最初で最後の恋(永遠の楽園、前編)
「それから、それから..沢.沢尻さんの事が 片時も忘れられなくて、だから、連絡できなくて、ほんとに、ほんとにごめんなさい。」
「は…..」
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ああ、智子の言った事は本当だった。
私達は 神の決めた運命の船に乗ったのだ。
彼はまた、深呼吸の気配のあと、ゆっくり言った。
「だから、だから、今すぐ…」
私は涙のあふれる目を 天井に向けて、答える。
「逢いたいです。」
彼と同時だった。
芝浦のフェリー乗り場の近くにあるレストランは 平日ですいている。
私はこの待ち合わせ場所に先に付いて、窓越しの席についた。
埠頭ごしの夜景を眺める余裕はない。
後悔していた。今迄、まともに化粧など、したことがなく、また、周りのみんなのように洒落た洋服も持っていない私は、それでも、精一杯の化粧と一番気に入った洋服を選んで、来たのだが、どうして、準備をしなかったのだろう。
山だったら、何日も前に綿密な準備をしているのに。恋の病気はなにもかも狂わせる。
いつものように 紙ナプキンをくるくる丸めるわけにもいかず、私の心臓の鼓動は壊れた目覚まし時計のように 暴れていた。
ゆっくりと入口のドアを開け、彼は近づいて来た。もう我慢ができず、紙ナプキンをテーブルの下でくるくるし始めたが、いっこうに鼓動は収まらない。
うつむいている私の前に洗いたての髪の香りがして、彼がいる。
紙ナプキンは いっそう早く、まわりだした。
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彼は 私の前に立ち、声をかける。
「夜分、どうもすいません。高倉です。」
「さ、沢尻です。」
ゆっくり 顔をあげ、彼を見る。
数日前に見たのに、もう何年も見ていない様な気がする。
やはり透明に見えた。世の中に存在しないほど、無垢に見えた。
不思議と胸の高鳴りもやみ、あふれ出るだろうと思っていた涙も出ない。
二度目の目の前の彼はやっぱり透明で、瞬時に私をやさしく包んだ。私を支配していた不安や焦燥は、消え去った。
二人の空間は、まるで水のように溶けあい、私は目を閉じる。彼の唇の感触が自然に重なり、目眩に似た幸福感が私を包んだ。
「お食事は、まだですか。」
唇をはなして、彼は尋ねる。
「済ませてきました。」
彼は飲み物を注文して、改めて、私を見た。
「やっぱり、そうです。澄んでいる 透き通って見えます。
出逢えてよかったです。本当に。」
「私もです。本当によかった。」
アイスコーヒーを飲んでいる間、二人は何も話さなかった。溶け合った空間にひたっていた。
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店を出て、彼に導かれるまま、埠頭に向かった。風はなく、十四番目の月が白い傘とともに海に写っている。
彼は白い繊細な手で私を抱きしめると 「良かった。あえて本当に良かった」と言いながら、私をやさしく 包み込んだ。
月の光は 二人のこれからの運命を焼き付けるように二人を照らし続ける。
それから二人は自然に溶け合った。
ベッドの隣で、軽い寝息を立てている彼の腕からそうっと抜け出し、カーテンを少し開ける。今晩の二人を見届けた、月に感謝しよう。
ホテルの窓から見る月は,さっきはあれほど、輝いていたのに、いつの間にか、黒い雲におおわれて、見えなくなっていた..
私は急に不安になって、彼の寝顔をみた。
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(二)
私の三十回目の誕生日、秋晴れの青山通りを、私と最愛の彼、智子の三人で、山岳部時代のもう一人の親友、美咲の所に向かっていた。
先に、渋谷の登山店クライマーに寄り、店主の田中さんには報告済みだった。
私たちは、出逢って瞬く間に、恋の熱風にのり、婚約したのだ。
来月、谷川岳の麓のロッジで 友人たちだけを招いた、結婚式をあげることになっていた。
彼は友人はいないので、いとこを参加させるという。
彼は友人がいない訳、そして透きとおって見える訳を、あの最初の夜、埠頭で、話してくれた。
「けいさん、僕は、あの阪神の震災で、家族で一人だけ、救助されたんです。両親と姉は亡くなってしまった。
僕はまだ、小学生でガレキの間に挟まれたんですけど、生き残ったんです。
最初は、母と姉の苦しそうな声がずっと、聞こえてて、僕は助けて、誰かみんなを助けてって、ずっと叫んでたんだけど、喉が腫れて口から血が出て、声がでなくなってしまって。
それから、姉さんの声がきこえなくなり、母の声が消えました。
僕はそれから、ガレキの中でじっとしていたんです。
僕は怖かった、死ぬことより、救助されて現実を知る事が怖かったんです。
このまま、みんなと一緒にここに居させてくれって思ったんです。神様にもお願いしました。
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でも、急に周りが明るくなって、大人たちの大きな声が聞こえて、気がつくと僕は病院にいたんです。
僕は声が出なかったんで、紙に かぞくのみんなはどこにいるのって書いて看護師さんに聞いたんです。
大丈夫、みんなが頑張ってるから大丈夫、だから、弘君も安心してゆっくりしようね。
って言ったです。
叔母さんは泣きながら、ずっと大丈夫だから、大丈夫だからって僕を抱きしめてました。
それから、僕は身体は治ったんですけど、人と会うのが怖くなってしまって、叔父の家にひきとられたんですが、学校にもいけず、引きこもっていたんです。」
あの最初の夜、埠頭にふりかかる月の光の下、私の顔をもう一度、ゆっくり確認しながら、彼は続けた。
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「半年前、夢を見たんです。いえ、金縛りというんですか。僕は、毎日本ばかり読んで暮らしていたんですけど、読み終わって、ノートに感想を書いていたんです。
朝方でした。隣はお寺なんですけど、いつものように お経の声がかすかに聞こえて、お線香の香りがしたんです。それに重なるように木蓮の香りがして 気持ちが良くなり、目をつぶり、寝てしまったんです。
目がさめると 母が 昔のように エプロン姿でいました。
僕は、 抱きつこうとしたんですが、声も出ないし、身体も動かなかったんです。
母はあの頃のままでした。そして言ったんです。
寂しい思いをさせてごめんなさいね。弘。
みんなは 楽園にいます。そう、あの永遠の楽園にいます
外に出なさい。一緒に楽園に来る女性が近づいてますよ。
そう言うと、母は消えたんです。
僕は思い出したんです。母が話してくれた 昔話を。
スサノオオが退治した、ヤマタノオロチは 四組の夫婦だったんです。
作品名:最初で最後の恋(永遠の楽園、前編) 作家名:ここも