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第3

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仏掌の孫悟空(僕は仏だった)の様に解り見て取れた

彼らは、成長した、僕の182cmの巨魁におそらく

怯懦したのだ!・・・  

 彼らは狼狽していたので、この機を逃すまいと僕は

追撃して、何とか言えよと詰め寄った、すると1人が

躊躇いがちに、僕に抗おうとし向かって来ようとしたが連れの

女に腕を捉まれ止めなよと、阻まれ、諌められ、おずおずと

決まりが悪そうに、僕を残し、去って行った・・・

 半年前の中学時代であれば、僕が上記の様な態度を

取ろうものなら、忽ち、袋叩きにあい、パンチの洗礼や

蹴りの応酬で血だらけにされ、顔は

青痣だらけになっていた筈である・・・・・

僕はこの瞬間に人の憐れみ、惨めさ、弱さ、を知り

僕はこの事件から箴言を学んだ

人は見た目の、張りぼてに、騙され、要は、外見によって

左右されると・・・・・  




昭和63年(1988年)

15歳の僕はもう半月で16歳になろうかとしていた

50ccの免許を習得しようと、試験場に通ったが書いてある

文章が理解できないし読めない、漢字ばかりで困ったものだ

当てずっぽうで、○×問題を塗りつぶした、学校へ行けず

子供の頃から勉強を覚えれなかったので、困った・・・・

3回試験を、受けたが、全然だめで、諦め

断念し、撤退した・・・・・・・

僕は何をしたらよいのか、解らず、又持病の心の声や、

 現実逃避の(幻覚)に悩みつつも、これがなんなのか

すらも理解できず、けなげに働きがんばっていた・・・・

取り合えず、料理でも覚えようと試み、フランス料理店の見習いをした

でも未来に何の展望も、もてない僕は、つまり彼女をつくれない

ブタで包茎、短小なので・・・

一人生きる虚しさの感情に邪魔され、一生涯孤独に

現在もそうであるが・・・

過ごすであろう未来の姿に怯え、仕事に身が入らず、

ファミコンゲームや、アニメばかり観ては、宇宙冒険に

想いを馳せて現実世界の、寂しさや、親の

子供の頃から続く、うざいデリカシーの欠片もない小言を、

うじうじと、ダラダラと言われ嫌気がさしてすぐに

辞めた・・・

 早くUFOに迎えに来てくれる様に祈り、早くドラえもんが

タイムマシーンで助けに来てくれるのを願い、宇宙

戦艦ヤマトの様に宇宙の冒険を強く激しく望んだ・・・・    

僕は中学を卒業して半年が経った、この街にいても良い

思いでもなかったし、此れからもなさそうだし宇宙へ旅立つ

為の情報をコノ街では得られそうもまかったし親の

専制君主制も健在で支配されて、疎ましく堪らなく

厭わしくて親を恨み、嫌っていたし誼のある人間も

存在しなかったので、僕はこの街を、てることを躊躇う

材料も見当たらなかった事もあり、日本の主都の東京へ

旅立つ事を決意した。

 東京に出て昭和63年(1988年)

中学を出て7ヶ月が経ち、16歳になったばかりだった・・・・

僕はなけなしの5万円を握りしめ、荷造りする程の

持ち物は持たないので、身体ひとつで始めて電車福岡まで

行きで初めて新幹線で何時間も、揺られ、単身、東京駅に

降りた、僕は何も解らず、求人情報誌を調べて住み込みが

出来るところを探し、見つけた、其れは朝日新聞の配達だった

東京駅の公衆電話で問い合わせをし、面接を申し出て

面接地までの、ルートを詳細に、確認して新宿の始めて

見上げ仰ぎ見る、高僧ビルが犇く雑居ビルを目指した

面接はあっさりと合格し、其の日の内に江東区の

森下販売店へ配置され、両国のアパートに住み込んだ

 毎日深夜、3;00に起きて、店で新聞に入れる、平均15種類の

広告の束を手で一枚一枚重ね準備し自分が配る

300件分、の朝刊にさっきの束ね準備した広告を

更に、新聞の間に挟み込み、自転車に特殊な積み方で収め

雨の日も、風の日も、嵐も関係なく、高僧マンション群や下町を

朝方7;00までに配達し、朝飯を摂りアパートで昼まで睡眠をとり

昼食を摂り夕刊の準備をし集金や、勧誘をし、夕刊を

16;00から18;00迄配り、晩飯をかきこみ、眠たいので

サッサとアパートに引き上げ、眠りを貪った・・・・

月末の集金は困難を余儀なくされた、都会の人間は狡く

滞納、居留守は、常套手段で、対抗手段として、電気メータの

回転速度(コレガ勢い良くグルグル回っていれば居留守)と

言う事を、先輩に教えられ、しっこく呼び鈴を押す事や

大声で近所迷惑になる様に叫び、料金支払いの滞納が

お宅はあまりに酷くて、困りますよ~わいわい騒いで

仕方なく出て来る様に仕向けたりしたり、する事を学んだ

 東京の人間は、扉にドアチェーンを必ず掛けたままで

半開きにしかせず、そこから顔を、少し覗かせ、すったもんだの

言い訳をして、気に食わないと、扉を閉ざしてしまうので

堅い革靴を履いて行って、靴のつま先を扉がオープンしたら

すかさず突っ込む、事も教えられた、其れから

微収の談判をする・・・・

 ある客は持ち合わせがないからと訴え、来月

マトメテ支払うから待ってくれと言うので、信用して翌月に

訪ねると、蛻の殻だった事も、多々あった

300件の集金は中々捗らず、管理も大変である、1世帯

2000円を、自分が担当し配達する300世帯を回りだから

60万円の集金をして、店に納めなければいいけない皆が

 僕の訪ねる時間帯には、殆ど居らず何回も時間帯を

ずらして訪ねないといけない、結局夕刊を配達しながら

領収書と鞄をを携帯して、合間や夕刊配達後の

7;00から9;00過ぎまで1日400件程暑い中も雨も雪も

嵐も台風も関係なく回る・・・

逃げられれば、僕の給料か自腹をきり

店に納めなければいけない・・・・

営業、勧誘もある民家、マンションを水も漏らさぬ様

縫うように、一戸、一戸、訪ねて回り競合他社からの乗換えを

好餌、をばら撒き販売促進商品をサービスで

プレゼントし、誘惑し契約折衝を行なう販促品は

自腹だ、並べて、3000円分の、洗剤ホットプレート

商品券、ライブチケット云々を買って契約してくれる客に

景品として渡す、勧誘契約が成立すれば

バックマージンが店から給与とは別に、約4000円が

現金で貰える、上手く取引すれば、良い小遣いが入るが

僕はまだ、16歳の子供であったので安易に契約を取れると

想いこんだ、僕は、徒に大量の、商品のストックを抱え

赤字に陥った・・・・

こんな生活を、繰り返し過ごした、ココでは20歳

木村19歳、中島19歳、長谷川18歳、斉藤

後、16歳の僕の5人でよく遊んだ、20歳の木村が仕切り

役で僕らを引き連れ、新宿歌舞伎町や池袋や、渋谷を

舞台にディスコに、よく通った歌舞伎町の

 ニューヨクニューヨークには一番通った・・・

ジュリアナ東京が流行る前4年前の平成元年1988年代・・・

ダンス甲子園が流行る2年前だ・・・

 僕は始めての夜の街で、遊ぶ興奮と、店内の煌びやかな装飾に

超大音響、爽快で、リズミカルな、始めて聴く、音律に、韻律に、
作品名:第3 作家名:万物斉同