「不思議な夏」 第十三章~第十五章
4月に入っても退院が出来なかったので、旅館の業務は再開する事が出来ずにいた。貴雄は自分がやれる範囲で仲居さんと板前さんを呼び寄せて、お願いをしてみた。先代の女将からも信頼を寄せられていた板前は、快く引き受けて、身に変えて佐久間屋を守ってゆきたいと答えてくれた。貴雄は小百合やその母の仕事が何より宿のために励んでいたことを知らされた。ともすれば間違ったサービス合戦に負けて脱落する旅館があるようだが、創業者の意志を守り、客と従業員を大切にしてきた小百合の行いが再び営業をする事に繋がったことの意味は大きい。
それは、貴雄のやる気に火がついたからである。初めての旅館業になりふり構わず下働きのようになって教えてもらいながら励んだのである。そんな事が出来るのも、志野と小百合の時を越えた出会いと繋がりに共感できたからであり、自分と志野との出逢いに感謝していたことでもあった。
「貴雄さん、本当にありがとうございます。なんとお礼を言ってよいやら・・・」小百合はそう何度も何度も貴雄に言った。
「好きでやらせて頂いていますから、そんなに仰らなくても良いですよ。解らないことがあれば聞きますから教えてくださいね」
「はい、でも、あなたに任せているようなものだから何もいう事はないです。板長もきっとあなたを信頼しているのでしょうね。それとなく解ります。それより、志野を束縛して申し訳なく感じております。早く治さなければ・・・そのことだけが今は焦りになっています」
「ゆっくりと治療してください。宿の方は何とか大丈夫ですから。志野は小百合さんの娘同然です。当たり前の事だから気遣いされなくて構いませんよ。それに志野は妻ですから・・・」
「そうだったわね・・・奥さんになったのよね、志野は」
4月2日の志野の誕生日に婚姻届を出した。住所は佐久間屋と同じ。ここに二人の新しい戸籍が誕生していた。
命あるものはいつかその使命を終える時が来る。幸村の父、正幸は真田家の家臣たちにいつもそう言い聞かせていた。そして、自分の使命が今終えようとしているのならそれが与えられた運命であり、最大の仕事なのだと。
志野はその言葉を思い出していた・・・
貴雄を交えて宮前理香は経過について話し合いをしていた。
「化学療法もそろそろ限界ね・・・放射線治療もあと数回で一応の終了になるの。思ったより進行が早くて止めているのが精一杯だから、治療を辞めると一気に進行するかも知れないわね」
「理香先生、どういう事なんでしょうか?志野に解るようにお話していただけませんか?」
「ええ、そうね。簡単に言うとお薬が効かなかったという事なの。後は手術だけど、リスクが大きいわね」
「手術?何をするのですか?」
「悪い部分を切り取るの」
「お腹を割くっていう事ですか?」
「言い方が変だけど、肝臓の侵されている部分だけ取り去るという事なの」
「そんな事が出来るのですか?」
「可能なんだけど、場所が難しくて、失敗するケースもあるわね」
志野は失敗という言葉にショックを受けた。こんなに頑張って小百合が戦っているのに、失敗をするなんて許されないとの思いが強かったからだ。貴雄が更に聞いた。
「先生他に方法は・・・あるのでしょうか?」
「・・・無いわね、もし残されているとすれば・・・大変なことだけど、移植ね」
「移植?肝臓移植という事ですか?」
「ええ、今は技術が進んでいるから、提供者があれば、成功する確率は高いわよ」
志野は何の事だか解らなかったが、可能性があるならやって欲しいと貴雄に求めた。それが聞こえた理香は、ひらめいたように「志野さんなら・・・適応するかも知れない!」そう言った。
作品名:「不思議な夏」 第十三章~第十五章 作家名:てっしゅう