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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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あやかしの棲む家

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 髪の間から生えていた大きな二本の角に花咲の手が触れた。
「あなたは誰ですか?」
「おらは……るりあ」
 その声は幼女のものではなく、もっと大人びた声だった。
「おらは輪廻を彷徨っていた……繰り返し繰り返し、同じような世界を繰り返し、何度も何度も時間を繰り返し……嗚呼、また過去に戻るのか……」
 洞窟の中まで響いてきた背筋を凍らす咆哮。外になにか強大な存在がいる。それも禍々しい存在だ。
 突然の咆哮を聞いて、花咲は震え上がった。
 そっと花咲の躰が抱かれた。温もりと安心感。まるでそれは母の胸の中。
 唸るように低い声が外から聞こえてくる。
「腐った世界はもういらない。世界などいくらでもあるのだから。充分にこの世界は楽しんだ。我に必要なのは廻り巡る世界」
 世界が揺れた。激震だ。大地の悲鳴、風の絶叫、雷鳴が轟いた。
「お父様……」
 不安に駆られながらも花咲はその場を動くことができなかった。
 穴蔵の中で息を潜め、震えることしかできなかった。
 外でいったいなにが起きているのか、想像するだけで恐ろしい。
 揺れが治まり、世界が静まり返った。
「ゆくぞ」
 るりあが花咲の手を引いて外へと向かう。
 暗い暗い世界から、明るい世界へ続く細道。
 外からの光が差し込み、るりあの姿がおぼろげに見えてきた。
 凜とした女の姿。幼女から幼女へ、るりあは変貌を遂げていた。
 魂と魄。
 美咲が持っていた設計図をるりあは?取り戻した?のだ。
 外の世界には鳥居だけが残っていた。
 屋敷が跡形もなく消えてしまっていたのだ。
 完全な消失だった。
「お父様は!?」
 人影すらなかった。
 辺りを見回した花咲は愕然とした。顔彩ったのは絶望の色。
 まるでそれは丘だった。
 屋敷の敷地内をぐるりと囲う巨大な蛇。その蛇は山羊のような角を持ち、自らの尾とを咥えていた。
 世界を震わせる声が響いてきた。響くというのは正しくないかもしれない。それは震動ではない。音として頭の中に入ってくるのではなく、精神感応だったからだ。
《鬼女るりあは再び過去を取り戻した。つまり再び永劫廻帰の輪が繋がれたのだ》
「なにを言っているの!?」
 花咲は言葉に出して問い質した。
《るりあは廻帰の歯車に囚われた存在なのだ。忘れていた過去を取り戻すことにより、時空を越える事象は発生する》
 時空を越える?
 まさか克哉は……。
「お父様はまた過去に行く運命を辿ったと言うこと?」
《この箱庭の世界にあったモノはすべて過去に還った。汝たちは力に守られた別の世界にいたために回避できたのだ。しかし我はそれを許さない》
 大蛇の片眼が零れ落ちた。
 それは大地を転がり、膝を抱えた人の姿になり、翁面を被った背の曲がった老人になった。
「わしの永劫を守るために、るりあには廻帰を繰り返してもらわねば困るのじゃ」
 翁面が不気味に嗤っている。
 汗すらも乾く鬼気。
 本物の鬼女が翁面の老人に押されている。
「覚えてるぞ、お前はおらに反魂[はんごん]の法を教えた神だな?」
 るりあの言葉に花咲は驚きを隠せなかった。
 嗄れ声で翁面の老人が嗤う。
「ふぉふぉふぉ、いかにもわしは神じゃ」
「神……あなたは荒ぶる邪神……いったいなんの神なのですか?」
 震える声で花咲は問うた。
