楠太平記 一章
その昔、源頼朝が開いた鎌倉幕府という組織があった。
組織というものは時を経る毎に成長し、やがては衰退していくものだ。
鎌倉幕府は武士や庶民たちの支持を失い、時の天皇・後醍醐による呼びかけで滅ぼされた。
だが、親政はその後わずか二年で終わりを告げた。
かのミカドが望んだのは、天皇と公家を中心とした、古き良き時代の政治だった。
武士たちにとって領地は命綱。
本来ならば褒美となる土地のほとんどは、天皇や公家たちに抑えられた。もしくは、以前よりも減らされるということさえ発生した。
その武士たちの怒りは、源氏の血を引くある武将に託され、後醍醐は京都を追われることとなった。
その後、新たな天皇が立ち、武士を中心とする政治体制が出来た。
だが後醍醐はそれに異を唱え、京都から吉野の山に逃げた。自分こそが正統の天皇である、と。
ここに、南の吉野と北の京都、二人の天皇、二つの朝廷が存在することとなった。南北朝時代の始まりである。
しかし武士たちの支持を得られない状況では多勢に無勢。彼に味方する武将たちは次々と戦いに敗れ、討ち取られていった。
失意の内に後醍醐は崩御。その後を義良(のりよし)親王が即位した。
だがそれから八年。南朝方は大きな成果を得られないまま、北朝とのにらみ合いが続いていた。