不思議な不思議なCO2
クソ暑い池袋駅で俺は座っていた。イライラしながらコーラを飲んでいた。
右を見ても左を見ても、カップル、カップル、カップルな土曜日の池袋駅。
(クソックソッ、リア充爆発しろ! 死ね!)とにかく俺はイライラしていた。
*
あれは昨日の事。朝、遅刻ギリギリで学校に着いた俺は、大慌てでいつものように下駄箱を開けた。するとそこには何やら封筒みたいなモノが一つ。淡い桃色の封筒には、丁寧に可愛らしい人気キャラクターのステッカーで封がしてあった。
ホームルームが終わってから、トイレの個室でこっそり中身を確認する俺。
Dear 高彰
この高校に入学した時からあなたが好きでした。お返事が欲しいので、今日の放課後、大クスノキの下で待っています。
From 真利香
封筒と同じく淡い桃色の小さな便箋にはこう書いてあった。
ラブレター。
俺には初めての経験だった。ベタなシチュにベタな内容。それでも俺は大空を飛んでいるような錯覚を覚えるほどの喜びに、トイレの中で酔いしれていた。
しかし放課後、約束の大クスノキの下に行ってみると、そこに『真利香さん』の姿は無かった。代わりにいたのは、
「よう、バカアキ」クラスのリーダー格、斉藤だった。クラスの中で一番モテて喧嘩が強いが、なまじ勉強ができることから教師からも特に咎められることのない……そんな奴だ。
「フン、たっぷり可愛がってやるぜ……」そのセリフを聞いて、俺は次にされることを大方理解した。――ぶん殴られると。
*
昔から殴られることには慣れっこだ。俺は昔から苛めの対象なのだから。俺が殴られたところで、困る奴は俺を含めて誰一人いない。
それに、どうせ学校教師は事なかれ主義の連中ばかりだ。俺がチクったところで、「お前が何かしたんじゃないのか?」とかなんとか言われるのが関の山なのは、小学校の時の経験から分かっていることだ。つまるところ、俺はどの道殴られる為の人間なのだ。
でも、昨日の件だけは別だった。俺を殴る、そんな下らない理由で、恋愛経験ゼロの俺を嘘ラブレターで騙して下さったのだから。普段めったに怒らない俺の腸(はらわた)は、今日になっても溶岩の如く煮えくり返りまくっていた。
そんなイライラしている時に、姉からの間の抜けたセリフ、
「今日、池袋のファシュランでジェラートの安売りがあるから、タッ君買って来て〜。じゃ、お願いね♪」
と来たもんだ。うるせえ! と罵倒するもむなしく姉から財布を投げつけられ、家を追い出された。
それで俺はイライラしながら、アイスクリームがたっぷり入った保冷バッグを持って、池袋駅でコーラ片手にボーっと電車待ちをしているというわけである。昨日の出来事が出来事なだけに、周りのイチャイチャカップル祭りが一層俺のイライラを引き立てていた。
そのカップルの中に、見慣れた男と見知らぬ女の子のカップルがいた。二人は抱き合っているように見えた。女の子は美人だった。ほっそりとしているが女性特有の丸みを帯びた身体、お人形のように整った愛嬌ある顔、黄色いワンピースがよく似合っていた。そしてその相手、見慣れた男性は……間違いなく斉藤だった。
散々俺を馬鹿にした挙句、こんなところで女とイチャついているアイツを俺は許せなかった。俺は急いでコーラを飲み干す。そして空になったペットボトルに、俺はジェラートに添付されたドライアイスを無我夢中で入れていた。自分が何をやっているのか、自分でも分からなかった。だが、今まで馬鹿にされ殴られていたことを思うと、それくらい安いことのように思えた。少しくらいワルになっても許されるような気がした。後は蓋を閉め、あの野郎目がけて投げれば終わりだ。
だが、俺のターゲットはあくまでも『斉藤』だ。『カップル』じゃない。被害者が増えることを俺は望んでいない。目的は斉藤のみ。だから俺は叫んだ。
「そこの黄色いワンピースのお姉さん、よけて!」
叫ぶや否や、俺は斉藤に向かって『爆弾』を投げた。七百五十倍に膨れあがったドライアイスと、落下した衝撃に耐え切れず、ペットボトルは爆ぜた。
*
見事にボトルが砕けた瞬間、俺の頭は真っ白になっていた。
「駅員さん、お巡りさん、こっちです!」
その声を聴いた瞬間我に返った俺は、大惨事のホームを尻目に猛進した。
「あ、待ちなさい!」追いかけてくる警官らしきオッサンたち。
逃げ足には自信があった。小さい頃から、無駄に足だけは速いのだ。Suicoca(スイコカ)でタッチ&ゴー。俺はサンシャインビルの方へと駆けていった。
警官たちは鬱陶しくもまだ追いかけてくる。しかし、彼の表情には明らかに疲れが見え隠れしていた。
(ハハッ、ざまぁ)
