古都・純情物語 1(1~4章)
第1章
昭和50年秋
優一は「うなぎの寝床」と称される
間口3間足らずの町屋の玄間の引き戸をひらき
「おかあちゃん、ほな、行って来るわ!」中を振り返り、
ジャガード織機の音がやかましい奥に向かって、言葉を投
げて走り出た。
「あら、優ちゃん、これからお出かけどすか?ひょっとして、おデート?」
軒下の菊の鉢を手入れしていた隣家のすえこに声をかけられる。
「ああ、おばちゃん、そんなんちゃうで。これからバンドの練習やねん。藤井大丸、行って来るわ。」
「ああそうか、楽隊の練習どすか。行っておいでやす。
おはよう御帰り♪(^0_0^)」
「ほな♪」そう言って、優一は三筋表のバス通りまで、重いベースギターの入ったハードケースを手に、濃紺で腕に三本線の入ったウインドブレーカーの腕を振りながらまた歩き出した。
優一の鼻先を、何処かの軒下で咲く甘い金木犀の香りがかすめた。
(エエ匂いやナ~♪ もう、秋やな♪)
十月も半ばを過ぎると、昼の三時頃を境に、陽は急速にその勢いを失っていく。
優一の左側に長い影が伸びて、共に足を速めた。
優一を乗せたバスは、
丸太町通りを東に行って、烏丸通りを南に折れた後、
再び河原町通りを東に折れた後、寺町で下ろした。
ここは京都市内でも、最もにぎやかな【新京極通】のまん前である。
日本各県の中・高校生のほとんどが、一度は修学旅行で来たはずだ。
気候的にも過ごしやすいこの季節は、色々な詰襟やセーラー服の、修学旅行生と思しき学生でひしめいていた。
【藤井大丸】はそんな新京極通の南側入り口のまん前にあり、同じく河原町通りに店を構える【高島屋】【大丸】の【老舗デパート】とはまた違った【客層】で特徴があった。
『若者のファッション発信地・藤井大丸♪』
事実、このデパートの客層は20代前後の若者が多く、『呉服屋上がり』の高島屋・大丸には無い若者ファッションの発信地だった。
それ故に、単にファッションのみならず、【若者文化の発信】も意識していたのか、一階の表通りに面した大きなウインドーでは定期的にラジオの【サテライトスタジオ】を開催していたりした。
また館内4階の楽器店には、京都の大型楽器店【十字屋】が入り、その一角に【レンタルスタジオB-1】はあった。
優一とそのバンド仲間は週2回、B-1で練習を行った。
レンタル料は1時間1,000円
今なら何て事のない金額だが、当時ウエーターのアルバイトの時給が250円の時代であった。
毎回の練習時間が2時間で2,000円、週2回で4,000円、メンバー5人で割り勘にしても1人あたり800円の週あたりの出費は当時の彼らには大きかった。
優一がB-1に着くと、既にメンバーの浩司と俊夫がいた。
「オッス!(^^)/」
「おっす!(*^^)v」
「武と李ちゃんは?」
「リーダー、あの二人が時間通り来まっかいな^^;・・」
半分ちゃらけて俊夫が言う。
「・・・そら、そやな^^;・・」
優一も妙に納得した。
高校の同級生で、【京みやこ看護短大】の大井泰子から、短大の学園祭への出演を依頼されたのは2か月前だった。
その本番の10月末まで、も2週間を切っている。
バンドリーダーの優一は、予定している演奏曲の仕上がりが遅れていることに、少しいらだっていた。
しかしその優一を【納得させるほど】武と李(リ)はマイペースだった。
ところが、ふたりとも憎めない性格で、メンバーのなかで彼らを悪く言うものは居なかった。
元々、優一、俊夫、武は同じ京都府立京南高校の同級生で、特に武と優一とは中一からの親友だった。
俊夫とは高1の時同級生になり、もう一人の同級生『山木昭次』を加えた4人でバンドを結成したのが高校三年の時だった。
目標は【高校生活最後の文化祭ステージ♪】
受験を控えた大事な時?ではあったが、勉強そっちのけでバンドの練習に没頭♪^^;・・
その結果、文化祭での優一達のバンドは大喝采を受けた♪(^_-)-☆
但し、俊夫と昭次は
受験に失敗した
第2章
「ねえ、大井さん、ホンマに来てくれるバンドの人のギャラ、
要らんの?」
瑛子は同じ学園祭実行委員の大井泰子に尋ねた。
「大丈夫、大丈夫♪あの人ら、【女子短大の学園祭】って言うただけで、二つ返事でオッケーやもん♪(^。^)y-.。o○」
泰子は寮内で禁じられている煙草を燻らせながら言った。
「そやかて・・・・(+_+)・・」
瑛子と泰子は【京みやこ看護短大】の2回生。
10月末に行われる学園祭、【恒例・都祭り】の実行委員だった。
