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ベーシックインカムに関する私的な考察

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 昨今とみに日本で耳に掛けることが多くなったベーシックインカムについて、私的な意見と考察を書き連ねたいと考える。
 まず、先に現時点での私の立場として述べておきたいのは、私が反対派ということであること、そしてその立場として書き連ねると言うことである。

 ともあれ事の始めに、ベーシックインカムとはなにかと言う問題である。
 ベーシックインカムとは最低生活保障制度らしい。
 それは人間が文化的に生活するに足る「現金」を「全国民」に配布する制度ということだ。
 「貧困な世帯」に渡る生活保護とは、「全国民一人一人」に生活に足る現金を渡すという点で大きく違ってくる。労働している国民にもその給付されるのであり、就労努力をしていない人間にも給付されるのである。
 その財源は現在の社会保障、例えば年金や生活保護は打ち切って良く、また国営企業の多くをとりやめ、富の再分配と治安維持程度に専念することにより現在の税収で賄えるとしている。
 またこれらの概念により、「働かなくとも生活できる制度」として認知されている側面がある。


 さて、このベーシックインカムはその概念から、社会保障を主目的にした制度のように考えられることが多い印象を私的に持つが、私としてはベーシックインカムは経済対策としての制度であると考えている。
 ベーシックインカムでは自由経済や自由競争を共に論じられる事が多く、曰く、3Kなどと呼ばれたり農業のような生活に必要で労の多い仕事の担い手が減るのではないかという問題提起に、強い自由競争に生活保障の制度が加わることによって、それらの仕事により多い賃金が発生するだろうと考えられている。
 こう言う経済面の議論が専らになされる。
 このような議論の中から、ベーシックインカムは社会主義に付随するような企業の国有化と一社の独占を伴うよりは、自由な経済競争を伴う物として考えられていることが分かる。
 社会主義国家の多くが崩壊したことが原因となっているかも知れないが、現状ベーシックインカムと自由至上主義とはセットの物であり、もしくは現在の自由市場よりも強い自由経済を指向している。

 ここから私的に考えるに、ベーシックインカムとは経済制度の受け皿としての制度ではないか。
 つまり、全ての国民が生活に足る資金を得れば、労働者の生活は保障されているために、より強い規制緩和や自由競争を行うことが出来るのではないかということだ。
 倒産しても社員は生活していくことが出来るのであるから国は会社を保護する必要はない。
 また逆に社員は生活が保障されているために、所属する会社に対して地震の賃金などの要求を今までよりも強く訴えることが出来るようになる。
 このように、多くの国民が自らの賃金を得るために戦うことをより盛んにするかわりに、その敗者や落伍者の受け皿として、全国民に生活保障を与える。
 そのような、自由経済をより強くすることを目的として、その補助としての生活保障の制度だと私は考えている。

 その私の考えの上で、ベーシックインカムの私的に考える利点と問題点を述べさせて貰う。

 利点でいえば、まず制度上は貧困を免れるということだろう。
 また国民一人一人が対象となるために、子供でも受け取れるということとなり、大家族であればあるほど給付が大きくなり、子供が多くなっても困窮しないことが上げられる。
 そして前述のように経済面への影響がある。より強い自由経済により企業の競争がはげしくなり、質の良い商品や安価な商品がうまれる。また労働環境の改善への力ともなるだろう。
 また、社会の労働について行けない人々、例えば肉体的な病人や障害者、精神病は勿論、またニートですら生活が保障され、多くを望まなければ生きることが出来る点が大きい。
 他に利点が考えられる場合申し訳ないが、私的にはこの程度だと感じている。

 次に問題点である。
・まず、この議論が未だ机上の物であることだ。
 はっきり言えば全ては予測の中の話だ、これから私が考える問題点もまた予測である。
 やってみなければ分からない、とはその通りだが、いきなり国政や地方自治体で実戦というのは問題があった場合の被害が大きくなるだろう。小さな街や小さなモデルケースで実験をしてまず擬似的な結果を出してから実用に向かうべきではないかと考える。
 マルクス主義は先ず国家を革命し、ソビエト連邦、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、ドイツ民主共和国を産んだ。国家を変えるのは旧来から前例がなく行われたが、現在のような状況であれば、社会制度の変更は事前に実験などを行ってしかるべきではないか。
・次に経済の流動性の問題である。
 経済は普遍的な物ではなく、また自由経済を指向するために、より一層の変化をともなう、その中で生活保障される金額の調整を政府がコントロールしきれるかと言う問題である。国内だけの需要なら問題ないが、日本の場合多くの物品を貿易によって得ている。世界的な経済の変動によって値上がり値下がりが起こった場合に対応しきれるかが問題となる。
・それに関連してインフレの問題を上げる。
 全ての国民に対して生活に必要な金額を渡すとどうなるか。多くの労働者は生活に必要な金額よりもより多くの金額を持っている。ならば売り手側はどう考えるか。生活に必要な金額よりも多少値上げしても売れるだろうと考える、そして多くの人は買うだろう金が余分にあるのだから。これは自由経済の問題でもあるが、全ての人に金を渡せばインフレを起こす。結果として生活に必要な金額は、給付されるよりも多く必要になる。そのいたちごっことなり、給付のみで生活できる人は殆ど存在できないだろう。
・さらに物体の耐久性の問題。
 例えば現状で多くの家屋が存在するために、生活保障される金額だけ渡せばよいと思えるが、実際には歳月を重ねるごとに家屋は朽ちて家具類も故障していくことになる。それらを生活保障の金で手に入れられるのか。
・地域格差の問題もある。
 現在流通の革新で多くの製品が都市部や田舎で価格の差が減ってきているとはいえ、厳然として多くの地域で生活に必要な金額が変わってくる。現状での生活保護では地域ごとに給付金が変わる。しかし、ベーシックインカムの場合は全国民に一律の金額を渡す。それは生活地域が絶えず変わるような労働者にも渡さなくてはならないからだ。
 その結果として給付を受けるだけの人達に地域間の生活格差が生まれる。
 この問題に対して、給付のみの人は生活しやすい地域に集まり、結果として地方が活性化すると言う論がある。これに対し私は次の問題も含めて考えたい。
・差別の問題である。
 差別はあってはならない。と謳えども、現実には最も起こりうるものだろう。ニートは白い目で見られると言うのも現実社会の話だ。給付のみで生活すれば法律的には保護される存在でも、人々はどう扱うか。自由経済でより競争で激しくなった労働を行う人々の金を分け与えられて生きる働かない人々。
 それは法律で罰そうとも起こる。