ネイオーンの詩
第1章
クルゾフの村では、毎年、春と秋に大祭と呼ばれる祭を行っている。
春はこれから作物が順調に育ってくれるようにとの祈念、秋は無事に作物を収穫することができたことを感謝する報謝の意味がそれぞれ籠っている。いま小麦は稔り、どの農家でも数日中の収穫を計画していた。
村人を束ねる役目の村長は今年もつつがなく収穫のときを迎えられることに喜びを覚えていた。村長は村の有識者をまねいて、宴会をする予定をしていたが、それ以外のいわゆる普通の村人も、今度の秋の大祭で行う出し物の計画に余念がなかった。村長は白くなった髪も髭も鬱陶しそうになでつけながら皆の前に出て、祭の準備をする村人にねぎらいの言葉をかけ、また、有識者の機嫌も取り結んでいた。
と、夕方のことである。
湿り気を帯びた風が西の方から吹きつけはじめ、それは次第に強く、奔放に、際限なく吹いてくるようになった。村人のなかには不安に駆られ、自分たちの畑を見まわるものも増えてきた。日が暮れ、夜の闇に視界もままならなくなったころ、風はさらに勢いを増して雨まじりになり、バケツをひっくりかえしたような大雨に変化していった。村人は焦躁に駆られた。これ以上、降れば、収穫前の小麦が大打撃を受けるだろう。いくつかの畑では、すでに被害が出ていた。あまりの風の強さに小麦は茎がぽきっと折れ、穂が寝てしまって、それが雨水のたまった地べたに寝そべってしまい、惨憺たる状況になったのである。
「我らが何をした?」と村人は雨風を恨んだ。
風雨は一晩つづき、皆の前に被害の全貌をあきらかにしたのは、その嵐が去って、東の空に日が昇りはじめたころだった。小麦畑は水につかり、これまであかるい金色だった風景は、一変して、茶色いくすんだ色に変貌していた。
「こんなことになるなんて」
村人は自分たちに降りかかってきた災厄をどう受けとめればいいかわからず、放念していた。
「わしらはおしまいだ……」と嘆く者がいる。
村人のほぼ大半が意気銷沈しているところで、村長は村中をまわって被害の全貌を見渡そうと試みる。
今年の収穫が絶望的であるのがわかった。ある箇所では、小麦だけでなく、他の農作物――トマトやナスやズッキーニといったものまで被害を受けていた。舗装など無いむきだしの地面には無数の水たまりができていて、そのところどころには、どこから飛ばされてきたのか、草や、畑の作物の残骸や、木の板や、よくわからないものがたくさん落ちている。太陽は東の空からだんだん高みへとのぼって行き、夜のうちに降った雨をちょっとずつ蒸発させているので、あたりはむしむししていた。
村人は村の辻にあつまって、話しあっていた。
その場面に、村長は行きあい、そして話をよく聴いてみることにした。
「おれたちはもうどうすることもできない」マリスと云う村会ではそれなりに発言権を持つ男が云った。
それを受けて答えたのはレイドだった。「もうなんの救いもないわな」
「それにしても、おれが許せないのは神だよ」
村長は、(うん?)と戸惑った。いったいマリスはなにが云いたいのだろう?