「元はこの山に棲む蛇であった。いつしかこの山の主となり、土地神になったのじゃ」
「なぜ神のあなたがこんな真似をするのですか?」
「神も老いる。そして、死ぬ。忘れられた神、力を失った神の運命に諍[あらが]いたかったのよ。あたくしは永遠に美しい存在でありたかった」
 老人が女に変わっていく。
 艶めかしい裸体をくねらす妖女。蛇の眼をして、頭に山羊の角を生やした慶子に変貌したのだ。そして、その片眼には蛆が湧いていた。
「卵が先か、鶏が先か、どちらが先か。はじめは偶然だった。この廻帰の世界が生まれたのはね。あたくしはこの世界に眼をつけた。永劫に繰り返す世界を維持できれば、時間を支配することができるのではないかと。これはあたくしの実験なのよ。この箱庭は実験装置なの」
 慶子は愉しそうに笑った。
 壮大な実験であった。
 廻る廻る小さな歯車。
 花咲もその一つの歯車でしかなかった。
 しかし、この装置は歯車を一つ失っても動き続ける。
「すでに多くの分岐世界が存在しているわ。あなたたちが呪いだなんだと騒ぎ、それをこの世界で解決したところで、大きな渦は廻り続けるのよ。あたくしにとって、あなたたちのやろうとしていることは、無意味でしかないの」
「無意味といいながら、なぜこんなにも干渉してくるのですか?」
 鋭い声音で花咲は射貫くように言った。
 るりあが慶子に鋭い爪を向け飛びかかった。
 二人の躰が触れた瞬間、火花が飛び散りお互い後方に弾かれた。
 牙を剥いた慶子が微かに呟く。
「干渉している……」
 るりあも異変に気づきはじめていた。
「今の力は……大きな力同士がぶつかり合ったような……そして、なにか視[み]えたぞ」
 慶子の姿がいくつも視えた。違う場所、違う行動、無限にも思える慶子の姿が視えたのだ。
 禍々しい邪気を発して慶子が地獄から業火を喚んだ。
「再び地獄に堕ち、輪廻を繰り返すがいいわ!」
 るりあは構わず炎の中に自ら飛び込み、そのまま慶子の躰を押さえつけた。
「こいつとの繋がりを断て! この世界はこいつで繋がれている!」
 叫ぶるりあ。
 花咲は理解できなかった。
 数多の分岐世界。平行世界。永劫廻帰の輪はるりあによって繋がれた。世界の輪を繋ぐのはるりあの役目。しかし、世界と世界を繋ぐのは――。
 なぜ慶子は干渉する必要があるのか?
 分岐する世界は別世界として存在している。別世界として存在していては、歯車は噛み合わないのだ。
 すべての世界に同時に干渉する存在。
 るりあが視た慶子は個であり全である存在。
 まだ花咲は理解できずにいた。
 激震が起きた。
 稲妻が落ちる。
 るりあと慶子が歪んで見える。時空が歪んでいるのだ。二人が交わることで謎の干渉が起こっている。
「離せ、離しなさい、大変なことになるわよッ!」
 甲高く慶子が叫ぶが、るりあは羽交い締めにしたまま逃がさない。
 激しい音を立てながら慶子の角が折られた。
「ギィィヤァァァッ! 魔力の源を……おのれ、おのれ、お前の角もへし折ってくれるわ!」
 慶子の手がるりあの角に伸びる。だが、るりあは動じなかった。へし折った慶子の角を花咲の足下に放り投げたのだ。
「それで止めを刺せ! 毒をもって毒を制せ! ためらうなッ!」
 この状況の中で、るりあは母のような優しい微笑みを浮かべた。
 花咲は角を拾い上げ、全体重を乗せて慶子の胸に突き刺した。
「グガガガ……ギャアアアアァッ……」
 血の気の失せた顔で慶子は眼を剥き花咲を睨みつけた。
 角は慶子の躰を貫通し、そしてその後ろにいたるりあの躰も――。
 血の花がるりあの唇から咲いた。
 狂風が渦巻き、花咲の躰が吹き飛ばされた。
 慶子の逆立った髪が蛇の群れに変わる。
「下賤[げせん]な人間風情がァァァッ!!」
 大地に奔る蜘蛛の巣のような亀裂。
 天に現れた渦巻く空間が世界を吸いこむ。