朝霧の中で・・・
「 朝霧の中で・・・」
第一章 出会い
40数年前の夏、ボクは山梨県塩山近くの乾徳山に登っていた。
大学受験を翌春に控えた高校生ではあったのだが、進路に悩んでいた事もあり一人で好きな山登りでもしながらゆっくりと自分に向き合いたい・・と思っての単独行だった。
蝉時雨の中、急な斜面に苦労しながら登っていると、女性二人連れが登山道の脇で荷を解いて何かを探していた。
いかにも慌てて困ってる様子だったので「どうかしました?」と声をかけると「捻挫しちゃったみたいなのよ」と一人が答え、もう一人が「ついてないわ・・」とつぶやいた。
捻挫したのは「ついてないわ」の方だった。
赤いバンダナが印象的だったので、以後ボクの中で「赤バン」となった。
連れの方は、しきりに「このままじゃムリね」モード全開のしかめっ面で、それでもミレーのディパックの中から湿布と包帯を取り出し、赤バンの靴と靴下を脱がせて手際良く湿布して包帯を巻きだした。以後、彼女を「包帯」とした。
赤バンはその間、大人しくしていた。涙を堪えてるようにも見えたので「痛みます?」と声をかけると「当たり前じゃない・・」とボソっと。
カチンと来たが、怪我人なんだから仕方ない、持ってた救急袋から鎮痛剤を出して赤バンに差し出した。
「これ、けっこう痛みとれますよ」
赤バンはこの時、サングラス越しに初めてボクの顔をマジマジと見て「何、高校生?」と言った。
「ハイ・・」と答えたボクに、今度は笑顔で「ゴメンね、有難う」と素直に鎮痛剤を受け取って、水筒の水と一緒に飲んだ。
「は〜、どうしようか・・引き上げようか。それしかないよね・・」と包帯が呟くと、赤バンは「トモコ、一人で行ってきなよ。じゃないとレポート書けないでしょ?」
「私は少し休んで、痛みが引いたら下山するから」
「でもさ、一人じゃ下りられないでしょ?!」
「大丈夫、さっきよりは随分、楽になったから。それにレポート出さなきゃ、今度の山行中止になっちゃうし・・・トモコは副部長なんだから」
「それに単独で難しい山でもないでしょ?!」
「まあね、もともと日帰りの予定だから、難しくはないけどさ・・」
このやり取りを聞いていて、どうやらこのパーティーは会社か大学のワンゲルのメンバーで山行の下見に来てるらしいことが分かった。
赤バンはセミロングの髪を後ろで縛り、アポロキャップを目深に被っていたが、この時キャップとサングラスを取って額の汗を拭いた。
驚いた!
パッチリした二重瞼に大きな瞳、スッと通った鼻筋。何て綺麗な人なんだ・・とボクは赤バンから目を離せなくなってしまった。
そして暫しの逡巡の後、言った。
「ボク、一緒に下りますよ!一人じゃ危ないし、ここは前にも登ったことがあるんで今回はいいですから」
勿論、ウソ八百である!
赤バンと包帯、四つの目が一斉にボクに注がれた。
包帯は単独で登って、ボクと赤バンは麓の温泉宿で待ち、そこで合流することになった。
そうと決まれば、そこからの話は速かった。
包帯は「じゃ、私は行くね。この子よろしく!」と登って行き、赤バンとボクは下山の準備にかかった。
赤バンのディパックをボクのザックの上に縛りつけ、包帯で膨れた右足にはボクの持って来たサンダル(山小屋用)を結び着けた。
「これで何とか歩けますか?」
「うん、ゆっくりなら・・」
背には結構な荷、肩には赤バンの右手・・おっかなびっくりの下山であった。
途中のガレ場では赤バンが足を滑らせてバランスを崩しかけたが、何とかとっさに赤バンの体を抱きとめて支える事ができ、大事には至らなかった。
おかげで盛大に尻もち着いちゃったけどね。
「大丈夫ですか?」
「うん、有難う。ビックリしたけど・・」
下からボクに抱きしめられる格好のままで、赤バンは振り返ってニッコリと微笑んでくれた。
「重いでしょ、ごめんね?」
「大丈夫、この位は!」
それからは赤バンに肩を貸しながら抱き抱える形で、一層ゆっくりと足元を確かめながら下りた。
途中の小さな沢を横切る時はザックを先に向う岸に置いて、戻ったボクが赤バンを背負って渡った。
「ごめんね、重いのに・・」
「大丈夫、軽いんですね!」
ジャブジャブと踏み込んだ沢の水は冷たくて気持ちよかったし、しっかりと後ろからボクを抱きしめる背中の赤バンの体温と首筋にかかる息づかいに、ボクの心臓はバクバクしっぱなしだった。
でも実はそれが嬉しくて・・・ザックなんか放っといて、このままおんぶして下山したい位だったのだが。
沢を渡り切って、幾分緩やかになった路ではあったが、ボクは赤バンを支えながらゆっくりと下りた。
途中で何度かの休憩を取り、ボクは湿布を張り替えてサンダルを結び直した。
「まだ痛みます?」
