第2
慟哭し、涙を流し泣きに泣いて、泣き崩れた・・・・・・
どれ位の時が経ったのだろうか?・・・
我に返って、無性に、家に帰りたくなって
お暇し様としたら、ラリッた、不良たちに、呼び止められ
、皆ラリッテいてて、僕は殴りつけられ興奮した
ソイツラは、僕を殺して裏庭に埋めるかどうかと
涎を垂らしながら不安定な発音で喋っていた・・・
僕は震え、怯え、殺されるぅぅぅぅぅ
と戦慄していた・・・・・
そしてご機嫌取りの為に謝り、シンナーをもっと下さいと
強請って、仲間っぽく演じて、シンナーを吸い続けた・・・・・
暫くすると、女を連れた、不良がやって来た
彼らのこぼれる会話の端々から、彼女は同じ学校の
中2の生徒らし、事が解った、まっ僕には関係ないと考えている
内に、劣情、赤裸々に、我先と群がり女の子を囲み壁に
押し付け、女の子のパンティーを脱がし、シャツを無造作に
乱暴に、はぎ取っていた・・・僕は白痴になってポォーケッと
眺めていた、彼女は困った顔して、順番に、順番にって
振るえる声で伝えていた・・・・
僕はこの混乱に便乗して抜け駆けし家に帰った・・・・・
そして僕は家も安全でなくなり居れなくなり朝早く家を出て
公園でボーット過ごしたり、商店街をうろついたりビルの屋上で
太陽の燦々と射す青空と、漂い流れる白い
雲に見惚れたりしてたら、不良たちのレーダに感知され
捕らえられ連れ回され夜の、学校のプールに連れられて行き
秋も初めの、肌寒い、苔が汚く大量に繁殖している
そのプールへ50円をやるから、飛び込め、と命令され
僕は拒めば、どうなるか、学習していたので、嬉しそうな
作り笑いで、芝居しながら、彼らが満足する様に
不満をなるだけ抱かせない様に、滑稽な姿で、プールへ
走って、ダイブした・・・・
僕は、ずぶ濡れになって、爆笑を得て、笑われた・・・
僕は寒さで凍え、震えた・・・
3日間、不良たちの巣に、監禁され、盗み、パシリ
に利用され、悪戯や、貶されたり、苛めを受けて、弄ばれ
嬲り回された後、やっと帰ってもよい
と許可され、開放された・・・・
が4人の不良が、僕に憑いて離れず、家までシツコク
纏わり憑いてきた・・・
誰も居ない、僕の家に、上がり込み、我が物顔で、偉そうに振る舞い
その4人は僕を、素っ裸にして、オナニーをしろ、と命令した
ココでも僕は、彼らの機嫌を損ね、殴られない様に、従うしか
なかった・・・・
そしてイク迄止めるなと指示され、彼らは
耳掻きやボールペンで僕の、乳首や脇腹を弄り
耳に息を吹きかけたりされた・・・・
気持ちいいか?など、質問までされ僕は、ハイ気持ちいいです
と頷き、芝居させられ散々だった・・・・・
そして皆、遊び飽きて帰って行ったけれど一人だけ居座った
奴がいた、そいつは、誰も居なくなるのを玄関まで確認し
2人きりに、なったとたん、そいつは自分のズボンと
パンツを脱ぎ、丸出しになって僕に命令した拳を振り
上げジェスチャーし嘗めろって・・・・
拳の合図が、僕は恐くて泣く泣く彼の
ものを、咥え何回かスライドしたら、パンパンに
太く硬く漲っていった・・・
僕は、吐き気を催しその場の床にオッエッと
唾液を垂れ流した流石に、そいつは諦めたらしく
自分の既に納まり所を失った
硬い悶えるものを、鎮める為に自分の手で慰め
溜まった液体を、僕の眼前でぶちまけた・・・・・
終わった・・・・・・
