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祭りのあとのあとの祭り【田島くんと妹尾さん】

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 スーツの男は無言で屈みこむと、田島の足元から眼鏡(だったもの)を拾い上げた。ひしゃげてねじれたフレームから、半分欠けたレンズがぽろりと落ちた。誰がどう見ても完全にご臨終だ。踏み潰した本人である田島としては、非常に気まずい。
「あの……なんつうか……ほんとすいません」
「いや」
 さすがに申し訳なくて頭を下げても、男は特に気にしている風もなく、眼鏡の残骸を胸ポケットにしまう。正にとりつくしまもない、という感じである。これならいっそ怒鳴られでもしたほうが、田島としても謝りやすいのだが。
「……べ、弁償しますから!」
「むろん、そうしてもらえるならありがたいが」
 男は相変わらず無表情のまま、田島を見た。
「眼鏡は家に帰れば予備があるので、それに関してはさほど急は要さない。むしろ家に帰るまでが問題だ」
「は?」
「お兄さん、もしかして眼鏡ないと全然見えないの?」
 周りにいたおばさん連中が口を出すと、男は頷いた。
「実を言うといま、皆さんの顔もよく見えません」
「あらまあ。家が近いって言ってたわよね?」
「はい」
 男は頷くと、市内のとあるマンションの名前を告げた。数年前にできたばかりの大型集合住宅だ。
「普段はバスを使っているのですが、今日はたまたま帰宅が遅くなったのです。今日が夏祭りの日だとは知らなかったものでタクシーも捕まらず、歩いて帰ろうと思っていたところで」
「ああ、お祭りの晩はなかなかねえ……」
 祭りの夜は酒が入る者も多く、タクシーや代行運転業は稼ぎ時だ。たとえ駅前でもそう簡単には捕まらないし、ひどい時はタクシー会社に電話しても一時間待ちということもある。さすがに夜半を回った今はピークは過ぎているだろうが、それでも空車を見つけるのは難しいかもしれない。思案顔だったおばさんが、急に田島のほうを向いた。
「タケちゃん、今日はバイクじゃないの?」
「『タケちゃん』はやめてくれよ」
 下の名前が武信でタケちゃんなのである。二十歳を過ぎてこの呼び方はさすがに恥ずかしく、頭をかきながら答える。
「俺は今日はバスで来た。今夜は実家に泊まろうと思ってたし」
 田島は地元のバイク屋の次男坊だが、跡継ぎの兄の結婚を機に実家を出て以来、アパートからバイクで実家に毎日出勤している。だが今日は祭りの後どうせ飲み会になると思って、愛車はアパートに置いてきたのだった。
 あらそうなのお? とおばさんは残念そうに呟いて、
「じゃあタケちゃん、せめて送ってあげなさいよ。歩きでいいから」
「え」
「だってこのお兄さん、このままじゃ信号も渡れないじゃない」
 それはもっともだ。もっともなのだが、しかし。
「ちょ、ちょっと待てって。そんなん勝手に決められたって、この人だって困」
「いや。私としてもそうしてもらえれば非常に助かる」
「ちょっ――!?」
 田島があわてて振り向くと、男はじっと田島の顔を見上げてきた。
「もちろんきみが嫌だというのであれば、それは仕方がないが」
「や、その、嫌っていうか」
 あんたのことが苦手だからだ――などとは、さすがに面と向かって言えない田島である。
 そう、苦手なタイプなのだ。むしろ未知のタイプすぎて不気味だといってもいい。丁寧すぎて回りくどい言い回し、話している間もあまり動かない表情。SF映画のロボットみたいにまっすぐな背筋……それに、話している間やたらとまっすぐに田島のことを見る。いわゆるガンつけなら田島だって怯むようなタマじゃないのだが、この男の静かなまなざしに見られているとどうにも落ち着かないのである。
「……わ、わかりました。送っていきます。それでいいんスよね」
「うむ。ありがとう」
 男が言うと、じゃあそれでいいのね、とおばちゃんの一人が手を叩いた。
「こっちはもうだいぶ片付いたし、ここはもういいから行ってらっしゃいよ」
「お詫びだと思ってしっかり送ってらっしゃい」
 片付けの続きをするべく散っていくおばさんたちに背中や肩を叩かれながら、田島は少々気が重かった。
 もちろん田島だって、眼鏡を壊したのは悪かったと思っているのだ。だから送っていくのはまったく構わない。構わないのだがしかし――こんな人と、道中一体なにを話せばいいってんだ? まさか家に着くまで、ずっとだんまりというわけにもいくまい。
 ちらりと横目で男を見た。
 男も無言で田島を見ていた。真っ黒な目とまたも視線がぶつかり、田島は内心どきりとした。
 一体なんだって、この人はこんなにじっと俺を見るんだ。いやそうか、眼鏡がないのだ。だから田島の顔がよく見えないのだ。だからこんなに凝視してくるのに違いない。それだけに決まっている。別に変な意味は……変な意味ってなんだ?
 ……田島が心中ひそかにドギマギしている間に、おばさん連中はみんな周囲から離れていったようだ。閑散とした商店街の片隅、撤収準備に賑わう人の輪からも外れて、いつのまにか男とふたりきりにされている。
「では申し訳ないが」
 泰然とした態度で男は言いかけ、ふむ、とそこで初めて少し考え込む様子を見せた。そして口を開いた。
「申し訳ないが、家までよろしくお願いする。タケちゃん」
「タケちゃんは勘弁してくださいよ……」
 何が悲しくて、初対面の男にまでタケちゃん呼ばわりされなければならないのか。憮然として言い返した田島に、そうか、と、相変わらず顔色ひとつ変えずに男は頷いた。
「では、自己紹介が必要なようだ。私は妹尾亜基(せのお・あき)。妹(いも)の尾と書いて『せのお』と読む」
 ……イモのオ? 言っていることはまったく分からなかったが、とりあえず田島も名乗ることにする。
「田島ッス。田島武信」
「たけのぶ。なるほど、それでタケちゃんか」
「もういいですって、それは」
 商店街のおばちゃん達にそう呼ばれるのにはいい加減慣れているが、初対面の相手に呼ばれるのはむずがゆい。
「ところでタケちゃんという呼び方だが、きみはやはり気に入らないのだろうか」
「当たり前だろ……や、当たり前でしょう」
「かわりに私のことはアキちゃんと呼んでくれて構わないが」
「……冗談でしょ?」
「冗談だ」
 無表情のまま、スーツの男――妹尾は言った。

(つづく)