第14
お前らが 不幸社会を築く戦士なら 俺はそれに抵抗する戦士だ!
不幸社会を潰す アンチウイルスなのさ 俺は・・・
結局は お前らも 俺も 同じなのさ
違うのは 俺は全て解かって お前らは解かってない
アホの お前らと まともに付き合えんから
税金で 遊ばせてもらってるがね。
俺を やる気にさせたいなら
感動させろ! 心に 響く 生き様みせろ!
まずは 俺にやれと? やったじゃん 悉く
俺の誠意を潰して来たじゃん 無視してきたじゃん お前ら・・・
行動すると 潰してきたじゃん 無視してきたじゃん・・・
産まれて ずっと 今も この瞬間も・・・・
だから 俺は 静観 雌伏して 観察してる 実験してる
だが今の俺の眼には 見えないぞ お前らの真剣な心響かないぞ。
見えるのは 腐り果てた お前らだ・・・
嗚呼 もうこれ以上は 待つのは 疲れるよ
旅立つかな・・・
フン こんだけ暴露して こずいとるのに
お前ら 文句や 怒りのコメントも できんのか?
やっぱ お前ら アホやな! 俺が真剣になるほどの価値がない
この 人生は 現代は ・・・・・
呆れ果てたわ まっおかげ様で 楽させてもらってるわ ありがとう。
もう知らんで 安生暮らしや。
あはははは ~~~
まっ アホに この俺の綴ったもんは ネコに小判 豚に真珠だろうな。
馬鹿とハサミは使いようだなww
俺は ピーターパンなのさ 大人が嫌いだ 大人になんか
なりたくないね 汚い こすい 大人にはね!
付き合ってられまへん さいなら。
西洋のピーターパンに東洋の荘子これは同じだ奇跡だね
人は 本当は 荘子や ピーターパン の様に生きたいけど
それを邪魔する 悪魔がこの地球を支配している お手上げだ・・・
ネバーランドに 帰りたい↓↓↓。
物語の変貌
ピーターパンの物語は児童読み物としても普及していますし
ディズニーのアニメーションでも有名です。
また、イギリスやアメリカで成功したミュージカルもロングラン
を続けていますし、そのミュージカルは日本でも20年にわたって
上演され続けています。(劇評「新ピーターパン」 )
それぞれ媒体も異なれば、ミュージカルなどは俳優も違います。
なのにこれほどまでの人気をおしなべて保っているのは
やはり「ピーターパン」という作品そのものにある力のためだ
としか説明できません。
言いかえればピーターパンの物語は私達の文化が生んだ
神話的原型にまで達する形象だとも思われるのです。
かなり前のことですが「ピーターパン症候群」という
タームで「大人になりたくない」若者の精神状況を
分析したユング派の書物も話題になりました。
けれども「ピーターパン」は単に、成長拒否の少年を
テーマとした作品ではありません。そう単純なものではない
ということを考えていきたいと思います。
原作者のジェームズ‐マチウ・バリは小説家
劇作家として今世紀はじめのイギリスで地歩を築いた
人物ですが、「ピーターパン」以外の作品は今日ではあまり
評価されていません。「ピーターパン」には自伝的な
要素も入っているらしいのですが、そのこと自体に
価値があるわけではありませんから、措いておきましょう。
むしろ関心をそそられるのは「ピーターパン物語」がバリに
よって何度も書きかえられてきたという経緯にあります。
書誌的なことから整理すれば「ピーターパン物語」の源泉は
1902年にバリが発表した自伝的小説『小さい白い鳥』
にあります。そのなかのエピソードが独立して1904年に
劇作品『ピーターパン-大人になりたがらない少年』が
発表され、この初演の時点からすでに「フライング(飛翔)」
の仕掛けが取り入れられ、圧倒的な評判を呼びました。
この劇作品はその後36年間にわたってロングランされる
ことになりますが、その都度、変更を加えられて
出版されたのは1928年のことになります。
いっぽう、1906年にバリは『小さい白い鳥』から
「ピーターパン」を独立させて『ケンジントン公園の
ピーターパン』として出版しています。そして、それとは
大幅に内容が異なる『ピーターパンとウェンディ』が1911年に
出版されます。今日「ピーターパン」として読み
継がれている版、およびミュージカルの原作と
なっているのはこのヴァージョンです。
こうした過程を経て成立したものですから
「ピーターパン物語」は単一のテクストではありません。
そしてバリは『ピーターパンとウェンディ』と
『ケンジントン公園のピーターパン』とを両極に持つこの
物語群を並列的な関係にも、内包的な関係にも置か
なかったのです。つまり「サザエさん」や「ドラえもん」の
ように、同一パラダイム上に無限のヴァリエーションを並列
させていくこともしなければ「大河ドラマ」のように
過去を内包した現在が一連の進行を見せるようにもしなかったのです。
いささか意地悪く言えば「大人の」小説と劇作が本業だと
思っていたバリは「ピーターパン」の連作に手を染める気は
なかったでしょうし、ピーターパンは成長しない
存在なのですから大河小説にすることも不可能だったのです。
それはさておき、バリが行なった方法は
「ケンジントン版」のエピソードを圧縮して「ウェンディ版」
に取り込みつつ、生成発展させるという方法でした。
ですから「ケンジントン版」から「ウェンディ版」に
取り入れられた要素は、そのままの形であれ、改変を
加えられた形であれ、「ピーターパン物語」の本質上
欠かせないものであったとも考えられますし、また
「ウェンディ版」から「ケンジントン版」へは参照の系が
無数に走っている構造にもなっています。
そこにはフロイトが夢の構造について語ったような
圧縮と転移の文法があるかのようですし、同一構造が
メタレベルで次々と連鎖的に反復されていく
「フラクタクル構造」も透けて見える仕組みになっています。
「ピーターパン」が無意識をめぐる主題に事欠かない背景には
この物語が作者バリひとりの想像力の産物ではなく
今一人ならず複数の協力者の存在があったことにも
関係があると思われます。それはバリが散歩を欠かさなかった
ケンジントン公園で出会ったデイヴィス家の子供たちです。
バリは子供たちに物語を聞かせたり、また子供たちが
想像力にまかせて語る物語にも耳を傾けたと言われています。
「海賊との戦い」や「インディアン」のエピソードはおそらくは
子供たちが紡ぎ出した物語にこそ源泉を求めるべき
なのかもしれません。実際ウェンディの家庭すなわち
ダーリング家はデイヴィス家をモデルにしているとも
言われています。子供の物語る話がきわめて無意識の支配する
ディスクールであることは言うまでもありません。
「ピーターパン物語」の中には子供たちの無意識と