大きくなっていた。その年月に思いを馳せると脳裏に浮かぶその姿。
棒切れみたいに細っこくて、いつも髪がぼさぼさだった。襤褸じゃないけれど着古した着物をヤマモモの果汁で赤く染め、頬張って種を飛ばしていた姿が思い出される。
小さな子供だった。いまの常磐と同じくらいだった。もしかしたらもう少し小さかったかもしれない。年齢はたぶんそう変わらないだろう。その小四郎丸の友人は、もういない。十年近く前の話だ。
あの子がいなくなったを機に、庭のヤマモモの木は存在を庭の隅に追いやられてきた。それは悲しいことだった。でも今年は見事な実を実らせ、あざやかに存在を主張した。
そろそろどうですか?
そんな風に語りかけられてるようだ。
強烈な個性を持った小さな子供の姿は、未だ記憶の中に褪せることなくそこにある。棒切れみたいな細腕で、生まれたばかりの常磐をあやしていた。人嫌いで知られ、人を寄せ付けず孤独だった子供は、意外にも赤ん坊をあやすのが上手で面倒見がよかった。
庭のヤマモモの木。実はまだいっぱい生っていて、また数日たてばたくさん採れるだろう。
あの時一緒に食べたヤマモモの実もよく熟れて、大振りで、甘酸っぱくて…。
そんなことを思い出し、小四郎丸と比沙子はほんのり幸せそうに笑った。
風にそよぐヤマモモ。ああ、時間が経ったのだと、感じ入る。胸中はいまだ複雑だ。不思議と凪いでいるようで、そのくせ今にも何かが溢れ出てきそうで…。けれど――
いなくなってしまった人を思い出すと未だ胸は痛むけれど、それだけではないでしょう?
小四郎丸はヤマモモの木を見つめ、眩しそうに目を細める。
周囲から散々人でなしとか感情がないとか言われていた子供だったが、そんなのは嘘だったと小四郎丸は知っている。