でこの件を他人に話したら
殺すと念まで押された・・・恐かった・・・・
僕は街を逍遥し、奴らに発見されるのを畏れ
外にも出れず、居留守を使っていたら裏の窓ガラスを
叩き割り手を突っ込んで鍵を解除して窓から侵入してきた
僕はココ数日の居留守を咎められ、パンチン洗礼を浴びた
其れから僕はこの中学3年生の2学期の初め頃から卒業までの
約8ヶ月間、家に居る事も出来ず街に居る事も出来ず
工場の暗い、倉庫で息を殺して過ごした・・・
朝、家を出て、スーパーでお菓子や飲み物を万引きし
本屋で漫画本やエロ本を万引きし、すぐに街外れ、
場末の倉庫に転がり込んで、眠り、夜に家へ帰って朝
万引きした、食糧を飲み食いし消化し漫画を読み
ファミコンをし、エロ本で自慰で小さな
息子を慰め、朝まで時間を潰して倉庫と家の往復を
繰り返した・・・・
僕は鬱憤と、精神の抑圧の、はけ口に万引きと
過食症によってガス抜きをしていた・・・・・
ブタで醜く154cm 93kg・・・・
容姿も醜く、包茎、短小だ・・・・
そぅして過ごし昭和63年(1988年)
卒業まじか頃は、不良たちは僕の事を忘れてくれたのか
有り難い事に、僕は家で暫時、寛ぐ事が出来た・・・・
でも毎日、母と喧嘩、学校へ行け!恐くて
行けない!の押し問答・・・・・
そんな卒業までのカウントダウンも指折りの
真冬のある日の朝、母と件の事で揉めストーブの上で
白い煙のシュウ~シュウ~蒸気を吹いた沸騰した
ヤカンのお湯を、僕の左足にかけられて大火傷した・・・
母は、僕に、学校行かないと、このお湯をかけるぞと叫んで
怒り、僕はまさか本気でないと臆断したが甘かった
おおっかけれるならばかけて見ろと言い放ったその
次の瞬間、母は何ら躊躇いもなく徐にヤカンを持ち上げ
僕の足に、ジュバァバァバァと蒸気の飛沫音を
響かせながら、流した・・・・・
僕は時が暫く止まり、まさかぁ~と空言を想像していた
が突然、激痛が僕を、無情にも現実に連れ戻した
僕はウァァァァ、アッチ、 アッチ、アッチ、アッチ
と悲鳴を叫びながら、涙を出し泣きながら、その辺りを
ピョンピョン飛跳ね回れりのた打ち回り風呂場に奔り
浴槽の水の中に足をザバッと入れた10秒位浸して
足を水から出して穿いていた靴下を捲ると、靴下と一緒に
皮膚がベラ~ッと剥がれ、靴下の縦縞の線形に、桃色の肉と
筋が浮き出て血が湧き滲み出ていた、母は泣き叫びのた打ち回る
僕を尻目に、置き去りにして、パチンコ屋に出掛けて行った
靂(はたたがみ)ビックバンマスターの母を、僕は、見誤った
抜かった、不覚である、取り残された僕は一晩中、悲鳴を叫び
泣いて翌日まで、のた打ち回った・・・・・
で1日ほたらかされ漸く病院に連れて行かれ、3ヶ月の
緊急入院した・・・・
石膏のギプスをはめられ松葉杖の不自由な生活
風呂も禁止されギプスの中の足は、痛くて痒くてたまらない
この生活が3ヶ月もある夜の病院の休憩ルームで
19歳~20歳の男女の入院患者が、僕を挑発する
目の前で、卑猥な会話をしたり、僕にSEXした事あるか?
など質問され、いちゃついてディープキスし合う姿や
胸を揉んでみせ愛撫したり、僕を刺激して楽しんでいた
看護婦の泊まりこみで下着の洗濯した物の在りかを教えられ
そのパティーを盗んで来るように唆されたりした
小学3年生の男の子が入院して来て、僕は仲良くなった