待たせてゴメンね♪
その日は金曜日で、授業は午前中で終わった。
アパートに帰るとポストから郵便が覗いている。何気なく手に取って裏を見ると、そこには懐かしい彼女の名前が……。 俺は急いでドアを開けて中へ入ると、机の前に座って緊張しながら封を切り、そう〜っと手紙を取り出した。淡いピンクの便箋の左下には、可愛い苺のデザインがあった。
『そうかぁ、今でも苺のデザインが好きなんだぁ。……そう言えばあの時、初めて二人が結ばれたあの時も、下着に苺が付いていたなぁ』
と思い出していた。そして、胸苦しいような思いで手紙を読んだ。
「京平、何てお久し振りでしょう、あなたから手紙をもらうなんて……。
私が最後の手紙を出してから、もう三年以上が経ちましたね。正直、この手紙を出そうかどうしようかと随分悩みました。でもやはり、あなたと同じ、私も自分の気持ちに嘘はつきたくなかったので、本当のことを書きます。
以前京平に話したAさんには、確かに一度は抱かれましたが、その一度だけでお別れしました。最後の手紙には「何度か肌を合わせれば……」などと書きましたが、その一度だけで、『この人のことはきっと愛せない』と感じてしまったので、数日後にお断りしました。
その後も、数人の方から交際を申し込まれたりもしましたが、やはり私には京平のことしか考えられないので、その度にお断りしました。私って馬鹿ですね……。
京平からの手紙、本当に嬉しかったです。その夜は、涙が拭いても拭いても零れて来て眠れませんでした。
京平、もし今でも本当に、こんな私のことを想っていてくれてるのなら、すぐにでも逢いたいです。待っています。
今でもあなたのひまわり娘 京子より」
あの頃より、幾分大人になった彼女の手紙を読み終えた時、俺は涙でぼろぼろになっていた。
『こんなにも俺のことを想ってくれていた彼女を、何で今まで放っといたんだろう。何て俺は馬鹿だったんだ!』
そう思うと居ても立ってもいられなくなって、小さな旅行カバンに二、三日分の着替えだけ詰めると、急いで家を出て駅の近くのデパートに向かった。彼女に逢う前に、どうしても買わなきゃいけない物があった。
何軒かの店を周ってようやく目当ての物を見つけた俺は、そのまま電車に飛び乗った。電車の中で思うのは、懐かしい彼女との楽しかった思い出の数々だった。 やがて郷里の駅に着き、俺は電車を降りると真っ直ぐその店に向かった。 今も以前と同じ場所にその店は在った。『茶房 クロッカス』
駅から歩いて数分のその場所に、以前よりもまた一段と古びた様相で、
「よく来たな」と、迎えてくれているようにも見えた。
以前来た時には、見えないバリヤーで拒絶されている様にも見えたのに……。
――だが俺がここに来るのは、今日が二度目だ。マスターはきっと俺の顔など覚えてはいないだろう。それでも俺の頼みを聞いてくれるだろか?
帰りの電車の中で色々考えたことを実行するには、マスターの協力は不可欠だった。
ドアの前に立って少し気持ちを落ち着けると、思いきってドアを開けた。
「カラ〜ン コロ〜ン」
あの日と同じように、カウベルが懐かしく店内に響いた。そして奥からは、あの日と変わらない姿のマスターが出てきて言った。
「いらっしゃ〜い……」
マスターはその言葉を言い終わると同時に、ドアのそばに立っている俺の顔を見ると、一瞬驚いたように固まり、しばらく動かなかった。そして、不思議な物でも見るような目で、俺を見つめている。「あのう……」
と言いかけた所で俺は、固まり状態から解けたマスターに手招きされ、カウンターの席に着いた。
マスターは相変わらず何も言わない。俺は勇気を出して一気に言った。
「マスター、俺のことは覚えてないかも知れないけど、どうしてもお願いしたいことがあって来ました」
「うん?」という顔でマスターは、俺の次の言葉を待っている。
「――マスター、実はどうしてもここで、この店で逢いたい人がいるんです。その人に電話して、ここへ呼んで下さい。お願いです」
俺はドキドキしながらそう言うと、一枚のメモ用紙を差し出して頭を下げた。
するとマスターは何も言わず、俺の手からそのメモ用紙をすうーっと抜き取ると、そのまま電話機のそばへ行き、受話器を取るとメモ用紙を見ながらダイヤルした。
俺は息を潜めてマスターの動きを見つめていた。
相手が出て、マスターが、
「――もしもし、あのう、私は駅前で茶房 クロッカスとういう店をやっている者ですけど……」
と言うと、相手が何と言ったのか――。
「あぁ良かった! あなたが出てくれて。もし留守だったらどうしようかと思いましたよ」
と、一息ついて続けた。
「――実は、あなたにどうしても会いたいと言う人が、今ここへ来ているんです。今からすぐに来れますか? うちの店まで……」
「――えっ? えぇーそれは……、来てもらえば分ると思いますから……」
相手が何か答え、マスターは、
「――では、お待ちしています」
とだけ言って電話を切った。
俺はマスターの言葉を待っていた。長い時間のように感じたけど、実際はそうでもなかったんだろう。マスターがおもむろに、言葉を掛けてきた。
「紅茶でも飲みますか? すぐに来るそうですよ」
その最後の言葉に、俺は一気に力が抜けてぐったりとしてしまった。
マスターが入れてくれた紅茶は本当に美味しかった。
「何も聞かないんですね?」
俺がマスターにそう言うと、マスターはただ微笑んだだけだった。
彼女が来るまでの時間を自分の中で測っていた俺は、次第に胸がドキドキしてくる。
ここで彼女との別れが始まったのなら、また元に戻すのもここから……。そう考えていた。失った時間をここで取り戻したかった。
しばらくした頃、店のドアが来客を告げた。
「カラ〜ン コロ〜ン」
俺はすぐさまドアの方を振り向いた。そしてドアを開けて入って来たのは、しばらく見ぬ間に素敵に女らしくなった彼女だった。
俺は思わず見惚れてしまった。
彼女も驚きを隠さなかった。
二人はしばらく見つめ合っていた。
何分位そうしていたのだろう――やがて、
「京子――」
そう呼ぶと、俺はようやく彼女に駆け寄り、そのまま彼女を抱き締めた。
京子、ああ京子……。
俺は腕の中の京子が消えてしまいそうで怖くて、強く強く抱き締めた。
そして、溢れそうな想いを言葉に載せて京子の耳元で言った。
「――京子、待たせてごめんネ」 と。
京子は真珠の涙で瞳を潤ませ、何も言わずただ、俺にしがみつくのだった。
俺はデパートで探して来た物をポケットから取り出して、京子に渡した。
京子はそれを見てにっこりと、泣き笑いの表情になった。
それは『木綿の白地の生地で、隅に苺のデザインのあるハンカチ』だった。
この先、京子がもしも泣いたなら、京子の大好きな苺のデザインの入ったハンカチで涙をふいてあげよう。それが俺の、せめてもの罪滅ぼしだと思って用意したものだった。