榊原屋敷の怪
終章 夜明け
その時突如ツバキが胸を押さえて苦しみ出した。
「どうした、大丈夫か?」
心配そうにユキオが屈みこむ。
私と叔母さんは不安気に顔を見合わせた。
「私の中の怨念が……吸収した人々の怨念が……また暴れ出してる……!」
その時凄まじい音を立てて床に落ちていた人形が砕け散った。
変わりに今まで人形があった場所にはどす黒いオーラを放つ、邪悪な物体が残っていた……。
「伏せろ!」
ユキオの言葉と共に私たちはあわててしゃがみこんだ。
私たちの頭上を恐ろしく禍々しい気配が通過して行く。
しばらくして顔を上げるとあの物体がこの部屋を出て屋敷に向かって行ったのが分かった。
「クソ……まずいぞ……」
真っ青な表情でユキオが言った。
次の瞬間私はまるで見えない壁が体を押しつぶそうとしているかのような痛みを感じた。
凄まじい痛み、このままじゃ本当に潰されちゃう……。
「叔母さん……苦しい……潰れちゃう……」
私は縋る様に叔母さんを見上げた。
しかし叔母さんもまた私と同じように苦悶を表情を浮かべている。
「これは……一体何が……?」
叔母さんがユキオに尋ねる。
彼は顔を真っ青にしたまま答えた。
「今まで溜まっていた怨念が一気に噴き出したんだ。恐ろしく強い怨念がこの屋敷を包み込んでいる」
そんな……やっと終わったと思ったのに、これじゃあ……。
「そんな……じゃあどうすれば良いの?」
「それは
「再び蔵に封じ込めるの」
ツバキがいくらか落ち着いた表情で立ちあがりながら言った。
そうだ……その手があった……!
「そうよ……!もう一度蔵に封じ込めれば良いんだわ……!」
叔母さんが歓喜の声を上げながら部屋を出ようとした。
しかしユキオが叔母さんの手を掴みそれを阻む。
「この上は危険だ、邪悪な怨念に満ちている。それに仮に蔵にたどり着けたとしても特殊な術を持たない僕らには怨念を人形に封印するこどなど出来ない」
「そんな……じゃあどうすれば良いのよ!?」
叔母さんが半ばパニックに陥った様子で叫ぶ。
「もう一度私が怨念を吸収し、それから私を蔵に閉じ込めれば良いわ。蔵にはすでに結界が施されている」
ツバキの言葉にユキオは驚愕の表情を彼女に向けた。
「鐔鬼……本気か?これほどの怨念を吸収したら君もただでは済まないぞ」
「それでも構わないわ。これがせめてもの罪滅ぼし……それに元はと言えば私が撒いた種だもの、責任は取るわ」
そう告げるツバキの顔には決然とした勇ましい表情が浮かんでいる。
ツバキは屋敷の方に向かって歩き出そうとした。
その手を掴んで雪夫が引きとめる。
「待てよ今度こそ一緒だ。もう君を独りになんかさせたりしない」
「ユキオ……」
それからユキオは私たちに向き直って言った。
「君たちはここで待っていてくれ。僕らがなんとかする」
*
鐔鬼と雪夫は床扉を出た。
それと同時に凄まじい怨念が彼らを包み込む。
あまりにも怨念が重いため鐔鬼はグラリとよろめいた。
倒れそうになる彼女を雪夫が支える。
「しっかり」
「ありがとう」
雪夫の支えを借りながら鐔鬼はなんとか体制を立て直した。
「さぁ、行こう」
「えぇ」
雪夫と鐔鬼はしっかりと手を握り合いながら裏庭に出る。
そこから屋敷を見上げ二人は呆然とした。
予想以上の怨念の大きさに。
「まさかこんなに……」
怨念によって空はどす黒く変わりその模様は骸骨の顔の様に見えた。
ゴクリと唾を飲み込みながら蔵の前に移動する二人。
「あんた達!」
鐔鬼が屋敷の上の骸骨に呼びかける。
骸骨らしきその顔はゆっくりと彼女たちの方に顔を向けた。