警官とはいえ、四十を超えたオッサンだ。十代青春真っ盛りの若者の足には敵わないのだろう。俺は今なお全力疾走だ。
そのスピードを保ちながら、俺は高くそびえるサンシャインビルへと逃げ込んだ。そして迷わず、室内テーマパークの人混みに紛れ込むことにした。三百円の無駄な出費が出てしまったが、奴らを巻く為なら安い額に思えた。僕はパーク内の人気アトラクションの方向へと足を運んだ。人混みは好かないが、混んでいれば混んでいるほど、俺の存在は目立たなくなるからだ。しかし、テーマパークたるものには必ずデート中のカップルがいるわけで、俺が人混みの中で池袋駅の時と同じイライラを味わったのは言うまでもない。
*
俺はいつの間にか、下らないことこの上ないライド系アトラクションに乗り込んでいた。正直、早く降りたいというのが本音だった。
しかし俺は大事なことを考慮していなかった……出口で奴らが待ち伏せている可能性を。
マヌケ。この一言に尽きる。
気付いた瞬間、俺は全身から血という血が引いていく、そんな感覚を味わった。その熱いような寒いような感覚が、むしろ小気味よくすらあった。
そんなスリリングな感覚を味わっているうちにアトラクションが終わった。こんな下らないアトラクションに、もっと長く乗っていたいと心から思ったのはおそらく初めてだろう。
ちゃちな車に後ろ髪を引かれながら俺はアトラクション出口へと向かった。アトラクションブースを出ると同時に、俺はキョロキョロと辺りを見渡してみる。幸い追っ手らしき人はどこにも見当たらなかった。
(ふう、どうやら杞憂だったようだな)そう思ったのも束の間、『背後から』低めの声が響く。
「やあ、ちょっといいかな」
恐る恐る俺は振り向く。そこにはただのスーツを着たオッサンが一人突っ立っていた。
「……何ですか」俺は軽く舌打ちしながら、気怠さ全開で返答する。
「いや、僕、警視庁の者なんだけどさ、」テンプレの警察手帳が一冊。「君、四十分前に池袋駅にいたよね?」
私服警官。状況からしてそれ以外にはあり得ない。
(……やられた)俺は完全に敗北を悟った。
「じゃあ、池袋署の方へ同行願おうか」
――もう、全てを失ったんだ。
完全に諦めて、俺は警官におとなしく連れて行かれることにした。
*
警視庁池袋署にて。
俺は唖然としていた。今の状況が全く理解できなかった。
右を見ても左を見ても、カップル、カップル、カップルな土曜日の池袋駅。
(クソックソッ、リア充爆発しろ! 死ね!)とにかく俺はイライラしていた。
*
あれは昨日の事。朝、遅刻ギリギリで学校に着いた俺は、大慌てでいつものように下駄箱を開けた。するとそこには何やら封筒みたいなモノが一つ。淡い桃色の封筒には、丁寧に可愛らしい人気キャラクターのステッカーで封がしてあった。
ホームルームが終わってから、トイレの個室でこっそり中身を確認する俺。
Dear 高彰
この高校に入学した時からあなたが好きでした。お返事が欲しいので、今日の放課後、大クスノキの下で待っています。
From 真利香
封筒と同じく淡い桃色の小さな便箋にはこう書いてあった。
ラブレター。
俺には初めての経験だった。ベタなシチュにベタな内容。それでも俺は大空を飛んでいるような錯覚を覚えるほどの喜びに、トイレの中で酔いしれていた。
しかし放課後、約束の大クスノキの下に行ってみると、そこに『真利香さん』の姿は無かった。代わりにいたのは、
「よう、バカアキ」クラスのリーダー格、斉藤だった。クラスの中で一番モテて喧嘩が強いが、なまじ勉強ができることから教師からも特に咎められることのない……そんな奴だ。
「フン、たっぷり可愛がってやるぜ……」そのセリフを聞いて、俺は次にされることを大方理解した。――ぶん殴られると。
*
昔から殴られることには慣れっこだ。俺は昔から苛めの対象なのだから。俺が殴られたところで、困る奴は俺を含めて誰一人いない。
それに、どうせ学校教師は事なかれ主義の連中ばかりだ。俺がチクったところで、「お前が何かしたんじゃないのか?」とかなんとか言われるのが関の山なのは、小学校の時の経験から分かっていることだ。つまるところ、俺はどの道殴られる為の人間なのだ。
でも、昨日の件だけは別だった。俺を殴る、そんな下らない理由で、恋愛経験ゼロの俺を嘘ラブレターで騙して下さったのだから。普段めったに怒らない俺の腸(はらわた)は、今日になっても溶岩の如く煮えくり返りまくっていた。
そんなイライラしている時に、姉からの間の抜けたセリフ、
「今日、池袋のファシュランでジェラートの安売りがあるから、タッ君買って来て〜。じゃ、お願いね♪」
