篠原 砺波くんと飴
技術部に、ちょっとした書類を届けたら、ちょうど、そこに主任がいた。真剣に画面を睨んでいるが、口元がころころと動いている。
「すいません、篠原主任。」
気付いてくれないので、仕方なく声をかけた。そのまま置いておくだけの書類ではなかったからだ。すると、ようやく、というか、本当に、たったいま気付いたとでも言うように、びくっとして、主任が振り向いた。
「・・・あ・・砺波さん・・あ、ごめん、ごめん、ちょっと考え事してて・・・」
バタバタと慌てて振り向いた主任は、手元にあったものに、手をひっかけてバラバラと床にバラ撒いた。うわぁーと、さらに慌てるので、一緒に回収する。それは、なんの変哲もない飴玉だ。ひとつずつが白い紙で包装された市販ではなさそうなものだ。口元を動かしていた正体は、これだったらしい。
「篠原主任、甘いもの好きですか? 」
「んー、そうなのかなあ。砺波さんも食べる? もし、なんなら、航宙部のみんなにも配る? 」
たまには、こういうお菓子もいいかな、と、砺波は、気にせずに、いくらかの飴玉を貰い受けて戻った。
「ふーん、篠原主任のおやつ? 」
「ああ、食べるか? 」
自分の部署で、同僚の太田に、それを差し出すと、へえーと手を出した。残りも、同様に、あちこちから手が出て来る。ぽいっと口にほおりこんだ同僚が、ちょっと添加物が多い味がするとは言ったものの、まあ、所詮は飴玉なので、みんな、機嫌良く口で転がしている。砺波は、後で食べるつもりで、そこに転がしておいた。自分たちより三歳ほど下の技術部主任は、やっぱり、まだ子供っぽいと苦笑した。
しばらくして、騒々しい物音と共に、嵐が舞い込んできた。航宙部主任の加藤と、技術部主任の篠原が揉み合うように入ってきた。揉み合うというか、加藤が背後から抱きついている篠原を、そのまんまブラ下げて走りこんで来た。
「おまえら、篠原の飴は、どうした? 」
慌てた様子で、自分の部署の主任が言いつのるので、食べたものは「食べた。」 と言い、残していたものは、「ここに。」 と差し出した。
「あの、運転手っっ、それは、僕が・・あの・・・配ったんだってばっっ。」
篠原のほうも、慌てて、加藤を背後から羽交い締めというか、縋り付いているというか、そういう状態で叫んでいる。主任クラスに、加藤という名字が、ふたりいるので、航宙部門の加藤が運転手、艦載機部門の加藤がパイロットという呼び分けをしている。そういうわけで、篠原は、そう呼んで止めているのだが、聞く耳もたん、と、ばかりに、その運転手は、自分の部下をぽかりぽかりと叩いていく。
「こいつのおやつを奪うとは、おまえらは山賊か。」
「だから、僕がっっ。聞いてよ、ほんとっっ。」
「おまえも配るんじゃないっっ。だいたい、これは、おまえの栄養補助目的に、生活環境部門が苦労して作ったんだろうがっっ。」
「だって、こんなに食べられない・・・アイタッッ。」
乱暴者で通っている運転手は、情け容赦なく他部門の主任すら殴る。まあまあ、と、砺波も太田も、それは見過ごせず止めに入る。いくらなんでも、他部門にまで被害者を増やすのはまずい。殴られる覚悟で、砺波が割って入ると、それを察してか、篠原のほうが押しのける。
「砺波さんまで殴らなくてもいいだろっっ。」
「そんなことは、察しろっていうんだよ。だいたい、年端の行かない子供からおやつ取り上げるという段階でアウトなんだっっ。」
「誰が、子供だっっ。」
「おまえだよ、おまえっっ。食が細くて栄養を摂りきれない困った子供じゃないかっっ。悔しかったら、食事ぐらい規定量をこなせ。」
「とっとりあえず、大将。他部門の主任まで殴らないでくださいよ。」
「お願いですから、音便に説明してもらえませんか。」
副主任って、辛いよなあ、と、砺波と太田は、顔を見合わせて苦笑する。この暴れん坊な主任をフォローするのが仕事なのだ。ふんっっ、と、鼻息ひとつ吐いて、どっかりと、椅子に座り込んだ。
「お茶ぐらい用意しろ。ああ、そこの子供にはミルクお砂糖たっぷりで紅茶な。・・・篠原、とりあえず座れ。」
加藤の言葉に、ため息を吐き出して、篠原のほうも座り込む。まさか、こんなことで、砺波たちに被害が及ぶとは思わなかったので、座る前に、「ごめんなさい。」と頭は下げた。
「いや、気にしなくてもさ。うちの大将は、こういう人だしね、篠原主任も被害者じゃないか。」
砺波のほうが、それに手を振って反論する。しかし、だ、自分の上司は容赦がない。
「まったくだ。おまえが余計なことをしでかすから、こいつらは殴られてんだよ。おまえ、わかっててやってるなら、生活環境部門の奴らが泣くぞ。あれ、ものすごく苦労して作ったらしいんだからな。そもそも、食べないおまえが悪いんだ。」