「ううん、大丈夫・・有難う」
そう言って水筒の水を飲む赤バン、木漏れ日にキラキラと光る汗・・上下する喉仏、素敵だった。
ボクはこの時、今回の山行の目的なんかすっかり忘れて、このラッキー(ボクにとっては)な出会いに心から感謝していた。
「なに?」
「はぁ?」多分、間抜けな顔だったんだろう、赤バンは笑いながら聞いた。
「何か楽しそうだよ?」
「い、いや・・楽しいっていうか、麓までもうすぐだな・・って思ったら安心しちゃって」
「そうだね、随分迷惑かけちゃったけど、もうすぐだよね」
赤バンも微笑みながら道の先を見やった。
横顔も綺麗だな・・とバカみたいに見とれていたら、いきなり振り向いて赤バンが言った。
「もうひと頑張り、お願いしてもいい?」
「うん、勿論!」
「やっぱり、休んでたら痛くなってきちゃった・・」
ホッとしたからなのかな・・と独りごちて赤バンはやっと立ち上がった。
それからボクらは林道に出て、歩きやすい砂利道を麓の温泉まで下った。
ゆっくりとした歩みではあったが、それでも何とか夕方前には「笛吹きの湯」の宿に着いた。
二部屋とお願いしたが、シーズンという事もあり、ひと部屋を襖で仕切るなら・・・という事になった。
「ごめん、我慢してくれる?」
「いいですよ、どうせ寝るだけなんだから」と内心ホクホクだったがそんな事は億尾にも出さず。
「それにシーズンの山小屋だったら、雑魚寝が当たり前でしょ?」
「それもそうよね、有難う」
部屋に通されて、襖を隔ててお互いに荷解きをした。
「先にお風呂、頂いていい?」
「どうぞ〜!」
暫くして「お先に。いいお湯だったよ!」と赤バンが部屋に顔を出した。
浴衣姿の赤バンは、つやつやしてて・・一層可愛かったのだ!
「じゃ、ボクも入ってこようかな・・」
「あ、シャンプー、ある?持ってっていいよ」
「有難う」
風呂は一つしか無くて、入浴中の札を入口にかける様になっていた。
浴室の大きな窓からは、登るはずだった乾徳山が見えていた。
熱めのお湯が大きな風呂桶一杯に貯まってて、まだ綺麗だった。
汗を流して、さっぱりして部屋に帰ると、赤バンがお茶を淹れてくれてた。
「痛む?」
「うん、ズキズキする。でも、お薬飲んだせいかな、お湯に入ってもひどくならなかったよ」
第一章 出会い
40数年前の夏、ボクは山梨県塩山近くの乾徳山に登っていた。
大学受験を翌春に控えた高校生ではあったのだが、進路に悩んでいた事もあり一人で好きな山登りでもしながらゆっくりと自分に向き合いたい・・と思っての単独行だった。
蝉時雨の中、急な斜面に苦労しながら登っていると、女性二人連れが登山道の脇で荷を解いて何かを探していた。
いかにも慌てて困ってる様子だったので「どうかしました?」と声をかけると「捻挫しちゃったみたいなのよ」と一人が答え、もう一人が「ついてないわ・・」とつぶやいた。
捻挫したのは「ついてないわ」の方だった。
赤いバンダナが印象的だったので、以後ボクの中で「赤バン」となった。
連れの方は、しきりに「このままじゃムリね」モード全開のしかめっ面で、それでもミレーのディパックの中から湿布と包帯を取り出し、赤バンの靴と靴下を脱がせて手際良く湿布して包帯を巻きだした。以後、彼女を「包帯」とした。
赤バンはその間、大人しくしていた。涙を堪えてるようにも見えたので「痛みます?」と声をかけると「当たり前じゃない・・」とボソっと。
カチンと来たが、怪我人なんだから仕方ない、持ってた救急袋から鎮痛剤を出して赤バンに差し出した。
「これ、けっこう痛みとれますよ」
赤バンはこの時、サングラス越しに初めてボクの顔をマジマジと見て「何、高校生?」と言った。
「ハイ・・」と答えたボクに、今度は笑顔で「ゴメンね、有難う」と素直に鎮痛剤を受け取って、水筒の水と一緒に飲んだ。
「は〜、どうしようか・・引き上げようか。それしかないよね・・」と包帯が呟くと、赤バンは「トモコ、一人で行ってきなよ。じゃないとレポート書けないでしょ?」
「私は少し休んで、痛みが引いたら下山するから」
「でもさ、一人じゃ下りられないでしょ?!」
「大丈夫、さっきよりは随分、楽になったから。それにレポート出さなきゃ、今度の山行中止になっちゃうし・・・トモコは副部長なんだから」
「それに単独で難しい山でもないでしょ?!」
「まあね、もともと日帰りの予定だから、難しくはないけどさ・・」
このやり取りを聞いていて、どうやらこのパーティーは会社か大学のワンゲルのメンバーで山行の下見に来てるらしいことが分かった。
赤バンはセミロングの髪を後ろで縛り、アポロキャップを目深に被っていたが、この時キャップとサングラスを取って額の汗を拭いた。
驚いた!