その疑問はすぐに答えがあきらかになった。マリスが云ったのである。
「こんど秋の大祭もあるけどよ、神だなんだって、おれはもとから信じちゃいなかったんだよ。こんなふうにみんなが困ってるときに姿を見せて、苦しい事態を救ってくれてこそ神ってもんだろう。それができないんなら、神なんてもんを信仰するだけ無駄ってもんさ。そうは思わないか?」
「そうかな。そうなのかな」レイドは落ちつかなさそうに身をぶるぶるっと震わせた。
「神なんて信じるのはみんな止めちまえ! 神なんてまやかしだ。妄想だ。うそでしかない」
マリスの確信をもった意見はその場にいる五人ほどの農夫の間に受けいれられた。
村長は眉をひそめた。このままでは暴動へとつながりかねないので、村長は場を制するために、表にたって、みなの説得に取りかかった。
「ちょっとまたれよ!」村長は声を張った。
「なんです?」と村人は村長を見て、一応の敬意を払った。
「神を批判することは簡単だ。この場にはおられないのだからな」
「なら、どこにいるって云うんです?」レイドが口をはさむ。
「神がどこにいるか、いないか、というのは意味のない議論だよ」
「話を伺いたいですね」マリスが喉の奥から唸るような声を出す。
「神は、我らにとって長く信仰の対象となってきた。その信仰の意味は、常に自分たちの生活において、自分よりも高位の存在があって、常にその存在があることを意識して生活を送ることを主眼にしているのだ。神は、われらの心におごりや、たかぶりを生じさせないための貴重な仕組みであって、神がいるかいないかよりも、われらの生活にいかに寄与してくれているかを考えるべきであるとわしは思うのだよ」
「つまり、神はいないってことじゃないか」マリスは声を荒らげて云った。
「神が見えるか、見えないか、それを問題にするのは、決まってお前たちのような不信心者ばかりだ。しかしそれも世の流れと云うものなのか。思えば、我らが子供のときよりも、民の、神に対する信仰心は失せてきておる。どうにかしなければならないことよ……」
「なら訊くけど、神の存在はこの際おくとして、これから先、どうやって生活をしていくって云うんだ? 村長さまなんだから、それくらい、なにか算段があるんだろう?」
村長は目を細めた。どう説明すればいいか、しっかりと考えを纏めて口にする。
「昨年から、この村では織物を仕事にするために頑張ってきた。それで利益に余剰を生んで、それを今回の嵐の被害にあっていない土地から交換で食べ物を仕入れる。それで乗りきろうと思っておる。だから、その不埒な考えを他の者に云ってまわるのはやめてくれぬか……」
マリスはしばらく考えこむ様子だった。
そして、告げる。「わかったよ。もう云わねえ」
「ありがとう」と村長。「ではそなたらも今後のやり方について、いい意見があったら、わしの家まで来て教えてくれ。わしも今回の災厄がなにか恐ろしいことの前触れであるような気がしてならぬのだ」
マリスもレイドも他の三人も、村長の話に頷き返した。
「今回は、われらの試金石よ。神はいるかいないかじゃない。信じられるか、信じられないか、それだけなのだ……」村長は押し出すように云った。
ふたたび村が繁栄するまでには長い時間がかかったが、しかし復興は成功した。村人が協力してことにあたった成果であるとされている。
【ネイオーンの詩 第1章・了】
クルゾフの村では、毎年、春と秋に大祭と呼ばれる祭を行っている。
春はこれから作物が順調に育ってくれるようにとの祈念、秋は無事に作物を収穫することができたことを感謝する報謝の意味がそれぞれ籠っている。いま小麦は稔り、どの農家でも数日中の収穫を計画していた。
村人を束ねる役目の村長は今年もつつがなく収穫のときを迎えられることに喜びを覚えていた。村長は村の有識者をまねいて、宴会をする予定をしていたが、それ以外のいわゆる普通の村人も、今度の秋の大祭で行う出し物の計画に余念がなかった。村長は白くなった髪も髭も鬱陶しそうになでつけながら皆の前に出て、祭の準備をする村人にねぎらいの言葉をかけ、また、有識者の機嫌も取り結んでいた。
と、夕方のことである。
湿り気を帯びた風が西の方から吹きつけはじめ、それは次第に強く、奔放に、際限なく吹いてくるようになった。村人のなかには不安に駆られ、自分たちの畑を見まわるものも増えてきた。日が暮れ、夜の闇に視界もままならなくなったころ、風はさらに勢いを増して雨まじりになり、バケツをひっくりかえしたような大雨に変化していった。村人は焦躁に駆られた。これ以上、降れば、収穫前の小麦が大打撃を受けるだろう。いくつかの畑では、すでに被害が出ていた。あまりの風の強さに小麦は茎がぽきっと折れ、穂が寝てしまって、それが雨水のたまった地べたに寝そべってしまい、惨憺たる状況になったのである。
「我らが何をした?」と村人は雨風を恨んだ。
風雨は一晩つづき、皆の前に被害の全貌をあきらかにしたのは、その嵐が去って、東の空に日が昇りはじめたころだった。小麦畑は水につかり、これまであかるい金色だった風景は、一変して、茶色いくすんだ色に変貌していた。
「こんなことになるなんて」
村人は自分たちに降りかかってきた災厄をどう受けとめればいいかわからず、放念していた。
「わしらはおしまいだ……」と嘆く者がいる。
村人のほぼ大半が意気銷沈しているところで、村長は村中をまわって被害の全貌を見渡そうと試みる。
今年の収穫が絶望的であるのがわかった。ある箇所では、小麦だけでなく、他の農作物――トマトやナスやズッキーニといったものまで被害を受けていた。舗装など無いむきだしの地面には無数の水たまりができていて、そのところどころには、どこから飛ばされてきたのか、草や、畑の作物の残骸や、木の板や、よくわからないものがたくさん落ちている。太陽は東の空からだんだん高みへとのぼって行き、夜のうちに降った雨をちょっとずつ蒸発させているので、あたりはむしむししていた。
村人は村の辻にあつまって、話しあっていた。
その場面に、村長は行きあい、そして話をよく聴いてみることにした。
「おれたちはもうどうすることもできない」マリスと云う村会ではそれなりに発言権を持つ男が云った。
それを受けて答えたのはレイドだった。「もうなんの救いもないわな」
「それにしても、おれが許せないのは神だよ」
村長は、(うん?)と戸惑った。いったいマリスはなにが云いたいのだろう?