「そんな言ったって、食べられないんだから仕方ないだろ? それに、今まで、それで十分に生活出来てたんだから問題ないんだよ。」
「えーっと、要約すると、あの飴は、篠原主任が全部食べないといけないものだということですか? 」
「そういうこと。こいつ、あんまり食が細いから、おやつを与えられてんだ。」
「いや、それほど真剣なもんじゃなくて、適当に食べてればいいからって・・・平田さんが・・・」
「平田は、そういう気遣いしてるんだ。その飴すら、食べられないからって配るのは、どーなんだよ。えっ? おまえ、本当に、そういうとこがバカなんだ、バカっっ。」
がんがんと、他部門の責任者を罵倒する上司を宥めるのに、周りのものが、さっさとお茶の用意をした。なぜだか、自分の上司は番茶というもので、これを個人的に持ち込んでいる。
「だいたい、運転手は暴力すぎだ。」
「うるさいぞ、篠原。うちの部門の方針は俺が決めてるから、それでいいんだ。」
自分の上司より七歳ほど年下の他部門の主任は、結構、負けん気が強いのか、きっちりと反論はする。まあ、自分の上司は、それをせせら笑っているのだが。お飾りみたいに、見えがちな篠原だが、本来の能力は、かなり高い。統率力という点で、自分の上司より見劣りはするものの、主任としての采配とか、計画立案なんてものは、上なんじゃないかな、と、砺波は思う。
「それ、飲んだら帰れよ。岡田さんが、どうせ捜してるはずだ。おまえ、データそのまんまで飛び出して来ただろ? 」
「そう思うなら、砺波さんを殴るとか言って走らないでくれればいいだろう。」
「おまえが悪い。」
「運転手のほうが悪い。」
はらはらと航宙部門のものが、そのやりとりを見守っていたら、ふたりして大笑いし始めた。
「おまえが殴られて怪我するんじゃないか、と思って心配してるぞ、篠原。」
「あははは・・・心配しなくても、逃げるからね。運転手の動きは直線的だから予測しやすい。」
あっけらかんと、篠原が言うし、加藤のほうも、それに、「おう逃げてみな。」 と、大笑いだ。
もしかして・・・非常に、このふたりは仲がいいのかもしれない。七歳も違うというのに、そんなことは、お構いなしだし、だいたい、普段はお澄まししているはずの篠原が大笑いしているのだから、そういうことなんじゃないか、と、砺波は気付く。だから、殴っているらしい。
「すいません、篠原主任。」
気付いてくれないので、仕方なく声をかけた。そのまま置いておくだけの書類ではなかったからだ。すると、ようやく、というか、本当に、たったいま気付いたとでも言うように、びくっとして、主任が振り向いた。
「・・・あ・・砺波さん・・あ、ごめん、ごめん、ちょっと考え事してて・・・」
バタバタと慌てて振り向いた主任は、手元にあったものに、手をひっかけてバラバラと床にバラ撒いた。うわぁーと、さらに慌てるので、一緒に回収する。それは、なんの変哲もない飴玉だ。ひとつずつが白い紙で包装された市販ではなさそうなものだ。口元を動かしていた正体は、これだったらしい。
「篠原主任、甘いもの好きですか? 」
「んー、そうなのかなあ。砺波さんも食べる? もし、なんなら、航宙部のみんなにも配る? 」
たまには、こういうお菓子もいいかな、と、砺波は、気にせずに、いくらかの飴玉を貰い受けて戻った。
「ふーん、篠原主任のおやつ? 」
「ああ、食べるか? 」
自分の部署で、同僚の太田に、それを差し出すと、へえーと手を出した。残りも、同様に、あちこちから手が出て来る。ぽいっと口にほおりこんだ同僚が、ちょっと添加物が多い味がするとは言ったものの、まあ、所詮は飴玉なので、みんな、機嫌良く口で転がしている。砺波は、後で食べるつもりで、そこに転がしておいた。自分たちより三歳ほど下の技術部主任は、やっぱり、まだ子供っぽいと苦笑した。
しばらくして、騒々しい物音と共に、嵐が舞い込んできた。航宙部主任の加藤と、技術部主任の篠原が揉み合うように入ってきた。揉み合うというか、加藤が背後から抱きついている篠原を、そのまんまブラ下げて走りこんで来た。
「おまえら、篠原の飴は、どうした? 」
慌てた様子で、自分の部署の主任が言いつのるので、食べたものは「食べた。」 と言い、残していたものは、「ここに。」 と差し出した。
「あの、運転手っっ、それは、僕が・・あの・・・配ったんだってばっっ。」
篠原のほうも、慌てて、加藤を背後から羽交い締めというか、縋り付いているというか、そういう状態で叫んでいる。主任クラスに、加藤という名字が、ふたりいるので、航宙部門の加藤が運転手、艦載機部門の加藤がパイロットという呼び分けをしている。そういうわけで、篠原は、そう呼んで止めているのだが、聞く耳もたん、と、ばかりに、その運転手は、自分の部下をぽかりぽかりと叩いていく。
