待たせてゴメンね♪
満開の桜に見守られてその日、僕たちは揃って高校の卒業式を迎えた。
これから僕は東京に行って大学生になる。
京子は建築関係の会社に就職が決まって、一足先に社会人になる。
進む道は違っていても、その先では必ず二人のレールは一つになる。その時の僕たちは、固くそう信じて疑わなかった。
そしていよいよ僕が上京する日、駅で見送ると言う京子と、少しだけでも話しておきたかったので、少し早めの時間に僕たちは駅前で待ち合わせをした。
二人でお茶でもしながら話そうということになり、近くにゆっくりできそうな店を探した。ファーストフードの店はあったけど、そんな所では落ち着かないし……。
そんな時、一軒の店を見つけた。
看板も一応出ていた。『茶房 クロッカス』 ――やってるのかなぁ? と外から目を凝らしてじ〜っと中を見ると、一応照明が点いている。
僕たちは思いきってドアを開けてみた。
「カラ〜ン コロ〜ン」
振り返ってドアを見ると、でっかいカウベルが来客を告げていて、同時に奥から、
「いらっしゃ〜い」
と声がして、頭にバンダナをハチマキ状に巻いた中年のおじさんが出て来た。
「おや!? 珍しく若いお客さんだ」
嬉しそうにニコニコしながらそう言うと、カウンターを指して僕たちを呼んだ。
「さぁ、立ってないで座ってすわって!」
僕たちは言われるままに席に着き、京子と二人、目と目で笑い合った。
明るくて楽しそうなマスターだったが、店には僕たち以外には誰もいない。「今日は暇そうですね」
僕が遠慮がちにそう言うと、マスターは、笑いながら言った。
「なに、いつもこんなもんさ。こんな古い店はもう流行らないのさ」
僕たちは紅茶を注文した。
マスターはその準備をしながら聞いた。「これからどこかに行くのかぃ?」
僕が上京することを話すと、心配そうな顔で言う。
「じゃあ彼女とは、しばらくお別れになっちゃうのかぃ? それは淋しいねぇ。大丈夫かな?」
「えっ!? 大丈夫って何が?」
思いがけない言葉に、僕は聞き返した。
「だってそうだろ? 離ればなれになれば、嫌でも心も離れて行ってしまう。よくある話じゃないか」
マスターは当然のような顔でそう答えた。
「僕たちはそんなことはありません!」
僕は思わずムッとしてちょっと声を荒げて言ってしまい、京子が僕の服の袖を引っ張った。
マスターはふふっと笑みを漏らし、
「若いって良いねぇ〜。じゃあ一つ歌をプレゼントしよう。俺の思い出の歌だけど・……」 と言って軽くウィンクすると、一枚のCDをかけてくれた。
僕たちは――一体どんな曲をかけてくれるんだろう?――と耳を澄ませた。
流れてきたのは、少し舌っ足らずな女性の甘い声で、高音がとても綺麗で優しそうな歌声だった。
恋人よ ぼくは旅立つ
東へと向かう列車で はなやいだ街で 君への贈りもの
探す 探すつもりだ いいえあなた 私は
欲しいものはないのよ ただ都会の絵の具に
染まらないで帰って 染まらないで帰って
(まるで僕たちのことを歌っているような曲に、僕たちは顔を見合わせた)
恋人よ 半年が過ぎ
逢えないが 泣かないでくれ 都会で流行(ハヤリ)の 指輪を送るよ
君に 君に似合うはずだ いいえ 星のダイヤも 海に眠る真珠も きっと あなたのキスほど
きらめくはずないもの きらめくはずないもの
(京子がうんうんと頷きながらにっこり笑った) 恋人よ いまも素顔で
くち紅も つけないままか 見間違うような スーツ着たぼくの
写真 写真を見てくれ いいえ 草にねころぶ
あなたが好きだったの でも 木枯らしのビル街
からだに気をつけてね からだに気をつけてね
(京子も心配そうな顔で僕を見つめた)
恋人よ 君を忘れて
変わってく ぼくを許して 毎日愉快に 過ごす街角
ぼくは ぼくは帰れない あなた 最後のわがまま
贈りものをねだるわ ねえ 涙拭く木綿(モメン)の
ハンカチーフください ハンカチーフください
(僕は、思わす首を横に振り京子を見ると、京子の目には涙が光っていた)
曲が終わると、僕は京子に力強く言った。
「そんなことは絶対ないから、僕たちはいつまでも絶対に一緒だから!」
「うん」
京子は涙を浮かべた可愛い瞳で頷いた。
世の中に絶対などと言うことはないのだと、まだ僕たちは知らなかった。
その後、僕たちは紅茶を飲みながらこれからのことを話した。
僕は大学生で、京子は社会人だ。当然時間の使い方が違ってくる。だから電話をしても、すぐに繋がるとは限らない。京子は仕事中には電話に出れないかも知れないし、僕も授業中だと、やはりそうなるだろう。
夜も、僕はいずれアルバイトをするつもりだから、そうなるとやはり電話もタイミングが難しい。だから着信が残っていたらお互いに掛け直すか、メールを送るようにしよう。それともう一つ、月に何度かは必ず手紙を書こう、と約束した。
早目に出て来たつもりだったのに、京子と話しているといつの間にか電車の時間が迫って来ていた。
僕たちが会計を済まそうとすると、マスターがさっきの曲の名前を教えてくれた。『木綿のハンカチーフ』という歌謡曲らしい。
そしてひと言だけ、マスターがポツリと言った。
「俺の恋はこの歌のように終わってしまったんだ……」
そして僕たちに、なぜかその店の名刺を二枚渡してくれた。
名刺の表には『茶房 クロッカス』と書かれ、店の住所や電話番号が入っていて、裏を見ると、クロッカスの花言葉が書いてあった。
クロッカスの花言葉は「あなたを待っています・私を信じてください・あなたを信じながらも心配です・信頼・裏切らないで・青春の喜び・楽しみ・切望」です。
僕たちはその貰った名刺を一枚ずつ手に持ち、駅へと急いだ。
ホームで電車に乗った僕は京子に手を振り、声を出さずに「好きだよ」と言った。
京子も同じように応えてくれたけど、その瞳にはきらりと光るものがあった。
僕も気を抜くと溢れてきそうになるので、ぐっと我慢して手を振り続けた。
こうして僕たちは、初めて長期の、離れ離れの時を迎えてしまった。
電車に乗った僕は、途端にこれからのことで頭が一杯になった。もちろん京子のことは少し心配ではあったけど、これから知らない土地で一人で暮らしていく不安と期待で、胸ははちきれそうになっていた。初めての大学生生活。一体どんなんだろう?
取り合えず僕は学生寮に入ることにしてあった。母さんたちが心配して、慣れるまでは寮の方が安心だろうと判断したからだ。しかしいずれ慣れてきたら自分でアパートを借りるつもりだった。それまでにバイトでお金を貯めるつもりだった。でないと、いつまでも寮にいたのでは、もし京子が上京して来ても泊めることもできないし、当然Hもできないということになってしまう。まあ、もしそうなったらその時は、ホテルに行くしかないのだけど……。できることなら早目にアパートを借りようと決めていた。