名探偵カラス Ⅲ
ついにその日がやってきた。奴に制裁を加えることを決行する日が……。
その朝、ネグラを出る時に俺は、以前、真由美さんちのベランダで見つけた赤い目のドクロのストラップを持って出掛けた。
奴が通る頃を見計らって、俺はその橋の袂の欄干に止まって待った。
間もなく奴が自転車で俺の前を通過して行った。
これから奴の身にどんなことが起こるかなど、まったく思いもしないで、お気楽な顔で……。
俺は素早く空へと急上昇すると、今度は奴の頭を目掛けて急降下した。
ガツッ! ガッシャーン!
俺の嘴が、奴の頭に突き刺さるかと思うような勢いでぶつかり、奴の制帽は吹っ飛ぶし、突然の激しい痛みに襲われ驚いた奴は、自転車ごと激しく横倒しになった。
俺も覚悟はしていたが、衝撃のショックで弾き飛ばされた。
奴が頭を押さえながら立ち上がったのと、フラフラする頭を振って、俺が前を見据えたのは殆ど同時だったかも知れない。
奴は俺を認識すると、怒りに燃える片目で俺を睨み、俺を目掛けて突進して来た。
「このクソカラスーー! よくもやりやがったなあー!」
大声でそう喚きながら……。
しかし俺は、捕まると見せかけて、ほんの一瞬早く奴の手をすり抜け、その鼻先にぶつけるようにドクロを投げつけ飛び上がった。
一瞬の出来事に若干面食らったものの、自分の足元に転がるドクロを見て、奴は明らかに動揺していた。もしかしたら、あの日ベランダに落としたことに気付いていたのかも……。だとすると、壁を登ろうとしていたあの時は、ひょっとしたら落としたドクロを探すつもりだったということも考えられる。
しかし今更どうでもいいことだ。
兎も角も、奴はそれを目にした途端に全てを悟ったはずだ。少なくとも俺が、奴の正体を知っているということ。そして奴の目を潰したカラスだということを……。
――案の定、奴は目を血走らせて俺を追って来た。
「待てーー! この野郎、生かしちゃおかねえーー!」
そう声を荒げて、自転車を倒したままで……。
内心俺はほくそ笑んでいた。
「そうだ。その調子で追って来い!」
ようやく橋の中程まで来た時、俺は逃げるのを止めて橋の手摺りに止まった。
奴は俺を追い詰めたとでも思ったのだろう。鼻で嗤うと舌なめずりをした。
そして正に俺に手を掛けようとしたその時、俺の鳴き声と共に、ダダダダーっと異様な音が近づいて来た。
「えぇっ!」
驚いて振り返った奴の目に映ったものは、黒い小さなモノの大群が恐ろしい早さで自分の方へ迫り来る姿だった。
もちろんそれは、俺が応援を要請しておいたチュータが仲間を引き連れて、その先頭に立ち、一個団体で奴を目掛けて走って来る姿だった。
「ヒエェーーーー!!」
奴の声が響く中、ダダダダーっという足音と共に駆け寄ったねずみの大群は、奴の足元から奴の身体へと次々に飛び付き、そしてうじゃうじゃと駆け登った。
「ギャアーーー! 誰か助けてくれぇーー!」
奴は叫びながら、必死でねずみの群れを振り払い、蹴散らそうと手足をフルに動かしてもがいている。
公然の路上でのこと、当然ながら通りすがりの人もいるが、皆、何事が起きたのかと驚いた顔で呆然と、尚且つ自分に被害が及ばないようにと遠巻きに事態を見つめている。もちろん奴を助けようとするような奇特な人間はいない。
誰だってみんな、自分の身が一番可愛いのだ。
遂には、奴の頭の天辺から足の先までもがねずみでびっしり埋め尽くされ、それは黒い人影でしかなくなった。それでも奴の叫び声だけは虚しく響いている。
俺が最後の合図の声を上げると、今度は、どこからか黒い軍団が空を覆うように飛んで来て、奴の頭上で黒い影を作った。
その黒い影の集団が、一旦動きを止めたと思ったら、その直後には奴を目掛けて一気に下降した。
奴は微かに見える片目で、その一団を見ていたのだろう。一際甲高い悲鳴を上げた。
「ギャアアアアーーーーー!」
黒い軍団が奴を突き刺し、その身体は橋の手摺りを後ろ向きに乗り越え、その向こう側に落下して行った。
頭から落ちて行ったその身体は、大きな飛沫〔しぶき〕をあげて川の中へ……。
バッシャーーーン!
その音のすぐ後にグキッ! と言う音がしたが、聞こえた者は少ないだろう。
奴が落ちた水の上には赤い色が広がっていき、一旦沈んだ後に浮かび上がってきた奴の身体と共に下流へと流れ始めた。
その時になってようやく、周囲で見守っていた誰かがパトカーを呼んだのか、遠くからサイレンの音が近付いてきた。
俺は橋の上から、流れ行く奴の姿を目で追っていたが、仲間たちに解散の合図をすると素早く空へと舞い上がった。
「これで奴への制裁は終わった!」
俺は、決して晴れ晴れしいとは言えない苦い思いが胸に残った。
しかしそれ以上に、真由美さんやその他大勢の被害者が、もうこれ以上苦しまなくても済むという安心感にも満たされ、その両方が複雑に絡む思いを抱いて、疲れた身体を癒すため一旦ネグラへと戻った。