親愛なる我が敵へ
信じられない光景を目にしたのは、彼女と二手に分かれた後。
馬にまたがった彼女は、標的である人間の子を連れ、逃走しようとしていた。
何故だ――――。
しかしそれは、すぐさま掻き消えた。
裏切った以上、彼女を殺さねば。
全ては、ブライツ王国の為に。
我が、誇りの為に・・・。
「おい、七三九号、出ろ」
呼ばれた男が、看守を睨み、牢から出る。
ブライツ王国・国王直属、特務機関『メイス』幹部、ヴァイン・レイフ。それが七三九号の名前である。
何故大物の彼がこんな所――――ベルク共和国の片田舎にある収容所――――に捕まっているかというと、任務で、ある人物を抹消しに行き、返り討ちに遭ったからであった。
しかも、更にその相手は、自分をこの収容所に送り込み、ちゃっかりと礼金を受け取っている。
イリス・バルト。リュカス・ウェッジと名乗っていた、元は自分と同じ機関の女性が、その相手。
それと、首を突っ込んできた男の事も、ヴァインは忘れられない。
己が拳だけでヴァインに立ちはだかった、ディーク・ローの事が。
あの男の介入さえなければ、勝っていたというのに。
囚人達が集められ、食事が始まる。
(何故・・・死を選ばない、僕は)
ここに収容されて、もうすぐ二ヶ月が経とうとしている。
彼の所属する機関、『メイス』の人間は、捕まれば即、死を選ぶ。
それなのにヴァインは、未だ死を選べずにいた。
取調べには、常に黙秘している。
毎日、今はその繰り返し。
『メイス』の人間として、任務に当たっていた頃が、懐かしくさえ思える。
ため息を吐き、ヴァインはまずいスープを口に運ぼうとした。
「大変だっ!!」
看守の一人が叫びながら、長い廊下を走って行くのが見えた。向かう先は――――総責任者の下か。
それはヴァイン達、囚人にも聞こえた。
「お前達騒ぐな!!静かにしろっ!!」
他の看守が、鶏のように騒ぐ囚人達を注意する。しかし、鶏は一瞬静まると、再び鳴き出す。同じように、彼らも話を再開した。
その後、牢を伝って流れた噂があった。
ブライツ王国が、戦を始めたと。
相手は?
王国に屈さない、大陸の国の全て――――連合国。旗印は、以前王国を破ったリフク公国皇太子、フュウ・トリフェスの娘、レティシア。まだ、子供だ。
その少し前に、ブライツ国王、ラフスト四世が賊に襲われたとの情報も入った。
王は無事らしいが――――その時賊に要求され、幾つかの国を解放せざるを得なくなったという。
結果、その国を中心として、連合国が結成されたのだ。
(あの男だ、あの女だ・・・!!ディーク・ロー、イリス・バルト!!)
ぎり、とヴァインは唇を噛んだ。何の裏付けも無い只の噂だが、彼には誰が国王を襲ったか、分かった。
連合国の旗印として、フュウの娘が掲げられたのも、その為だろう。
かつて、イリスがリュカスであった時。彼女は、当時下っ端であったヴァインと組んだ。
そして、その任務で裏切った。
標的であった、フュウ・トリフェスの娘を連れて。
イリスはその後死んだと思われていたが、生きていた。それが分かったのは、つい最近。
ヴァインがその抹消に失敗してから、しばらく王国の動きは無かった――――が、二人が先制攻撃を仕掛けたという事は、何らかが起きたとみて間違いない。
だが不思議な事に、今までの靄が晴れていた。
自分が死なずに生きていたのは、王国に危機が迫っていると、何処かで分かっていたからではないか?と。
「陛下、今すぐ参ります・・・・・・」
暗闇の中。独り、ヴァインは呟いた。
王国が、自分を呼んでいる。
今まで逃げる気力も起こらなかった自分に、王国は喝を入れてくれた。
「〝ヴァイン・レイフが名に於いて、我が名に欲す。名に示されしその力、我が前に現れたまえ――――定魔名(じょうまみょう)よ〟!!!」
魔力の込められた自分の名前に、ヴァインは呼びかけた。
常人とは違い、王国に忠誠を誓った者だけが持つ、刺青のようなもの。そして、誇り。
ヴァインの身体を、緑の光が覆う。
「はああああああっ!!!」
彼は、右手を掲げた。
光が、一目散に右手の向けた方向へと駆けて行く。
同時、牢の壁が破壊され、ヴァインは外へと出た。
慌てて、彼を追いかけてくる看守達。
「愚かな・・・・・・。『メイス』の人間に、貴方達が敵う事はありませんよっ!!!」
近くに居た看守から棒を奪い、彼はそれを振り回した。
自分の得物とは劣るが、ここを切り開く位なら丁度良い。
「僕は王国に帰ります!死にたくなかったら離れなさい!!」
ヴァインの操る棒が、縦横無尽に看守達を倒していく。
夜風になびく銀髪が、とても心地良かった。
ベルク共和国の首都、デフツ。王国へと帰る前に、ヴァインにはどうしても会っておかなければ気のすまない人間が居た。
イリス・バルト。そして、ディーク・ロー。自称、伝説の仕事屋に。
勿論、再び戦う為。ここで負ければ、元の収容所戻りだ。
それでも、ヴァインはこのまま王国へ帰るという真似はしたくなかった。
負けたままで帰る事は、王国の誇りに傷が付くのと同じ。
貧困階級が住む下町へと、ヴァインは歩を進めた。自分が収容所の脱走者だという事がばれぬよう、目深にフードを被る。
似たようなぼろぼろの家を何件も通り過ぎた所で、ディークとイリスが住んでいる家が見えてくる。
「そこは今空き家だぜ」
「っ!?!」
ヴァインは慌てて後ろを振り返った。自分が、全く気配を感じなかった。
焦りが急に押し寄せる。
「ディーク・ロー・・・っ!!」
「よう」
ディーク・ロー。短めに刈った茶色の髪、日焼けした素肌。薄汚れた、皮製の防具。
そして、前に会った時には持っていなかった長剣を、背中に掛けている。
その長剣を、何処かでヴァインは見た事があった。
リフク公国皇太子、フュウ・トリフェスの武器。
「何故・・・何故貴方が彼の剣を持っている・・・?!」
ディークは苦笑して言った。
「ここじゃ目立つ。外に出ようぜ、えーと・・・あれ?名前何だっけな??」
真剣な顔つきのまま訊ねてくるディーク。
「ヴァイン、ヴァイン・レイフです、ディーク・ロー」
「あーそか、ヴァインだったな~いや~俺、物覚え悪いんでな。いっつもイリスに怒られるんだよなーこれが」
たはは、と言って頭を掻く姿は、ヴァインが初めて会った時の雰囲気と同じものだった。
「リュカス・ウェッジ・・・いえ、イリス・バルトは何処です」
首都の外は、砂漠。我が物顔でこの世界を支配する人間でも、進んで足を踏み入れはしない、未開の地。
ここなら誰かに自分達の姿を見られる事は無い。
だから、単刀直入に、ヴァインはイリスの事を訊ねていた。
「あいつは今、ちょいと療養中だ。ちなみに、この国には居ない」
「だから、空き家だと言ったのですか」
「そういう事だ。――――まさか、フュウあいつがあんな事になってたとはな。成果は大きかったが、犠牲も大きかったぜ」
ディークがこちらを睨む。
イリスが逃げ出した時、フュウは独り残っていた。
殺すのが、国王の命令だった。