佳品雑感(1000文字随筆)
(0203) 執筆――物をつくる意味
▼今回は「物をつくる」とはどういうことかを考えてみたい。物づくりは人の生活を支える重要なものであることは云うまでもないが、物と云うとき、一般には、生活必需の利便性のある品物を指すことが多い。が、いま焦点にしている小説――主に、文芸・文章芸術全般――に関して云うならば、その作られる〈物〉と云うのは嗜好品に分類さるべきものであり、人々の生活に絶対になくてはならないかと云えば、そうでもない物という位置づけに甘んじなければならない。では、そんな位置づけの小説を、なぜ人はこうも作りたがるのであるか?▼物を作る場合、そこには需要がなくては経済が成り立たず、手に入れることを欲する人がある程度あるからこそ、それを見越して物は作られないといけないのが道理である。ならば、小説は人々のどのような意識によって享受されるものであるか?[]小説は人々の娯楽に供されるものであり、余暇を楽しむための、謂わば昔で云うところのぜいたく品に当たる存在と云うことが云えよう。ぜいたく品であるから、人々の生活に直接関係がなく、それは観劇や観画、観仏、音楽鑑賞に似たようなもので、それに接する時間を有意義なものにすると云う点で、他の芸術と変わらない性質を持つ▼一方作り手として、意識の持ち方は如何様であるか?[]文芸一般に携わる人間は作品そのものが読者に読まれるとき、最良の時間を読者に味わってもらうために作ると云うことがまず第一義に挙げられる。最近の文学では、人に恐怖や戸惑いや不安や喜びを与え、人に影響を与えることによって存在する価値を見いだすものもあるが、それはいわば邪道であるので、今回は脇に措くことにする。とすると、文学とはいったい何であるのか?[]娯楽でありながら、作り手の精神を伝えるものでもあり、読者に思惟させるきっかけになるものとして佳致を有するもの、そう定義することができるだろうか▼物をつくることは、一口に云えば、作られる作品そのものが形を取りたがっているのに対して、誠実になってそこに意を添わせた結果できあがる物として受け入れるその精神の発露とでも云うべきか。作るというより作られれるべくしてと云う面がある▼わかりにくい表現になったのは、わたし自身、この問題をよくわかっていない表れと云えようか。これはもうすこし深く考えて行くべき問題であるかもしれないと云うことを提案して筆を擱きたい。執筆に関しては以上である。
(2011.08.11)
作品名:佳品雑感(1000文字随筆) 作家名:蒼幻