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第10

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では、具体的に水のどういうところを見習えば

いいかということで、幾つか例を挙げています。

「居には地を善しとし」というのは、高いところに住むなと

いう意味ではなくて、高い地位を望まないというこだと思います。

三宝に照らしていえば「敢えて天下の先と為らず」

ということに対応していることになるでしょう。

「心には淵(えん)なるを善しとし」というのは

水を湛えた淵のように深く静かな心の様を保つということです。

欲望のさざなみを立てない状態といえます。

「与(まじわり)には仁を善しとし」というのは

要するに社会との関わりにおいては仁を大切にする。

仁というのは儒教の徳目とされていますが、老子は別に

仁そのものを否定しているわけではないわけです。

これについては第十三講を参照してください。

「言には信を善しとし」というのは、言葉には信用が

大事ということで、まあ、嘘をつかないということが

その一歩でしょう。

結果的に嘘をついたことになるというのも信用を損ねます。

「正には治を善しとし」というのは、物事を善悪で

判断するよりも治めることが大事だということです。

ここも僕は、自分の正義を振りかざして争い怪我をし命を失くす

より妥協して身を引いて安全を得ることが得策だと同意する。

「事には能を善しとし」事柄にあたっては能力を使って

それを処理すること。

出し惜しみをしたり、いい加減な対応をしてはいけません。

そして「動には時を善しとす」ということで動くときは

タイミングが大事ということですね。

時を得た活動をすることが大事です。  

そして他と争わないこと。

周囲を潤しながら低きに流れていけば

トラブルが生じることもないわけです。

このあたりは私たちの日常生活のうえでもよく

役立てることができるのではないでしょうか。  

しかし、これは単に「長いものには巻かれろ」という

処世術ではありません。  

なぜ、そうした態度が大事なのかちょっと

別の角度から考えてみたいと思います。

老子も荘子も<道>ということを説いているわけですが

その元には、私たちが住む現実社会=相対的世界の

混乱に対する鋭い洞察があります。

道を求めることよりもむしろ、相対的な世界を認識することに

ウエイトを置いている。

私たちが住む世界は常に<主>と<客>がワンセットであって

それによって認識が起きます。

つまり私たちは世界からの照らし返しによって

自分を認識するということです。

世界は自分を映す鏡であると言ってもいいでしょう。  

世界というのは見たり聞いたり感じたり

するものすべてです。

新聞やテレビで外国のニュースを知ること

だけではありません。

海の向こうの戦争に反対するのも大事なことかも知れませんが

たとえば、家族、学校や職場での人間関係

ご近所との付き合いなど、身の回りのことすべてが

あなたにとっての世界であって、その照り返しによって

自分を認識しているというとです。

そして、もしそこに混乱が起きていたとしたら

あなたが世界を混乱させているということになります。  

おわかりいただけるでしょうか。  

なぜ混乱が起こるかというと、認識には必ず価値判断が

含まれるからです。

たとえば向こうから男性が歩いてくるとします。

それを見てあなたは「カッコイイ男」だと思う。

それは一つの価値判断です。

友達は「ダサイ男」と思う。

それも一つの価値判断でしょう。

この価値判断の違いから場合によっては

友達とイサカイを起こすことになります。

それが世界の混乱です。

世界を混乱させた原因は直接的には向こうから

歩いてきた男性ということになります。

しかし、その男性は単に道を歩いていただけで

あなたに目配せをしたわけでもありません。

ことによると、あなたや友達の存在など目に

入らなかったかも知れないのです。

この男性に罪はありません。

単に鏡としてあなたの心を映し出しただけなのです。

その男性を見たことによって、あなたの中に

「私はこういう男が好みなんだ」という価値観が

呼び覚まされたということです。  

さて、その男性は黙ってあなた方の側を通り

過ぎただけですが、友達は違います。

「あの男ダサイ」と自分の価値観を表明するわけですが

こんどはそれがあなたにとっての鏡となります。

自分の価値観が否定されたような気持ちになってしまうわけです。

でも、それは友達も同じことで、自分がダサイと

思った男のことをあなたが「カッコイイ」と

言ったことで、自分の価値観が否定されたような

気持ちになって反発しているのかも知れません。

お互いがお互いを映し出しているわけです。  

しかし、その価値判断というのは絶対的なものでしょうか。

いうまでもなく、美醜の価値などというのは相対的なもので

時代によっても変ります。

あなたは雑誌を読んだりテレビを見たり

友達と話したりする中で、いろいろな情報を取り入れることで

その時々の自分の価値観を作っているわけです。

過去に拘束され周囲に感化されたものであって

実際のところそれが本当に自分の意見かどうかもわかりません。  

そこに気がつけば、あんまり自分の考えに

固執することもないでしょう。

別に自分を否定することはないのですが、自分の考えといっても

相対的なものであることを理解すれば、強く主張して

周囲と争うこともないわけです。

水のように周囲を潤しながら低いほうに流れていくという

生き方を理解できるのではないでしょうか。       

 老子・荘子より抜粋して僕が注釈した。

しかし僕が相手を映す鏡なのだが、その鏡に映るもの事体が

僕の心の鏡を傷付けて汚し、闘争をけしかけてくる。

 そこで荘子の哲学に突入せざるを得ない

詰り 荘子の哲学は「世間と袂を分ける事を説いている」

 関わるなとね。

 また話が飛ぶ・・・・

それからどこもかしこも技術を学ぶことに、重いウエイトを

置いているので その技術に、未熟なる者が

その技術を悪用した事案がはびこる・・・・  

つまり刀の性能(技術)ばかり追求しても

その刀の存在の意味を学ばねば中身のない

技術、生産すること、しか知らないので

その技術を誤まった使いかたをしてしまう・・・・    

もっと言えばその技術を学ぶばかりで、その技術の

扱い方を学ぶのを、教えられずに目先の利益のための

戦力にせんがために、技術のみを刷り込み経済戦士として

戦線に送り込み戦わせているのが現代社会である・・・・  

その生半可な、技術を刷り込まれ洗脳された戦士(大人)

達は、闇雲にその技術を振り回し、企業利益をあげるが

その組織に属している間は、利益を上げる良き戦士として

奮闘するが、よその組織に属した場合

大いなる敵と化す・・・・

そのもっともな例が犯罪組織である・・・・・  

そもそも教育でいたらぬ、入れ知恵だけを施し
作品名:第10 作家名:万物斉同