夢の途中6 (182-216)
二人の姪っ子達と狭い社宅の風呂を遣い、麻美がはしゃぎ疲れて眠ったのをしおに、9時過ぎ社宅から歩いて5分の古い文化住宅の二階の自室に戻ったのだ。
3月も20日(はつか)を過ぎて、世間ではそろそろ今年の桜の見頃はいつ頃かと話題に上る季節ではあったが、夜の9時過ぎともなれば夜露は冷たく香織の洗い髪を凍えさせた。
美羽の家で麻美や奈美と戯れて居る内は、幾らか気分も紛れるのも事実で在ったが、
妹を心配させまいとする香織の演技も幾らか入っていて、誰も居ない暗く凍る部屋に戻ると、さっきまでじっと耐えて来た感情の堰が、ガラガラと音を立て崩れて行く事もしばしばだった・・・
横浜で孝則と出会い、時間が経つにつれて香織の目には孝則の姿しか入らなかった。
埼玉の由緒ある大病院の跡取り息子であると周囲から聞き、所詮自分とは釣り合いの取れない相手だと思っていたのに、意外にも孝則の香織に対する気持ちも二人同時進行に高まっていたと後から知った。
そして思いもかけず、父親に勘当されても自分と添い遂げたいと言った孝則の情熱に負けて、夜逃げ同然の態で神戸に移り、今香織が借りたこの古アパート同様の住まいから新生活を始めたのだ。
それでも楽しく、幸せだった。
残業の無い医院での仕事帰りは、一緒に市場に寄って、その夜の食材を買い求めた。
たまには三宮に出て、ロードショーを観た後、高架下の中華店でささやかな贅沢もした。
アレもコレも、つい2か月前までは確実にあった幸せなのに、今の香織にとって遠い世界の出来事の様に思えた。
一人になればどうしてもそんな逡巡を繰り返す香織に、
追い打ちを掛けるようにして、アノ残酷な美智子の電話が掛って来たのであった・・・
その日の翌朝、いつもなら9時頃麻美を自転車の後ろに乗せて、家事に忙しい美羽に代わり保育園まで連れて行ってくれる最近の香織であるのに、その時間を20分過ぎても現れなかった・・・
美羽は云い知れない胸騒ぎを覚え、近所の顔見知りの主婦に麻美を頼み、前掛けを付けたまま香織のアパートに息を、切らして駆けつけた。
美羽は香織が孝則の形見とも言える携帯電話の存在を知らなかった。
しかし、例え知っていたとしても、その時の香織は電話には出なかっただろうが・・・
「お姉ちゃん、居る? お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
ドンドンドン!ドンドンドン!美羽は必死で部屋の扉を叩いた!
隣室の騒ぎに両隣りの住人が何事かと出て来た。
美羽はそんな事もお構いなしに扉を叩き続けた!
ドンドンドン!ドンドンドン!
近くに住む大家から部屋のカギを受け取り、再び部屋に戻った美羽が建てつけの悪い扉を勢いよく開く!
「お姉ちゃん!」
香織は昨夜美羽の家から帰ったままの姿で、うつ伏せで畳の上に倒れていた。
「お姉ちゃん、しっかり!しっかりしてェ~!」香織の身体を抱き起こし、必死の形相で強く揺さぶる美羽・・・・
香織の唇は死人のように血の気は無く真っ白になっている・・・
美羽が香織の胸に耳を付けると、微かに心臓の鼓動が聞こえた・・・
「誰か、誰か、救急車!救急車呼んでェ~!」美羽が部屋の外で遠巻きに中を伺う隣室の住人に向かって叫んだ!
美羽と目が合った隣室の主婦は、急いで部屋に戻って119番をダイヤルした・・・
作品名:夢の途中6 (182-216) 作家名:ef (エフ)