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生者に贈るレクイエム

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【第壱話 山田花子の受難】


 山田花子、十五歳。
 平凡な日本人の代名詞といわれるその名はだてではなく、本当に平凡な人間である。
 学力標準、体形標準、容姿標準。
 全てにおいて十人並みで、たとえすれ違う事があったとしてもすぐに忘れてしまうだろう。
 ごく普通のどこにでもいるような女子中学生だ。
 そんな彼女は高校受験を終えた最後の春休みを謳歌していた。
 この四月から花の女子高生。受験戦争を乗り切った、束の間の長期休暇。
 だが。
 そんな楽園のような束の間をぶち破ったのは、年の離れた兄が巻き起こした突然の奇行だった。
「ちょ、いきなり何なの、和<かず>兄!」
 彼女が取り乱したのは、若干二十四歳にして中国に長期出張中――だったはずの兄が突然姿を現したから、だけではない。
 半ば拉致るように押し込められた車がリムジンタイプの外車だったからとか、さらにそのエンブレムがとんでもない高級車のそれだったからとか、さらにさらに「一介の平会社員」だったはずの兄がたくさんの部下(含むSP×2)を引き連れていたこととか、そのもろもろを含めてのことである。
 だが、兄はその疑問をたったの一言で説明づけようとした。
「出世したんだよ」
「馬鹿言わないで! 今時なら小学生だって分かるわよ! ただの平社員が親の七光りもコネもなしに、たったの一年そこらで黒塗りのベンツに乗って颯爽と登場なんて! ありえないわ! さぁ、とっとと白状することよ! マフィアに加担してるとか、金持ちのお嬢さんをうまくタラしこんだとか!」
 確かに前々からおかしいとは思っていたのだ。
身寄りもなく死んだ両親が残した貯金はとうに底をつき、大手貿易会社に勤める兄の稼ぎだけでは私立校に通うゆとりもなく。
 公立中学に通い奨学金をもらいながら勉強にバイトに精を出していたはずなのに。
 それが北京へ出張が決まった途端に、在り得ないくらいの大金が仕送られるようになったのだ。
 加えてこの登場ぶり。
 何か悪事に手を染めない限り、絶対にありえないと思った。
 途端に兄は哀れっぽい声を上げた。根も葉もないそしりだと言わんがばかりに。
「酷いよ花子ーっ! 兄さんそんなことしてなんかいないよーっ!」
「分からないわ! だいたい、美形キャラはアホか性悪に決まってるんだから!」
「そういうのを偏見って言うんだよぉぉぉ!」
 二人は血のつながった兄妹とは思えないくらい、似ていなかった。
 妹はごく平凡な容姿をしているが、兄は二枚目俳優かトップモデルばりの美男子である。
 残念なことに、中身はこれだが。
「もー、花子ったら。久しぶりの再会だっていうのに、そんな意地悪言わなくたっていいじゃないかー」
 そう言って年甲斐もなくぷぅとほっぺたを膨らませる兄。その子供っぽいしぐさは彼の美しさを削ぐことなく、それは女のくせに兄と比べて容姿が劣ると散々馬鹿にされて育ってきた山田花子の神経を著しく逆なでした。
「と・に・か・くっ! 何か悪事に手を染めるとか、ありえないような棚ぼたラッキーに出くわすでもしない限り、うちみたいな貧困家庭出身者が高級車にSPひきつれてやってくるなんてありえないわ! だいたい出国当日に成田から『あ、もしもし、花子? 俺だよ。なんか北京に長期出張することになったからー。え? 今からだけど。……おっと、ごめんね。今飛行機なんだ。もうすぐ離陸するから電源切るね。じゃ、留守番よろしく』って電話したっきり全く連絡なしよ? 私、何も説明もされてないし!」
「ごめんごめん。その件は本当に悪かったと思ってるよ」
「ごめんで済めば警察はいらなくってよ!」
「いやぁ、引き継ぎとか何やらでバタバタしてて、ほんとに忙しくってさぁ。それより、僕、中国に永住することにしたからその件で――」
「永住――ッ!」
「うん。向こうの役所に手続きして、永住権ももらったことだし」
 と、彼はぬけぬけと答えた。
「ぬぁんですってぇぇぇぇーっ!」
「ああ、別に心配しなくても大丈夫だよ? 花子はまだ学生さんだし、いくら寂しいからって無理やり中国に連れ去ったりなんてしないよ? でも、こっちで暮らすって言っても女の子一人、誰かのお世話になるったって、うち、全く親戚づきあいないし」
 わなわなと震える山田花子の口からは、何の文句も出ない。
 いや、突っ込みどころが多すぎてどうしていいのか分からないだけである。
 そして、止める者がないのをいいことに彼の言葉は滔々と続く。
「だからね、前に日本で働いていたときに序属していた部署のほうに色々と気をかけてもらえるようお願いすることにしたんだよ。しかるべき身元保証人もつけてね。花子だって、子供一人で生活していくの、不安でしょう?」
「いや、まぁ、それはそうなんだけど――じゃないわよ、このお馬鹿っ! 何言って……っ!」
 次々と飛び込んでくる情報。混乱してまともに言い返すこともできない。
 マイペースすぎてはた迷惑な彼は、勝手に自己完結してしまったらしい。
「うんうん。納得してくれたみたいで僕も嬉しいよ」
 ――いやいやいや。ぜんぜん納得してないし!
「そ、そうじゃなくって!」
「残念なことに、俺が働いていた当時あの部署にいた人は自殺しちゃったり人事異動でどっかいっちゃったりして全滅……じゃなかった、全員入れ替わっちゃってるから。さすがに無償でお願いするのは気が引けるし、そこでちょっとしたアルバイトをやってもらうつもりだよ」
「アルバイト?」
「うん。花子の力はすごいと思うし、職種的にもまさにもってこいの仕事なんだ」
「私の、力……ですって?」
 妹の眉間に凶悪な縦じわ。
 地雷を踏み抜いていることを知ってか知らずが、兄の語りは留まることを知らない。
「うん。見えるし絶対に近寄らせないし。あれだけできれば立派な戦力さ」
「……和兄。まさか、まっとうな会社員っていうのは真っ赤なウソで――」
「そうなんだよー。ごめんねー。でも、正直に話したら花子絶対に怒るじゃない。オカルトとか心霊関係の話、すごく嫌がってたし。その手の業界でバシバシ活躍してるなんて言ったら、その場でボコボコにされちゃいそうなんだもん。今までずっと、怖くて言いだせなかったんだよ」
 その瞬間、窓ガラスがビリビリと振動するレベルの怒声が響き渡った。

        ***

 山田はムスッとした顔で本のページをめくっていた。
「あららん? ご機嫌ナナメって奴かしら?」
 金髪碧眼お色気美女――花園と名乗った――は、山田をからかうような調子で言った。年のころにして二十代戦半といったところか。
 なのに、握っているのは古風なブリキ製の酒入れだ。
 ぞんざいなしぐさで中身を煽る姿は、まごうことなき酔いどれである。
 無論怒り狂っている相手――山田花子からの返事はない。
「お前が勢い余って押し倒してチューしたりするからだろう。この酔っ払いめ!」
 あきれ顔でツッコミを入れたのは、身長一八〇をゆうに超えるガチムキの巨漢――水城<みずき>と名乗った――である。男性ということもあり年齢ははっきりと分からないが、若いことは確かだ。たしなめるような口調だが、気まぐれな猫のように笑う彼女にはまるで効果はなかった。それどころか、しれっと言う。
作品名:生者に贈るレクイエム 作家名:響なみ