ぞわりと背筋を冷たい物が走る。
しかしそれには怯まず鐔鬼は叫んだ。
「依り代がほしいならこっちにもいるわよ!」
そう言って鐔鬼は怨念のエネルギーを迎え入れるために両手を広げる。
「そんな屋敷よりお得だぜ!」
雪夫も同じように両手を広げた。
それから二人は同時に叫ぶ。
「「さぁ、来い!!」」
*
体を押しつぶす様なあの痛みが消えた。
いつの間にかあの禍々しい気配もすっかり消えている。
床に倒れていた私はよろよろと立ちあがった。
「二人がやってくれたんだわ」
叔母さんが天井を見上げながら言った。
それから叔母さんは屋敷の方向に歩き出す。
「何処行くの?」
「二人を見送るのよ。せめてお礼くらいは言ってあげたいわ」
うん……確かにそうだ。
私も二人にお別れを言いたい。
「私も行く」
私がそう言うと叔母さんは嬉しそうに笑った。
「うん、きっと一人よりも二人に見送られる方が嬉しいわよ」
叔母さんに手を引かれ私たちは屋敷に戻った。
あの禍々しい気配や凍りつく様な冷気がないためかまったく別の場所の様に感じる。
裏庭に出て、蔵の前に移動するとツバキがユキオに支えられて倒れていた。
「鐔鬼……まさか君一人で……?」
悲しげな声で言うユキオ。
まさか……ツバキはあの怨念を全て一人で受け止めたというのだろうか。
そんなユキオの頬をツバキは優しく撫でた。
それから弱々しい笑みを浮かべて言う。
「だって……雪夫に負担かけたくなかったから……」
「馬鹿……!一人で背負い込むなよ……!」
ユキオが声を荒げた。
「蔵の中に残るのは私だけで良い。あなたは外で空からの迎えを待って」
微笑を浮かべながらツバキはよろよろと立ち上がる。
それから蔵の方に向き直った。
「私が扉を閉めるから」
しかし蔵に入ろうとする彼女の手をユキオが掴んで引きとめた。
「待てよ。中に入るのは二人一緒だ。もう君を独りにしたりしない」
そんなユキオに今度はツバキが声を荒げた。
「あなたには苦しんでほしくないのよ!貴女だけは天国に行ってほしいの!」
そんなツバキの言葉をユキオが遮る。
「それは僕も同じだ。僕だって君に苦しんでほしくない」
そう言われてツバキは口を噤んでしまった。
こう言われては言い返しようがない。
そんな二人のやり取りを聞いているう内に私の目にも涙が浮かんで来た。
「だから一緒に行こう。苦しむのは二人一緒だ。二人なら何も怖くない」
そんなユキオの言葉を聞いてツバキの目から涙が零れた。
「雪夫……!」
叫びながらツバキがユキオに抱きつく。
そんなツバキをユキオは優しく受け止め二人はきつく互いを抱きしめ合った。
今まで抑えていた感情が一気に噴き出したかのようにツバキは叫んだ。
「絶対に離さないで……もう私を独りにしたりしないで……!」
「あぁ、絶対に君を離さない。僕たちはずっと一緒だ」
次の瞬間突如空が眩く光った。
夜空の隙間から眩い光の柱が降りてくる。
その光の柱は蔵の前で抱きしめ会う二人の姿を照らし出した。
「叔母さん……あの光は何?」
そんな私の問いかけに叔母さんは鼻をすすりながら答えた。
「天国からのお迎えよ」
「本当……!?」
あぁ、きっと天の神様が二人に救いの手を差し伸べてくれたのだ。
私は心の底から神様に感謝した。
光の柱の中で二人の姿が徐々に薄れて行く。
完全に姿が消えるまで二人はずっと互いを抱きしめていた。
「良かったね二人とも……」
私は鼻をすすりながら光の柱に手を振る。
叔母さんも同じように手を振っていた。
「ずっと幸せにね」
しばらくしてゆっくりと光の柱が姿を消した。