覆水盆に帰らず
「……それで、先生。私たちは結局、何をしに若草邸まで足を運んだことになるのでしょう」
若草邸からの帰り道、再起と並んで歩く助手が、眼鏡の手入れをしながらそう言った。呆れたようでもあり、またどこか楽しそうでもある。再起はのんびりと夜空を見上げながら答える。
「そりゃあ、父と娘、そして母親の、心温まる感動エピソードをだね……」
「サイキ兄、またも私の邪魔をしてくれましたね」
再起の言葉は、後ろをついて歩いていた不起によって遮られた。不起は不機嫌そうに顔をしかめ、乱暴な足取りで靴音を響かせる。
「邪魔なんて心外だなあ、不起。私は私の仕事をしたまで……痛いっ」
不起は再起の背中に日傘の先をぐりぐりと押し付け、険しい顔で再起を睨んだ。再起は身をよじり、助手は慌ててそれを止める。無言の攻防の末、ようやく再起の背中から日傘が外された。
助手はまた眼鏡の手入れを始め、はあっとため息をついた。
「全く……油断も隙もありませんね」
「それはこちらの台詞です。サイキ兄、貴方は一体どういうつもりであんなことをべらべらと」
「そりゃあ、依頼を遂行するのが私の仕事だからね。事件を起こすのが不起の仕事であるのと、同じように。最初から不起が関わっていることは調べがついていたから、君に依頼した人物と動機さえ分かれば、後はもう簡単なことだよ」
「…………」
再起の言い分に、不起は文句も言えずにむすっと黙り込んだ。助手は眼鏡を掛け直し、普段どおりの真面目な表情で歩き続けている。
「しかし、久々に良いものを見ることが出来たよ。遊乃さんの嬉しそうな顔、見たかい」
「…………」
不起は益々むっとしたように唇を尖らせ、何も答えない。突然、再起は立ち止まり、不起と助手に向き直った。
「どうしました、先生」
再起は両腕を広げて、不起に笑いかけた。
「不起、君は遊乃さんのあの表情が見たかったんだろう」
「…………」
「お母さんと話がしたいという彼女の、笑顔が見たかったんだ……そうだろう?」
「どうしてそんなこと」
不起は再起と目を合わせず、横を向いたまま聞く。
「分かるよ、そんなことくらい。だって、兄妹じゃないか。私たちのお母さんが亡くなったとき、……一番悲しんでいたのは君だったからね」
「…………」
不起は腕組みをして、そっぽを向いたままふん、と鼻を鳴らした。
「サイキ兄は、いつも謎解きが早すぎるのです。昔から……」
「そりゃあ、私は生まれながらの名探偵だからね」
くす、と再起は笑い、また歩き出した。
「サイキ兄」
その場から歩き出さなかった不起が、兄の後姿を呼び止めた。再起は振り向かず、ただ立ち止まる。助手は振り向いて、不起を見た。
「サイキ兄。今年こそは、お母様のお墓参りに来てください」
「…………」
再起は一瞬躊躇するように黙ったが、やがて片手を上げて、ひらひらと振った。
「……そのうちに」
そしてそのまま、二度と振り向かずに、助手とともに帰って行った。