「こいつのおやつを奪うとは、おまえらは山賊か。」
「だから、僕がっっ。聞いてよ、ほんとっっ。」
「おまえも配るんじゃないっっ。だいたい、これは、おまえの栄養補助目的に、生活環境部門が苦労して作ったんだろうがっっ。」
「だって、こんなに食べられない・・・アイタッッ。」
乱暴者で通っている運転手は、情け容赦なく他部門の主任すら殴る。まあまあ、と、砺波も太田も、それは見過ごせず止めに入る。いくらなんでも、他部門にまで被害者を増やすのはまずい。殴られる覚悟で、砺波が割って入ると、それを察してか、篠原のほうが押しのける。
「砺波さんまで殴らなくてもいいだろっっ。」
「そんなことは、察しろっていうんだよ。だいたい、年端の行かない子供からおやつ取り上げるという段階でアウトなんだっっ。」
「誰が、子供だっっ。」
「おまえだよ、おまえっっ。食が細くて栄養を摂りきれない困った子供じゃないかっっ。悔しかったら、食事ぐらい規定量をこなせ。」
「とっとりあえず、大将。他部門の主任まで殴らないでくださいよ。」
「お願いですから、音便に説明してもらえませんか。」
副主任って、辛いよなあ、と、砺波と太田は、顔を見合わせて苦笑する。この暴れん坊な主任をフォローするのが仕事なのだ。ふんっっ、と、鼻息ひとつ吐いて、どっかりと、椅子に座り込んだ。
「お茶ぐらい用意しろ。ああ、そこの子供にはミルクお砂糖たっぷりで紅茶な。・・・篠原、とりあえず座れ。」
加藤の言葉に、ため息を吐き出して、篠原のほうも座り込む。まさか、こんなことで、砺波たちに被害が及ぶとは思わなかったので、座る前に、「ごめんなさい。」と頭は下げた。
「いや、気にしなくてもさ。うちの大将は、こういう人だしね、篠原主任も被害者じゃないか。」
砺波のほうが、それに手を振って反論する。しかし、だ、自分の上司は容赦がない。
「まったくだ。おまえが余計なことをしでかすから、こいつらは殴られてんだよ。おまえ、わかっててやってるなら、生活環境部門の奴らが泣くぞ。あれ、ものすごく苦労して作ったらしいんだからな。そもそも、食べないおまえが悪いんだ。」
「そんな言ったって、食べられないんだから仕方ないだろ? それに、今まで、それで十分に生活出来てたんだから問題ないんだよ。」
「えーっと、要約すると、あの飴は、篠原主任が全部食べないといけないものだということですか? 」
「そういうこと。こいつ、あんまり食が細いから、おやつを与えられてんだ。」
「いや、それほど真剣なもんじゃなくて、適当に食べてればいいからって・・・平田さんが・・・」
「平田は、そういう気遣いしてるんだ。その飴すら、食べられないからって配るのは、どーなんだよ。えっ? おまえ、本当に、そういうとこがバカなんだ、バカっっ。」
がんがんと、他部門の責任者を罵倒する上司を宥めるのに、周りのものが、さっさとお茶の用意をした。なぜだか、自分の上司は番茶というもので、これを個人的に持ち込んでいる。
「だいたい、運転手は暴力すぎだ。」
「うるさいぞ、篠原。うちの部門の方針は俺が決めてるから、それでいいんだ。」
自分の上司より七歳ほど年下の他部門の主任は、結構、負けん気が強いのか、きっちりと反論はする。まあ、自分の上司は、それをせせら笑っているのだが。お飾りみたいに、見えがちな篠原だが、本来の能力は、かなり高い。統率力という点で、自分の上司より見劣りはするものの、主任としての采配とか、計画立案なんてものは、上なんじゃないかな、と、砺波は思う。
「それ、飲んだら帰れよ。岡田さんが、どうせ捜してるはずだ。おまえ、データそのまんまで飛び出して来ただろ? 」
「そう思うなら、砺波さんを殴るとか言って走らないでくれればいいだろう。」
「おまえが悪い。」
「運転手のほうが悪い。」
はらはらと航宙部門のものが、そのやりとりを見守っていたら、ふたりして大笑いし始めた。
「おまえが殴られて怪我するんじゃないか、と思って心配してるぞ、篠原。」
「あははは・・・心配しなくても、逃げるからね。運転手の動きは直線的だから予測しやすい。」
あっけらかんと、篠原が言うし、加藤のほうも、それに、「おう逃げてみな。」 と、大笑いだ。
もしかして・・・非常に、このふたりは仲がいいのかもしれない。七歳も違うというのに、そんなことは、お構いなしだし、だいたい、普段はお澄まししているはずの篠原が大笑いしているのだから、そういうことなんじゃないか、と、砺波は気付く。だから、殴っているらしい。