献帝
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壮烈な個性を持った人物とばかり関わりを持ってきたことを思い返すと、帝位を失った朕の人生もまた、一筋縄ではいかない、浮沈を繰り返した、波乱万丈の人生であったと思いなすことができようか。あの男、董卓の力強い生命力の中に見受けられた粗暴の気。漢王室の伝統を意に介することなく、朕を皇帝として担ぎあげることだけはためらいなく行って、自身は決して皇帝の地位にのぼり地上を睥睨しようとしなかった男。どうしてあんな男が朕と同じ大地に生を受けて、同じものを喰い、同じ空気を呼吸しているのかと訝ったものである。あの北戎の権化のような男に見守られて朕は成長した。しかし子供ながらに、彼のあの生命力は朕にはないものであり、また、あってはならぬものであるという意識を強く持ったことを憶えている。
――劉協、そなた、北の大地を見たことはあるまい? あるとき董卓はこう訊ねた。朕はこの質問にどう答えればよいか、わからなかった。漢の皇帝である朕に向かって、「そなた」と云うは他にだれあろう董卓のみであったし、またそれを不敬であると思わせぬだけの周りの空気を巻き込むような強引さを雰囲気として纏っていた。朕はそれにどのように答えたのであったか――確か、一度、見てみたいものである、とでも答えたような記憶があるが、定かでないのはおそらく董卓の印象が強すぎて、朕の感情が細切れにされてしまっていたからに相違あるまい。
董卓が都城洛陽に入る前、朕は十常侍の張譲に連れられて洛陽郊外に出ていた。それは彼が他の十常侍と図って大将軍何進を宮中に呼び出して暗殺し、そのために董卓と内通して朕を引き渡そうとしたのであったが、その張譲も、盧植に追い詰められて命を絶ったということである。その後、董卓に庇護されて再び都城に戻ったはいいが、それからはもう、緊張を解くいとまもないほどに、ぴりぴりした日々を送るしかなかった。
いま遠き日のことを思うと、あれほど辛いと思っていた時代が、実はそれほど苦労を必要としていたわけでなく、自分さえ強く持っていれば、さほど心を砕くこともなく、生活を保つことができていたという点で、幸せであったのかもしれない。むしろ、この今の状況、無理やり玉璽を奪われて、帝位を剥奪され、曹操の息子である曹丕の前に傅かねばならなくなったいまの自分のみじめさの方を辛く思ってもみるのである。とはいえ、それを屈辱と感じていない自分がいることはまったくの不思議でもあった。むしろ、董卓によって異母兄の先帝劉弁から帝位を受けるに至ったときからずっと考えていた、朕は皇帝でありながら、実は下吏以上に自由を束縛された存在ではないかと云う一種の憂鬱。その頃から、いつかはこういう日が来るであろうことを予測していたのである。
董卓は私が皇帝であることを利用したのではない、とは強く主張できることである。私が皇帝でなく箏曲の名人であったとしても、おそらく、私を見て、傍に置いたものであろうということが意識されるのだ。それは自身を買いかぶって云っているのではない。そうではなくて、むしろ、あの董卓の心を敲つような、何かほんの些細な面で普通ではない何かがこの朕の中にも秘められていたことをあの男は見定めたのであろう。
恐ろしいことである。あの董卓に見染められたということ。 それは恥ずべきことであるかもしれない。また、朕自身が持っている悲劇性を現わしているのかもしれない。董卓、字を仲穎。何の因果でこの男を仰ぎ見ながら漢の皇帝として立ち続けなければならなかったのか。朕はそれを思うと、胸が苦しくなってくる。