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楠太平記 二章

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 領民たちの訴えがあり、正行(まさつら)は金剛山の麓にいた。

「昨夜確かに雷の落ちたような音を聞いたが・・・・・・雨は降っていなかったな」

「へぇ、左様でごぜぇます!」

 発見者の領民は、身体を震わせながら必死でうなずいた。

「だが兄者、地面が焦げている。これは雷ではありますまいか?」

 大穴の中に入って調べていた正時が、よいしょと出てくる。

 兄妹の中でも一番の偉丈夫である正時ですら、穴から抜け出すのに一苦労。

 ほとんどの者がこの穴にすっぽり埋まってしまうだろう。

「穴は三つ・・・・・・だが辺りの木や土地の荒らされた所もある。死人が出ていないのが幸運であったな。

 良くは分からぬが、北朝方の手によるものではあるまい。用心に越したことは無いが・・・・・・。正時、人夫を集めよ。穴を埋め戻し、倒れた木や、倒れそうな木を切るのだ」

 正行はそう指示を下しながら、一つだけが気になっていた。

 この穴だけ、他の穴よりも凹凸が激しく、深く穿たれていたことが。


 縁側で足をぷらぷらさせながら、千早は暇を弄んでいた。

 兄たちは今朝から慌ただしく、稽古にも付き合って貰えていない。もちろん仕事の邪魔をしたくないので、仕方ないのだが。

(ちょっと、外を廻ってみようかな)

 愛馬の堯に乗り、外に出る。

 昨夜の雷が気になっていたこともあった。正行たちが朝から向かっていたのも、その雷のことだった。

 というのも昨夜は雨も降っておらず、雷が鳴るはずがなかった。

 それも思わず目が覚めてしまうほどの大きな音が三、四度と続いたのだ。気にならないはずがなかった。

 金剛山の麓に向かうと、人だかりがあった。

(兄上たちだわ)

 仕事の邪魔だと言われては困るので、その人だかりを迂回することにした。

 邪魔と言われなくとも、困った顔で笑われるのは目に見えていた。

「それにしても、凄い被害・・・・・・」

 木々があらぬ方向に折れ、裂け、地表は人一人がすっぽりと入ってしまうほど深い穴だ。

 穴は空いていないところでも、その被害は甚大。これを元に戻すのはかなりの労力が必要だろう。

 しばらくすると、人だかりがばらばらと散り始めた。正行たちが帰ったのだろう。

「じゃ、行ってみますか」

 堯の腹を軽く叩き、千早はゆっくりと人だかりのあった方へ向かった。


 人だかりはある程度ばらけていたが、兄・正時はその場に残っていた。

「おう千早、どうした?」

「そりゃあ、昨日のことが気になって来たんです。検分が終わったようでしたけれど、正時兄上はどうしてここに?」

「うん、兄上に人夫の手配と指揮を任されたからな。早急に終わらせねば、領民にも不便だからなあ」

 正行はここ河内と和泉の守護だ。善政を敷き、民には慕われている。

 領民の訴えを聞き、すぐに行動し、対処する。お陰で正行は忙しそうだが、領民たちの評判は父・正成と変わらず上々だ。

「とりあえず千早、気が済んだら早めに帰った方が良いぞー。兄上が心配するからな」

「はぁい。じゃあもうちょっと廻ってから帰ります」

 千早は堯から降りると、穴の様子をまじまじと見つめた。

 穴の表面は余所で見たものと同じ、黒く焼け焦げている。だが――。

(この穴だけ、妙に大きい・・・・・・)

「正時兄上、ここの穴だけ大きいですね。雷が同じ場所に落ちることってあるんでしょうか?」

「んー? まぁそういうこともあるのではないか?」

 雷が落ちやすい場所というものはあるが、同じ日に二度も同じ場所に落ちるのだろうか。

 千早はひょいと穴に降りた。

 正時が見落とした部分がないか、自分の目で見定めたかったのだ。

 降りてみると、予想以上に凸凹が激しい。一つ目の穴の上辺りに、もう一つの穴が出来ている。

「どうだー? 何かあったか?」

 正時に手を引いてもらい、穴から何とか出る。背の低い千早では、一人で抜け出せないほどだ。

 これほどの穴から出るのは容易ではない。ここにもし人がいたとしても、すぐに抜け出せるだろうか。

「二つの穴が合わさって、一つの大きな穴になっているように見えます」

「ふーむ・・・・・・」

「正時兄上、もう少しこの辺りを見てきます。何かあったら知らせますね」

 腕組みをして唸る正時を横に、千早はさっと堯に飛び乗った。

「まったく、兄者に似て行動が早いなあ、千早は・・・・・・」

 ぽりぽりと傷の残る頬を掻き、正時はその背中を見送った。

 正時たちの姿が豆粒ほどにしか見えなくなった辺りに来た。ここは麓から村へ降りていく坂道があり、道の両側は高く土手が盛ってある。

 今年の夏は天気が良かった為か、土手は萱で覆い尽くされている。

「わ、凄い・・・・・・こんなに茂っているなんて」

 萱は千早の腰に届くまでに背を伸ばしている。この辺りの人間に頼んで刈ってもらわねば、と千早は嘆息を漏らした。

(ん――?)

 萱の茂みの中、一か所だけ大きく窪んでいるのが目に付いた。

(血の、臭い・・・・・・?)

 鼻にツンとくる臭いに、思わず懐の短刀を握る。何かいる。

 このまま先に進むのは止めて兄たちを呼ぶべきかと迷ったが、取り逃がしてしまっては後の禍根となるかもしれない。そうなる前に自分が行かねばなるまいと決意し、千早はちくちくと腕や足にまとわりつく萱の茂みを進んだ。

 周りを警戒し、音は最小限に留める。臭いはだんだんと厳しさを増していく。これだけの血の臭いだ。茂みの中にいる何かは、死んでいるのではないか。

 微かに鳴ってしまう萱の音に、反応もない。

(――よしっ!!)

 短刀を抜き、思い切り飛び出す。

「っ!!」

 果たしてそこには、一人の人間が血を流して倒れていた。

(この人、この間の――!!)

 千早は慌てて駆け寄る。見覚えのある恰好だったからだ。

 先日遭遇した、黒一色の異国風の着物を着た黒髪の女性だ。左腰の鞘には刀は納まっておらず、少し離れた所に転がっていた。

 傷は左肩から下にかけて深く走っており、致命傷とも言えた。が――。

(生きてる・・・・・・!?)

 虫の息ではあるが、微かに呼吸をしている。

 千早は自分の小袖で彼女の傷口を縛った。損得勘定抜きに、この女性を助けなければ気が済まなかった。

 幼い頃から行き倒れを見つけると助ける、という習慣が千早にはあったのだ。拾い姫、と揶揄されることもしばしばだ。

 だが千早一人ではこの女性を運ぶことは出来ない。

「今助けを呼んできます。だから、死なないで下さいよっ」

 近くで萱を食んでいた愛馬を呼び戻し、千早は正時たちの下へと向かった。

 あの怪我では野犬に襲われても抵抗すら出来ない。物盗りに対しても同じだ。早く屋敷に運び、手当をせねばならない。

 正時は集まった人夫たちに指示を出し始めているところだった。

「正時兄上っ!!」

「おう、何かあったか・・・・・・? ってお前、何だその格好は! 何処かで引っかけでもしたのか」
作品名:楠太平記 二章 作家名:竹端 佑