都祭には大学側から約20万円の【都祭予算】が与えられていたが、いくら小規模の短大と言えど、2日間の学祭を運営するには十分とは言えなかった。
その為、都祭の実行委員は学祭のパンフレットに近くの商店街の宣伝を入れるなどで宣伝費を得るなどしてはいたが、更に切り詰める必要はあった。
「だって、最終日の打ち上げ費もいるし、切り詰めるところは切り詰めんと・・・大丈夫やって♪(^_-)-☆」
「そうかな・・(・_・;)・・・」
瑛子は納得しかねていた。
「大丈夫やってぇ~♪ウチに任しとき♪(^。^)y-.。o○な?瑛子ちゃん♪」
「・・・・・・・・・・・」
瑛子は強引な泰子の言葉に押し切られた。
藤 瑛子 19歳
京みやこ看護短大 二回生
実家は大阪だが、全寮制の為大阪に帰るのは
月に1度有るか無いか
瑛子の母親も現役の看護婦だった。
幼い時から、瑛子は自分も母のような看護婦に
なると決めていた。
、
女子寮には一学年約50名、三学年計150名の看護婦
の卵達が、三年間の勉学を全寮生活の中で勤しんでいた。
しかし、遊びたい盛りの彼女たちにとって、門限や様々な
制約のある寮生活は、
決して快適なものとは云えなかったが・・・
授業は月曜から金曜までは8時から3時まで、土曜日は
半ドンで午前中だけ。
寮の門限は
「平日:夜9時まで
土日:夜10時半まで
外泊:要寮長許可*但し、外泊先は【血縁・親族】に限る
以上、この規定を守れない者は退寮を命ず
都寮・寮長 」
とあって、
とても恋人たちが【甘~~い夜♪】を過ごすことなど、
もっての他なのだ・・(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
少なくとも【表向き】には?・・^^;・・
レンタルスタジオB-1での練習を終え
メンバーは恒例?のお茶会兼ミーティングとなった。
京みや看護短大でのレパートリーは
ビートルズ「IT'S BE A HARD DAYS NIGHTS」
E・クラプトン「CROSS ROAD」
オールマンBB「HOT'LANTA」
「エリザベスリードの追憶」
グループサウンドメロディー
井上陽水「傘がない」
「夢の中へ」
ウエストロードBB「トランプ」
グランドファンク・R「HART BREAKER]
の合計9曲、ざっと45分の予定だ。
昭和50年秋
優一は「うなぎの寝床」と称される
間口3間足らずの町屋の玄間の引き戸をひらき
「おかあちゃん、ほな、行って来るわ!」中を振り返り、
ジャガード織機の音がやかましい奥に向かって、言葉を投
げて走り出た。
「あら、優ちゃん、これからお出かけどすか?ひょっとして、おデート?」
軒下の菊の鉢を手入れしていた隣家のすえこに声をかけられる。
「ああ、おばちゃん、そんなんちゃうで。これからバンドの練習やねん。藤井大丸、行って来るわ。」
「ああそうか、楽隊の練習どすか。行っておいでやす。
おはよう御帰り♪(^0_0^)」
「ほな♪」そう言って、優一は三筋表のバス通りまで、重いベースギターの入ったハードケースを手に、濃紺で腕に三本線の入ったウインドブレーカーの腕を振りながらまた歩き出した。
優一の鼻先を、何処かの軒下で咲く甘い金木犀の香りがかすめた。
(エエ匂いやナ~♪ もう、秋やな♪)
十月も半ばを過ぎると、昼の三時頃を境に、陽は急速にその勢いを失っていく。
優一の左側に長い影が伸びて、共に足を速めた。
優一を乗せたバスは、
丸太町通りを東に行って、烏丸通りを南に折れた後、
再び河原町通りを東に折れた後、寺町で下ろした。
ここは京都市内でも、最もにぎやかな【新京極通】のまん前である。
日本各県の中・高校生のほとんどが、一度は修学旅行で来たはずだ。
気候的にも過ごしやすいこの季節は、色々な詰襟やセーラー服の、修学旅行生と思しき学生でひしめいていた。
【藤井大丸】はそんな新京極通の南側入り口のまん前にあり、同じく河原町通りに店を構える【高島屋】【大丸】の【老舗デパート】とはまた違った【客層】で特徴があった。
『若者のファッション発信地・藤井大丸♪』
事実、このデパートの客層は20代前後の若者が多く、『呉服屋上がり』の高島屋・大丸には無い若者ファッションの発信地だった。
それ故に、単にファッションのみならず、【若者文化の発信】も意識していたのか、一階の表通りに面した大きなウインドーでは定期的にラジオの【サテライトスタジオ】を開催していたりした。
また館内4階の楽器店には、京都の大型楽器店【十字屋】が入り、その一角に【レンタルスタジオB-1】はあった。
優一とそのバンド仲間は週2回、B-1で練習を行った。
