「不思議な夏」 第七章~第九章
車に戻って、予約してある宿に向かった。泊り客が多くなかったので、受付を済ませると、宿の係りが「本日は貸切の露天風呂がご利用戴けますが、いかがなさいますか?」と貴雄に案内をした。俗に言う家庭風呂の露天バージョンである。顔を見合わせて・・・亜矢に尋ねた。
「どうします?」
「はい・・・志野さんが宜しければ、ご一緒しても構いませんが・・・」
「志野、みんなで一緒にお風呂に入るのは嫌かい?」
「貴雄さんもご一緒?と言うことですか?」
「そうだよ、亜矢さんも、瑠璃ちゃんも一緒と言うこと」
「それは・・・どうしてもでしたら構いませんが」
「どうしてもなんて言わないよ。浴衣があるから着て入ればいいよ。せっかくだからみんなで楽しく露天風呂を楽しもうよ」
「はい、そうします」
志野の返事で決まった。夕方の時間に入らせてもらうことにした。まずは旅の疲れを部屋で寛いで癒すことが先であった。
草津はこの時期まだ昼間は暑く感じられるが、湿度が低いせいか汗ばむほどにはならない気候であった。部屋でごろんと横になった貴雄を見て志野が、「貴雄さん、行儀がお悪いですよ」と注意した。
「あら、志野さんいいじゃないの。お疲れのようだから」
亜矢はそれほど気にならなかったのだろう。
「畳で座っているのは苦手なんだよ。椅子なら平気なんだけど」
「じゃあ窓際に行かれたら、椅子が置いてありますよ」
「追い出そうとしているのかい?」
「そんな事は無いです。私達は正しく座っていますでしょう。合わせるのが礼儀ですよ」
「解ったよ!じゃあ座るから・・・」
「志野さんは意外と厳しいのですね。もっと貴雄さんの言いなりなのかと思っていました」
「亜矢さん、いつもは私が偉そうにしていますが、亜矢さんが居られるので失礼だと感じたから、言ったのでしょう」
「そうでしたの・・・気になさらないで。志野さんとは親子じゃないけど妹のように感じていますから。これからも、いいたい事言い合えるようになりたいし」
「ありがとうございます。私は妹のように何でも話してよいのですね?」
「ええ、構わないわよ。こうして知り合えたのですもの、お互いに助け合ってゆきましょう」
亜矢には子供が居るから、将来自分の子育てで助けてもらえるかも知れないし、外に出ない自分の話し相手になってくれる事も志野には強い味方に感じられた。話している間に、部屋の電話が鳴り、露天風呂の時間になった事を知らせてきた。亜矢と瑠璃は隣の部屋に荷物を置きに行った。少しして着替えを持って戻ってきたので、一緒に風呂場へ向かった。
更衣室は一つだったので先に貴雄が裸になって入浴した。亜矢はバスタオルを巻きつけた格好で裸の瑠璃と一緒に入った。最後に志野がバスタオルを巻いた格好で入ってきた。お湯が熱い。瑠璃は入れなかった。亜矢も熱過ぎて湯船に浸かれない。置いてある湯揉み用の板で、かき回して温度を下げようと試みた。
何度も何度もかき回して、湯は適温に下がった。みんなが中に入れるようになった。瑠璃を抱っこして志野は外の景色を見ていた。見晴らしが良いわけではなかったが、瓦屋根の家が何軒か見えて、田んぼも遠目に見えていた。いま自分が住んでいる場所とは違うどこか懐かしい風景でもあった。
日が暮れる時間が少し早く感じられるようになってきたから、辺りは少し薄暗くなっていた。
貴雄は洗い場で身体を洗い、髪を洗い綺麗にしていた。ここでは洗えないと亜矢は考えていたから、瑠璃だけを洗ってやろうと、貴雄が済むのを待って、湯から出た。志野は、亜矢に向かって、「背中を流しましょうか?」と声をかけた。少しビックリして、「いいえ、この子だけ洗うので、私にはお構いなく」そう返事した。志野は良く考えたら、貴雄が居るのに裸にはなれない事ぐらい解るはずだったのに、と反省した。ここに貴雄と他の女性と一緒に裸でいる事自体が考えたら、ありえないことなんだろうと、そう改めて感じた。日本人のお風呂に入る習慣が抵抗感を無くしていることが、そうさせていたのかも知れない。そして亜矢の貴雄への信頼感もあっただろう。
「先に出るよ!志野と亜矢さんはゆっくりしておいで」
そう言って、貴雄はさっさと出て行った。二人に気を遣ってくれたのかも知れない。顔を見合わせて、にこっとした。
「じゃあ志野さん、背中流してください」
「はい、いいですよ」バスタオルを外して素裸になった亜矢は、初めて親以外から背中を流してもらった。気持が良かった、少し太っている身体を見られるのは恥ずかしかったが、志野の優しさが一層その背中から感じられた。
「今度は私が流してあげる」亜矢はそう言って志野のバスタオルを外した。恥ずかしそうにしたその仕草が可愛いと亜矢は感じた。「ママ、瑠璃がしいちゃんの背中洗う」そう言って、亜矢からタオルを渡されると、力一杯背中をこすった。
「瑠璃ちゃん、気持ちいいわ。頑張ってね」
「うん!よいしょよいしょ・・・疲れた・・・」
笑って亜矢は、「貸してごらん、ママがやるから」そう言って、瑠璃からタオルを取ると、絞りなおして、志野の背中を流した。
「志野さんは若いから綺麗ね・・・シミ一つないし、それに贅肉も無い。鍛えているのね?」
「そういう訳ではありませんが、太らないようにはしています」
「剣道しているでしょ?なぜ習おうって思ったの?」
「周りの人がやっていたから自然にでした」
「そうなの。剣道一家だったのね?」
「そんなところです。亜矢さんは何かやられているんですか?」
「私は・・・瑠璃がいるからまだ何も出来ないでいるのよ。学校へ上がったら、仕事を始めたいと思っているわ。働かないとこの子を育ててゆけないからね」
「そうでしたか。私など安気なものです。仕事はお願いしてあるのですが、まだ決まりません。貴雄さんに食べさせて頂いている次第です」
「いいじゃないの。お金持ちだし・・・甘えていれば」
「そう言ってくれていますが、世の中の勉強もしたいので仕事始めて頑張りたいです」
「偉いのね、16歳でしょ・・・まだまだ遊びたい年齢なのにね」
「そうですか・・・自分の中では貴雄さんの子供が生みたいって考えています。早く母親になって子育てをして家族でいろんなところへ行ったりしたいです」
「私もそう思っていたわ・・・あなたと同じね。でも、夫は私のお腹に瑠璃が居る時に浮気をして・・・我慢が出来なかった。母親の元へ帰ってきてしまったの。自然とそのまま住み着いて、出産して・・・気が付いたら夫から離婚請求。理不尽だったけど別れることにした。好きになったのに、最低の男よ」
志野は黙って聞いていた。
「志野さん、ごめんなさいね。愚痴を言ってしまって・・・私に悪いところがあったのかも知れないし、瑠璃の事を考えたら別れるべきじゃなかった・・・そんなふうに考える事もあったけど、若かったのよねきっと」
「男の方は浮気をされますよね・・・貴雄さんがそうなされたら悲しいですけど、別れるという気持にはならないです。私が妻なのですから、一番なのですし」
「あなたは強い女性だからそう考えられるのかしら。普通の女性には耐えられないことだと思うの。妻がもし浮気をしたら、夫はどう考えるのかしら?志野さん?」
作品名:「不思議な夏」 第七章~第九章 作家名:てっしゅう