朝霧の中で・・・
「さ、恵子、あと一息だから・・がんばろうな?!」
「「うん、一緒に行こうね、頂上まで・・」」
鎖場を無事に過ごして、尾根伝いに標高を稼いだ。
そろそろ・・かな?
見えた、頂上だ!
あと一息、もう一息・・恵子と自分の白い息を相棒に、ボクは足を前に進めた。
着いた、とうとう。乾徳山の頂上だ。
岩がちな頂きに、半分、雪で隠れた「乾徳山」の看板の文字。
東から太陽が姿を出し始めて、段々に空は紫からオレンジになっていった。
「恵子、着いたよ、頂上だ」
「「うん、有難う、ノブ・・一緒に登ってくれて、嬉しい・・・」」
ボクと恵子は二人っきりで、頂上にいた・・・。
・・・・国立の二次試験の受験票が届いてから、ボクは以前にも増して勉強に集中した。
恵子に会えない寂しさも、勉強に没頭することで、何とか飲み込んでいたのだ。
そして国立の二次試験前日の夕方、どうしても恵子に励まして欲しくて恵子に電話した。
「トゥルル・・トゥルル・・・」何回コールしても出ない。
何かあったのだろうか。
「トゥルル・・トゥルル・・・」
結局、何十回何百回呼び出しても恵子は出なかった。
実家からは、とうに戻っているはずなのに。
「きっと、仕事で遅くなってるんだな」ボクは自分に言い聞かせて、翌日の試験に頭を切り替えた。
切り替えた積もりだったが、気になって勉強が手につかない。
「どうしたんだろう、本当に」
もう少ししたらまた電話してみよう、と決めた時、母親がボクを呼んだ。
「ちょっと、お手紙来てたわよ、アンタに!」
「え?手紙?」
階段を下りて、母親から手紙を受け取った。
「ゴメンね、お昼に来てたのをすっかり忘れてたの」
全く、恵子からの手紙だったらどうすんだ?
手紙の差出人は、トモコさんだった。
「この手紙を出そうか止そうか、悩みました。でも出さずにはいられませんでした・・・」
トモコさんの手紙は、そんな始まりだった。
ボクは読み終えて、すぐに支度をして家を飛び出した。
「あれ、どこ行くの?明日は試験でしょ?!」
「・・・ちょっと、出てくるから。心配しないで」
ボクはタクシーを止めて言った。
「上野駅まで、急いで下さい!」
ギリギリ、福島行きの特急に間に合ってボクは飛び乗った。
道中、何を考えていたのか・・・自分でもよく覚えていない。
福島の、恵子の実家のある駅に着いたのは、もう夜も遅い時刻だった。
雪が降っていた。
以前、恵子に聞いたことのある駅前の商店街の外れの電気屋さん・・恵子の実家を目指した。
途中歩道に積もった雪で何度も転びそうになりながら、商店街の終わりにさしかかった時、一軒の電気屋を見つけた。
まだ看板の電気は点いていた。
「・・・ごめん下さい」
扉を開けて、声をかけた。
「はい・・どちら様?」恵子のお母さんだろう、中年の女の人が出てきた。
「ボク、オガワと申します。恵子さんとは・・・」
「あ、恵子の・・・どうぞ、お入り下さい」
お母さんは、ボクを居間に上げてくれた。
「あなたのことは、恵子から聞いてました。お医者さんの大学に合格なさったんですってね、おめでとうございます。恵子が嬉しそうに話してくれました、彼が医大生になった・・と」
ボクは、居間に続く床の間に置かれた、白い絹に包まれた四角い箱と恵子の写真に釘づけになっていて、お母さんの声も遠くにかすかに聞こえるだけだった。
「突然のことでね・・・」
恵子の写真の前を動こうとしないボクに、お母さんは話してくれた。
一週間前、叔父さんのお祝の後、頼んでおいたオルゴールが出来上がったから取りに来いと電話があって嬉しそうに出て行った。
出て行く前に何のオルゴールなの?と聞いたら、エへへと笑って、彼にあげるオルゴールなの、合格祝いなんだ・・と嬉しそうに言っていた。
その日は折からの雪で見通しは悪かったが、工房まではすぐの距離だったから心配はしなかった。
叔父さんの工房で、オルゴールを受け取った後、家に帰る途中、他県ナンバーのトラックが慣れない雪道でスリップして止まり切れず横断歩道を傘をさして歩いていた恵子に・・・。
救急車で病院に運ばれた時には、まだ息はあった。
恵子は「ノブには知らせないで・・大事な時期だから、こんな事で心配かけるわけにはいかないから、ノブには知らせないで・・・」そう繰り返しながら息を引き取った、と最期に立ち会った幼なじみから聞かされたと。
そこまで話して、お母さんは声を上げて泣いた。
「あの子には、大学を我慢させて・・・きっとやりたいこともまだまだ沢山あったろうに・・こんなことになってしまって・・・」
「工房のお祝を手伝ってくれなんて、言わなきゃよかった」
お母さんは、泣きながら崩れ落ちた。
ボクは、座ってる畳がフワフワな感じで、聞こえるもの全て見えるもの全てがガラス越しの・・本物じゃない感じで、気付いたら恵子の写真の笑顔が滲んでぼやけていた。
「・・これが、恵子がアナタに渡すはずだったオルゴール」
とお母さんがボクに手渡した。
「私達は開けてないの。アナタに開けて欲しいって恵子は思ったんじゃないかって・・・」
「恵子は知らせるな・・って言ってたらしいけど、お通夜に来てくれた同僚のトモコさんが、私が知らせますからって言って下さってね」
紙の外箱はくしゃくしゃだったけど、開けたら綺麗な銀の、四角い手に平に入る程のオルゴールの箱が出てきた。
ボクは蓋を開けた。
流れてきた音楽は、NSPの「赤い糸の伝説」の一節だった。
中に、小さな手紙が入っていた。
「やったねノブ、本当におめでとう!この曲、NSPの中でノブが一番好きだって言ってたでしょ?叔父さんに無理言って頼みました。私達も赤い糸でつながってるといいね! 恵子より、大好きなノブへ!」
ボクは声を上げて泣いた。
オルゴールを握りしめて・・・。
泣いて泣いて・・・どうしようも無い位、泣いた。
乾徳山の頂上で、ボクはヤッケのポケットからオルゴールを出した。
「恵子、来たね、やっと。二人で」
オルゴールを開けると赤い糸の伝説が流れた。
「「ノブ、ありがとう・・・」」
恵子の声が今にも聞こえてきそうで・・・。
頂上は、朝霧の中・・・恵子とボクはこの時、この世に本当に、二人きりだった。
完