パッチリした二重瞼に大きな瞳、スッと通った鼻筋。何て綺麗な人なんだ・・とボクは赤バンから目を離せなくなってしまった。
そして暫しの逡巡の後、言った。
「ボク、一緒に下りますよ!一人じゃ危ないし、ここは前にも登ったことがあるんで今回はいいですから」
勿論、ウソ八百である!
赤バンと包帯、四つの目が一斉にボクに注がれた。
包帯は単独で登って、ボクと赤バンは麓の温泉宿で待ち、そこで合流することになった。
そうと決まれば、そこからの話は速かった。
包帯は「じゃ、私は行くね。この子よろしく!」と登って行き、赤バンとボクは下山の準備にかかった。
赤バンのディパックをボクのザックの上に縛りつけ、包帯で膨れた右足にはボクの持って来たサンダル(山小屋用)を結び着けた。
「これで何とか歩けますか?」
「うん、ゆっくりなら・・」
背には結構な荷、肩には赤バンの右手・・おっかなびっくりの下山であった。
途中のガレ場では赤バンが足を滑らせてバランスを崩しかけたが、何とかとっさに赤バンの体を抱きとめて支える事ができ、大事には至らなかった。
おかげで盛大に尻もち着いちゃったけどね。
「大丈夫ですか?」
「うん、有難う。ビックリしたけど・・」
下からボクに抱きしめられる格好のままで、赤バンは振り返ってニッコリと微笑んでくれた。
「重いでしょ、ごめんね?」
「大丈夫、この位は!」
それからは赤バンに肩を貸しながら抱き抱える形で、一層ゆっくりと足元を確かめながら下りた。
途中の小さな沢を横切る時はザックを先に向う岸に置いて、戻ったボクが赤バンを背負って渡った。
「ごめんね、重いのに・・」
「大丈夫、軽いんですね!」
ジャブジャブと踏み込んだ沢の水は冷たくて気持ちよかったし、しっかりと後ろからボクを抱きしめる背中の赤バンの体温と首筋にかかる息づかいに、ボクの心臓はバクバクしっぱなしだった。
でも実はそれが嬉しくて・・・ザックなんか放っといて、このままおんぶして下山したい位だったのだが。
沢を渡り切って、幾分緩やかになった路ではあったが、ボクは赤バンを支えながらゆっくりと下りた。
途中で何度かの休憩を取り、ボクは湿布を張り替えてサンダルを結び直した。
「まだ痛みます?」
「ううん、大丈夫・・有難う」
そう言って水筒の水を飲む赤バン、木漏れ日にキラキラと光る汗・・上下する喉仏、素敵だった。
ボクはこの時、今回の山行の目的なんかすっかり忘れて、このラッキー(ボクにとっては)な出会いに心から感謝していた。
「なに?」
「はぁ?」多分、間抜けな顔だったんだろう、赤バンは笑いながら聞いた。
「何か楽しそうだよ?」
「い、いや・・楽しいっていうか、麓までもうすぐだな・・って思ったら安心しちゃって」
「そうだね、随分迷惑かけちゃったけど、もうすぐだよね」
赤バンも微笑みながら道の先を見やった。
横顔も綺麗だな・・とバカみたいに見とれていたら、いきなり振り向いて赤バンが言った。
「もうひと頑張り、お願いしてもいい?」
「うん、勿論!」
「やっぱり、休んでたら痛くなってきちゃった・・」
ホッとしたからなのかな・・と独りごちて赤バンはやっと立ち上がった。
それからボクらは林道に出て、歩きやすい砂利道を麓の温泉まで下った。
ゆっくりとした歩みではあったが、それでも何とか夕方前には「笛吹きの湯」の宿に着いた。
二部屋とお願いしたが、シーズンという事もあり、ひと部屋を襖で仕切るなら・・・という事になった。
「ごめん、我慢してくれる?」
「いいですよ、どうせ寝るだけなんだから」と内心ホクホクだったがそんな事は億尾にも出さず。
「それにシーズンの山小屋だったら、雑魚寝が当たり前でしょ?」
「それもそうよね、有難う」
部屋に通されて、襖を隔ててお互いに荷解きをした。
「先にお風呂、頂いていい?」
「どうぞ〜!」
暫くして「お先に。いいお湯だったよ!」と赤バンが部屋に顔を出した。
浴衣姿の赤バンは、つやつやしてて・・一層可愛かったのだ!
「じゃ、ボクも入ってこようかな・・」
「あ、シャンプー、ある?持ってっていいよ」
「有難う」
風呂は一つしか無くて、入浴中の札を入口にかける様になっていた。
浴室の大きな窓からは、登るはずだった乾徳山が見えていた。
熱めのお湯が大きな風呂桶一杯に貯まってて、まだ綺麗だった。
汗を流して、さっぱりして部屋に帰ると、赤バンがお茶を淹れてくれてた。
「痛む?」
「うん、ズキズキする。でも、お薬飲んだせいかな、お湯に入ってもひどくならなかったよ」