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相聞歌

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 海軍出身の大伯父はどこか厳しさをまとっていた。佐衛士は親の転勤で東京を離れなければならなくなった時、「田舎は嫌だ」とかなりごねて、最終的に祖母に泣きついて残った。父親の言うことは絶対であるのに、それに逆らう子供…と大伯父に思われているのではないか――大伯父が無口で何も言わないことも手伝って、佐衛士の苦手意識を助長したのだった。
 それがこうして普通に話しが出来ている。同居し始めて七年目でやっとである。佐衛士の性癖がきっかけになっていることは複雑だったが。
「大っぴらだったってこと?」
「さっきのお前達のようなことはなかったがな。可愛い新兵が配属されてきたら、誰の従卒にするかって取り合って大変だったなぁ」
「へえ、じゃあ、じいちゃんも誰かとガス抜きしたんだ?」
――ちょっと踏み込み過ぎたか
 言った後で「しまった」と思ったが、大伯父は気にする風でもなく、鋏を動かす。
「わし? 任官したての頃はこき使われるし、すぐに戦況は悪化し始めたもんじゃから、毎日緊張して、そんなこと考える暇ぁなかった。生き残ることばかり考えとったよ」
「『可愛い従卒』は? じいちゃん、大尉だったんだろ?」
「正式につくんは少佐からで、昇進目前で終戦じゃ」
 同階級かその下の尉官・下士官には私設、つまり勝手に従卒を持つ者もいたが、そこまで欲しいと思わなかったと大伯父は笑った。士官の日常的な身の回りのことは誰彼なく目下の人間がすることになっていたし、たいていのことは自分で事足りたからと付け加える。性欲処理も自分で事足りていたと含んでいるのだろうか。
 大伯父の言葉の中に隠微な部分は感じられなかった。今でこそ同性愛に対しての認識と理解が広がって、カミングアウトする著名人も出てきているが、少し前までは隠され、表には出づらかった恋愛形態だった。それが六十年前の軍隊と言う公的機関の中で受け入れられ、珍しくもないこととして語られるのだから、昔の方がよほど開放的だったのかも知れない。
「進んでたんだな、昔の日本って? アメリカの軍隊じゃ、今でも同性愛って言うと差別されるらしいよ」
「ああ言う特別な環境の中だけじゃよ。男ばかりで隔離されているから仕方なくな。それを外までは引きずらん。娑婆に戻れば、女房が待っていたり、所帯を持ったりして、普通の生活に戻っていくんじゃ。一過性のもんじゃから、暗黙の了解とされる。だから恋愛だなんて、とんでもない。男色はいつの時代だって、日陰なもんじゃったさ」
 大伯父は目を眇めて松の枝振りを見る。日頃マメに手入れをしている盆栽の、どこにいじる部分があるのか佐衛士には不思議でならないが、彼には気になる部分があるらしく、また鋏を入れた。
「今の時代の方がよほど自由じゃと思うぞ。 どんな恋愛も、本人の意志次第だ。嫁をもらわんからって世間から白い目で見られることもなけりゃ、長男だから言うて必ずしも家を継ぐ必要はない。うらやましいことじゃな」
「じいちゃんだって結局、嫁さん、もらわなかったし、家を継がなかったでしょ?」
「文句を言うもんは、あの戦争でみんないなくなってしまったからな。おまえのばあちゃんだけじゃ、うるさかったのは」
 大伯父はからからと笑った。後半部分に関して、佐衛士も思い当たる節がある。幼い頃から、「おまえは西村家の跡取りだからね」とことあるごとに祖母は口にした。祖母は家の名に並々ならぬ愛着があるようだった。それは多分、大伯父が言った「あの戦争でみんないなくなってしまった」に由来するのだろう。今日の拓真との一件を見られたのが祖母でなくて良かったと、佐衛士はつくづく思った。同時に、
――じいちゃんはよく独身を通せたな。何か理由があったのかな?
とも。
「じいちゃんは何で結婚しなかったんだ? 好きな人、いなかったの?」
 葉の先を揃える程度の微かな鋏の音がパチンと響き、大きめの松の葉が落ちた。その部分が少し不恰好になったことは、盆栽に疎い佐衛士にもわかる。
「ああ、失敗。年寄りに変なこと聞くから、驚いてしもたわい」
 大伯父は誤って落とした葉を、残念そうに拾い上げた。
 佐衛士の質問に、大伯父は答えなかった。わざとではなく、祖母が帰って来たからである。祖母はお土産だと言って和菓子店の袋を座卓に置き、書道展の感想を一言二言述べた後、着替えをするために居間を出て行った。わずか五分ほどのことだったが、佐衛士と大伯父の二人だけだった先ほどまでとは、すっかり空気が入れ替わってしまい、話の続きをする雰囲気ではない。佐衛士は同じ質問を繰り返すタイミングを逸し、結局、大伯父の答えは聞けず仕舞いに終った――そして永遠に、聞くことは出来なかった。
 大伯父は、酷暑と呼ばれたその夏の暑さで体調を崩して寝つき、本格的な秋の訪れを待たずしてこの世を去った。






作品名:相聞歌 作家名:紙森けい