その疑問はすぐに答えがあきらかになった。マリスが云ったのである。
「こんど秋の大祭もあるけどよ、神だなんだって、おれはもとから信じちゃいなかったんだよ。こんなふうにみんなが困ってるときに姿を見せて、苦しい事態を救ってくれてこそ神ってもんだろう。それができないんなら、神なんてもんを信仰するだけ無駄ってもんさ。そうは思わないか?」
「そうかな。そうなのかな」レイドは落ちつかなさそうに身をぶるぶるっと震わせた。
「神なんて信じるのはみんな止めちまえ! 神なんてまやかしだ。妄想だ。うそでしかない」
マリスの確信をもった意見はその場にいる五人ほどの農夫の間に受けいれられた。
村長は眉をひそめた。このままでは暴動へとつながりかねないので、村長は場を制するために、表にたって、みなの説得に取りかかった。
「ちょっとまたれよ!」村長は声を張った。
「なんです?」と村人は村長を見て、一応の敬意を払った。
「神を批判することは簡単だ。この場にはおられないのだからな」
「なら、どこにいるって云うんです?」レイドが口をはさむ。
「神がどこにいるか、いないか、というのは意味のない議論だよ」
「話を伺いたいですね」マリスが喉の奥から唸るような声を出す。
「神は、我らにとって長く信仰の対象となってきた。その信仰の意味は、常に自分たちの生活において、自分よりも高位の存在があって、常にその存在があることを意識して生活を送ることを主眼にしているのだ。神は、われらの心におごりや、たかぶりを生じさせないための貴重な仕組みであって、神がいるかいないかよりも、われらの生活にいかに寄与してくれているかを考えるべきであるとわしは思うのだよ」
「つまり、神はいないってことじゃないか」マリスは声を荒らげて云った。
「神が見えるか、見えないか、それを問題にするのは、決まってお前たちのような不信心者ばかりだ。しかしそれも世の流れと云うものなのか。思えば、我らが子供のときよりも、民の、神に対する信仰心は失せてきておる。どうにかしなければならないことよ……」
「なら訊くけど、神の存在はこの際おくとして、これから先、どうやって生活をしていくって云うんだ? 村長さまなんだから、それくらい、なにか算段があるんだろう?」
村長は目を細めた。どう説明すればいいか、しっかりと考えを纏めて口にする。
「昨年から、この村では織物を仕事にするために頑張ってきた。それで利益に余剰を生んで、それを今回の嵐の被害にあっていない土地から交換で食べ物を仕入れる。それで乗りきろうと思っておる。だから、その不埒な考えを他の者に云ってまわるのはやめてくれぬか……」
マリスはしばらく考えこむ様子だった。
そして、告げる。「わかったよ。もう云わねえ」
「ありがとう」と村長。「ではそなたらも今後のやり方について、いい意見があったら、わしの家まで来て教えてくれ。わしも今回の災厄がなにか恐ろしいことの前触れであるような気がしてならぬのだ」
マリスもレイドも他の三人も、村長の話に頷き返した。
「今回は、われらの試金石よ。神はいるかいないかじゃない。信じられるか、信じられないか、それだけなのだ……」村長は押し出すように云った。
ふたたび村が繁栄するまでには長い時間がかかったが、しかし復興は成功した。村人が協力してことにあたった成果であるとされている。
【ネイオーンの詩 第1章・了】