レンタル料は1時間1,000円
今なら何て事のない金額だが、当時ウエーターのアルバイトの時給が250円の時代であった。
毎回の練習時間が2時間で2,000円、週2回で4,000円、メンバー5人で割り勘にしても1人あたり800円の週あたりの出費は当時の彼らには大きかった。
優一がB-1に着くと、既にメンバーの浩司と俊夫がいた。
「オッス!(^^)/」
「おっす!(*^^)v」
「武と李ちゃんは?」
「リーダー、あの二人が時間通り来まっかいな^^;・・」
半分ちゃらけて俊夫が言う。
「・・・そら、そやな^^;・・」
優一も妙に納得した。
高校の同級生で、【京みやこ看護短大】の大井泰子から、短大の学園祭への出演を依頼されたのは2か月前だった。
その本番の10月末まで、も2週間を切っている。
バンドリーダーの優一は、予定している演奏曲の仕上がりが遅れていることに、少しいらだっていた。
しかしその優一を【納得させるほど】武と李(リ)はマイペースだった。
ところが、ふたりとも憎めない性格で、メンバーのなかで彼らを悪く言うものは居なかった。
元々、優一、俊夫、武は同じ京都府立京南高校の同級生で、特に武と優一とは中一からの親友だった。
俊夫とは高1の時同級生になり、もう一人の同級生『山木昭次』を加えた4人でバンドを結成したのが高校三年の時だった。
目標は【高校生活最後の文化祭ステージ♪】
受験を控えた大事な時?ではあったが、勉強そっちのけでバンドの練習に没頭♪^^;・・
その結果、文化祭での優一達のバンドは大喝采を受けた♪(^_-)-☆
但し、俊夫と昭次は
受験に失敗した
第2章
「ねえ、大井さん、ホンマに来てくれるバンドの人のギャラ、
要らんの?」
瑛子は同じ学園祭実行委員の大井泰子に尋ねた。
「大丈夫、大丈夫♪あの人ら、【女子短大の学園祭】って言うただけで、二つ返事でオッケーやもん♪(^。^)y-.。o○」
泰子は寮内で禁じられている煙草を燻らせながら言った。
「そやかて・・・・(+_+)・・」
瑛子と泰子は【京みやこ看護短大】の2回生。
10月末に行われる学園祭、【恒例・都祭り】の実行委員だった。
都祭には大学側から約20万円の【都祭予算】が与えられていたが、いくら小規模の短大と言えど、2日間の学祭を運営するには十分とは言えなかった。
その為、都祭の実行委員は学祭のパンフレットに近くの商店街の宣伝を入れるなどで宣伝費を得るなどしてはいたが、更に切り詰める必要はあった。
「だって、最終日の打ち上げ費もいるし、切り詰めるところは切り詰めんと・・・大丈夫やって♪(^_-)-☆」
「そうかな・・(・_・;)・・・」
瑛子は納得しかねていた。
「大丈夫やってぇ~♪ウチに任しとき♪(^。^)y-.。o○な?瑛子ちゃん♪」
「・・・・・・・・・・・」
瑛子は強引な泰子の言葉に押し切られた。
藤 瑛子 19歳
京みやこ看護短大 二回生
実家は大阪だが、全寮制の為大阪に帰るのは
月に1度有るか無いか
瑛子の母親も現役の看護婦だった。
幼い時から、瑛子は自分も母のような看護婦に
なると決めていた。
、
女子寮には一学年約50名、三学年計150名の看護婦
の卵達が、三年間の勉学を全寮生活の中で勤しんでいた。
しかし、遊びたい盛りの彼女たちにとって、門限や様々な
制約のある寮生活は、
決して快適なものとは云えなかったが・・・
授業は月曜から金曜までは8時から3時まで、土曜日は
半ドンで午前中だけ。
寮の門限は
「平日:夜9時まで
土日:夜10時半まで
外泊:要寮長許可*但し、外泊先は【血縁・親族】に限る
以上、この規定を守れない者は退寮を命ず
都寮・寮長 」
とあって、
とても恋人たちが【甘~~い夜♪】を過ごすことなど、
もっての他なのだ・・(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
少なくとも【表向き】には?・・^^;・・
レンタルスタジオB-1での練習を終え
メンバーは恒例?のお茶会兼ミーティングとなった。
京みや看護短大でのレパートリーは
ビートルズ「IT'S BE A HARD DAYS NIGHTS」
E・クラプトン「CROSS ROAD」
オールマンBB「HOT'LANTA」
「エリザベスリードの追憶」
グループサウンドメロディー
井上陽水「傘がない」
「夢の中へ」
ウエストロードBB「トランプ」
グランドファンク・R「HART BREAKER]
の合計9曲、ざっと45分の予定だ。
作品名:古都・純情物語 1(1~4章) 作家名:ef (エフ)