と来たもんだ。うるせえ! と罵倒するもむなしく姉から財布を投げつけられ、家を追い出された。
それで俺はイライラしながら、アイスクリームがたっぷり入った保冷バッグを持って、池袋駅でコーラ片手にボーっと電車待ちをしているというわけである。昨日の出来事が出来事なだけに、周りのイチャイチャカップル祭りが一層俺のイライラを引き立てていた。
そのカップルの中に、見慣れた男と見知らぬ女の子のカップルがいた。二人は抱き合っているように見えた。女の子は美人だった。ほっそりとしているが女性特有の丸みを帯びた身体、お人形のように整った愛嬌ある顔、黄色いワンピースがよく似合っていた。そしてその相手、見慣れた男性は……間違いなく斉藤だった。
散々俺を馬鹿にした挙句、こんなところで女とイチャついているアイツを俺は許せなかった。俺は急いでコーラを飲み干す。そして空になったペットボトルに、俺はジェラートに添付されたドライアイスを無我夢中で入れていた。自分が何をやっているのか、自分でも分からなかった。だが、今まで馬鹿にされ殴られていたことを思うと、それくらい安いことのように思えた。少しくらいワルになっても許されるような気がした。後は蓋を閉め、あの野郎目がけて投げれば終わりだ。
だが、俺のターゲットはあくまでも『斉藤』だ。『カップル』じゃない。被害者が増えることを俺は望んでいない。目的は斉藤のみ。だから俺は叫んだ。
「そこの黄色いワンピースのお姉さん、よけて!」
叫ぶや否や、俺は斉藤に向かって『爆弾』を投げた。七百五十倍に膨れあがったドライアイスと、落下した衝撃に耐え切れず、ペットボトルは爆ぜた。
*
見事にボトルが砕けた瞬間、俺の頭は真っ白になっていた。
「駅員さん、お巡りさん、こっちです!」
その声を聴いた瞬間我に返った俺は、大惨事のホームを尻目に猛進した。
「あ、待ちなさい!」追いかけてくる警官らしきオッサンたち。
逃げ足には自信があった。小さい頃から、無駄に足だけは速いのだ。Suicoca(スイコカ)でタッチ&ゴー。俺はサンシャインビルの方へと駆けていった。
警官たちは鬱陶しくもまだ追いかけてくる。しかし、彼の表情には明らかに疲れが見え隠れしていた。
(ハハッ、ざまぁ)
警官とはいえ、四十を超えたオッサンだ。十代青春真っ盛りの若者の足には敵わないのだろう。俺は今なお全力疾走だ。
そのスピードを保ちながら、俺は高くそびえるサンシャインビルへと逃げ込んだ。そして迷わず、室内テーマパークの人混みに紛れ込むことにした。三百円の無駄な出費が出てしまったが、奴らを巻く為なら安い額に思えた。僕はパーク内の人気アトラクションの方向へと足を運んだ。人混みは好かないが、混んでいれば混んでいるほど、俺の存在は目立たなくなるからだ。しかし、テーマパークたるものには必ずデート中のカップルがいるわけで、俺が人混みの中で池袋駅の時と同じイライラを味わったのは言うまでもない。
*
俺はいつの間にか、下らないことこの上ないライド系アトラクションに乗り込んでいた。正直、早く降りたいというのが本音だった。
しかし俺は大事なことを考慮していなかった……出口で奴らが待ち伏せている可能性を。
マヌケ。この一言に尽きる。
気付いた瞬間、俺は全身から血という血が引いていく、そんな感覚を味わった。その熱いような寒いような感覚が、むしろ小気味よくすらあった。
そんなスリリングな感覚を味わっているうちにアトラクションが終わった。こんな下らないアトラクションに、もっと長く乗っていたいと心から思ったのはおそらく初めてだろう。
ちゃちな車に後ろ髪を引かれながら俺はアトラクション出口へと向かった。アトラクションブースを出ると同時に、俺はキョロキョロと辺りを見渡してみる。幸い追っ手らしき人はどこにも見当たらなかった。
(ふう、どうやら杞憂だったようだな)そう思ったのも束の間、『背後から』低めの声が響く。
「やあ、ちょっといいかな」
恐る恐る俺は振り向く。そこにはただのスーツを着たオッサンが一人突っ立っていた。
「……何ですか」俺は軽く舌打ちしながら、気怠さ全開で返答する。
「いや、僕、警視庁の者なんだけどさ、」テンプレの警察手帳が一冊。「君、四十分前に池袋駅にいたよね?」
私服警官。状況からしてそれ以外にはあり得ない。
(……やられた)俺は完全に敗北を悟った。
「じゃあ、池袋署の方へ同行願おうか」
――もう、全てを失ったんだ。
完全に諦めて、俺は警官におとなしく連れて行かれることにした。
*
警視庁池袋署にて。
俺は唖然としていた。今の状況が全く理解できなかった。
作品名:不思議な不思議なCO2 作家名:新開地翔