「不思議な夏」 第一章~第三章
貴雄は心配そうに外で待っていた。
意外と直ぐに志野は出てきた。
「大丈夫だったかい?」
「はい、水も流してきました」
「ほう、学習したね。えらいよ」
「字は読めますから・・・なんとなく解りました」
「なるほど。じゃあ行こうか」
貴雄は昨日から止めてあった環状線沿いの公園駐車場に向かい、自分の黒いプリウスに志野を連れてきた。
「これがボクの車だよ。プリウスって言う名前の車だよ」
「プリウス・・・ですか、素敵な名前です。それに精悍で先ほど乗った車とは違いますね」
「そうだね、これは最新型だから余計にそう見えるかも知れないね。さあ、どうぞ乗ってください」
ノブに手をかけるとロックが解けて、ドアが開いた。貴雄は助手席側に回って志野をまず座らせた。運転席に戻って、スイッチをオンにする。目の前のパネルに車の絵と文字盤が映し出された。志野は不思議そうにそれを眺めて、くるくると液晶が点滅しているところを手で触った。
「それはね、液晶パネルといって、電気で光っているんだよ。電気と言うのはね、雷と同じ原理で、今では日常生活になくてはならないエネルギー、ん、力の源って言えばわかるかな。車が走るのも、飛行機が空をとぶのも一役かっているんだ」
「電気ですか、火を起こしたり、ものを動かしたり出来る源と言うことですか?」
「そう、目には見えないけど、強力な力なんだよ。理屈は知らなくても良いけど、名前は覚えておいて」
「はい」
プリウスは静かに走り出した。一般道に出るまでは電気で走るから音がしない。その静けさと感触に志野はまた驚きを隠せなかった。
「先ほどとは違い忍び足のような感じですね」
「忍び足・・・か、ハハハ面白い表現だよ。気に入った!」
「笑わないで下さい・・・まじめにそう感じたのですから」
「ゴメン、解っているよ。この車はね、ゆっくり走るときは電気だけで動くから静かなんだよ。早く走る時にはエンジンがかかるから、ブーンと音が聞こえるようになるよ」
「エンジン?」
一通り説明を始めた。車は阪神高速に入り、近畿自動車道から松原に向かい、西名阪、名阪国道、東名阪と言うコースを選んだ。
志野には空を飛んでいるような気分に思えていた。高速道路は地上高くに設置してあるから、周りの景色が下に見えることもそう感じさせる原因になっていた。
「なにやら、空を飛んでいるような気分です。この道は高いところにあるのですね」
「高架といって、道路を地上高くに持ち上げて作ってるんだよ。そうすれば、行き交うものと交差しないから、安心して真っ直ぐに進めるだろう、解るかい?」
「はい、邪魔なものがなくなると言うことですね」
「そうだよ、このぐらいの速度で走っていると、ぶつかっちゃうと、ショックで死んでしまうからね。馬に蹴られたというような怪我ではすまなくなる。だからルール、規則があるんだ。みんなそれを守って車を走らせている」
「なるほど、決まりがあるということですか」
「よく見てご覧。同じ方向に走っている車は進行方向の左側を走っているだろう、解るかい?」
「そういえば、そう見えます」
「最初の決まりなんだよ。左側を走ると言うことはね。次は、速度。どんなに早く走っても良いということではないんだよ。ここの道路は何キロ、わかりやすく言うと今の速度は大阪と京を半刻で行き来できる速さなんだよ。時速って呼ぶけど80キロぐらい」
「大阪と京を半刻ですか?馬より倍の早さですね」
「なるほど、そういえばより解りやすかったね。この先にある高速道路という道はさらにそれより早く走れる。馬の3倍だね」
「それは早いです。貴雄さんのプリウスはどのぐらいで走れるのですか?」
「速度制限を無視すれば・・・馬の4倍強かな」
「それでは鳥と同じ速さになりますよ!本当ですか?」
「本当だよ。でも走らないけどね。許されていないから。いつか乗せてあげるけど、新幹線と言う乗り物があって、江戸と大阪を一刻半かからずに行き来する」
「鳥よりも早いって言うことですね。驚きです。車ですか?」
「いや、電車と言う軌道式の乗り物だよ。楽しみにしていなさいね」
志野は貴雄の言っていることをどれほど理解出来ているのかは疑問だった。
車は西名阪に入った。制限速度は80キロだったが、流れに乗せて約100キロほどのスピードで真っ直ぐな道を天理に向けて走らせていた。
「貴雄さん、早くなりましたね。まるで鳥に乗っているように感じます。とても感激します」
「そうかい、怖くはないかい?」
「はい、貴雄さんと一緒なのですから・・・」
「そう・・・嬉しいね」
後の言葉が続けられなかった。志野の想いが自分に近づいていることを感じ始めていたからである。貴雄の想いも同じではあったが、15歳の少女にこれ以上の感情を抱くことは許されないような理性が働いていた。妹で良いのだ・・・今は、そう自分に言い聞かせていた。
「この辺は奈良と言って飛鳥天平時代の建物がたくさん建っているよ。法隆寺、東大寺、唐招提寺など、知っているかい?」
「はい、存じています。そうですか、奈良でしたか。一度も訪れたことはありませんが、大きな大仏様がおられるとお聞きしました。ご存知ですか?」
「東大寺のね。今度連れて行ってあげるよ。それは大きいよ」
「本当ですか?楽しみです。京へも行ってみたいです」
「そうしよう。このプリウスで日本中のどこへでも行けるから、志野の生まれ故郷へも連れて行ってあげるよ」
「真田村へですか?本当に?とても遠いですよ」
「今はここの道と同じような高速道路が出来ているから、直ぐに行けるよ」
「そうでしたか・・・便利になっているのですね」
何を思ったのか、志野は涙をこぼしていた。ふるさとの話をしたので思い出してしまったのであろうか。とても、愛しいとその横顔を見て強く感じた。
作品名:「不思議な夏」 第一章~第三章 作家名:てっしゅう