聖母
たったひとつ、苦しみに喘ぐような、無残に荒い呼吸が上下していた。しばらくの間、あまりのことに声もない世界に、必死に押し殺したような、嗚咽にも似た音が、ぽたり・ぽたりと孤独に滴っていた。
――騒ぎが起こった。これまでずっと辺りに存在いていた、見えざる群衆たちは叫び、悲鳴をあげ、少年の不実をなじり、美しい人の死と破壊を口々に嘆いた。そのなかの勇気あると自負する人が少年に飛びかかり、またべつの勇気ある若者が力なく暴れる手から、武器を奪った。己の正しいことを自負する人は、警邏の人間を呼びに駆け出し、優しいと称される人は、痛ましく欠けた美しい人の傷をそっと撫ぜ、床の大理石の上に飛び散ったその破片を、涙ながらに拾い集めた。
美しい人は、もはやその美しくあるゆえんを失っていた。差し伸べた手の先端、白く清らかな指先が粉々に打ち砕かれていた。
いまやその身にはどんな奇跡もなく、生命もなく、声もなく、美しい人は亡骸として固定されていた。いつか形の生まれたときそのままに、その胸と膝に息子を抱きとめた姿で、人々を見下ろしていた。
「――ゆるせるものか! ゆるせるものか……これほどの残酷を。これほどの残虐を! 僕はゆるさない! 僕の肉親を殺した愚かものたちを! 僕はゆるすという貴女の慈悲に復讐する! そうだ、僕はゆるさない!」
押し付けられた口のなかで、引きずり出される途上、少年はずっとひしゃげた言葉を投げ上げ続けた。
やがて少年は、縄できつく縛り上げられた格好で、裁きの場に連れて行かれた。
2009.03.15