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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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あやかしの棲む家

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 美花の頬に触れていた枯れ木のような手は、灰のように崩れ落ちた。
 続け様に美花も崩れ落ちるように倒れた。その心の臓には穴が開いていた。
 女の奇声が木霊した。
 叫んだのは美咲だ。
 美咲の手にはどこに隠し持っていたのか、短刀が握られていた。
 菩薩のような微笑みを浮かべた静枝。
 美咲が全体重を掛けた短刀が静枝の心の臓の位置を突いた。
「どうして美花を殺したの、この化け物めっ!」
「化け物であってもあなたの母よ。よく見なさい、そこにある美花の亡骸を」
 口調も表情も冷静な静枝。
 取り乱しながらも美咲は一瞬静枝の言葉に耳を傾け、倒れている美花に視線を向けた。
「……なっ、なに……この醜い猿のような化け物は?」
 もはやそこに美花の面影はなかった。目が眩むほど真っ赤な血を流して死んでいる不気味な化け物。
「美花は死んだのよ。おそらく四年前、いつの間にか鬼と入れ替わっていたのよ。もしかしたら屋敷を出て行く前に、私の娘は……」
 静枝の瞳から一粒の雫がこぼれ落ちた。
 六本の細長い脚がぐったりと畳に落ちた。
「騙し騙し生きていたけれど、もう限界だわ」
「お母様はなぜそんな姿に!」
 まだ美咲は混乱の最中にいた。
 菊乃は知っていたのか。そうでなかれば、動かずにそこでじっとしているはずがない。
「普段はどんなに言うことを聞く番犬でも、いざというときに手を噛まれては敵だと言うほかないわ」
 それは四年前のことは言っていた。蜘蛛の群れの叛乱。
「敵と背中を合わせた生活はぜす、私は共生を選んだのよ。使える物はなんでも使う、今日まで生き延びるためには必要だった」
 静枝の寿命はとうに尽きていた。それを生きながらえさせたのは、今目の前にある蜘蛛の姿だろう。
 話を聞いても美咲はまだ混乱している。
「わからないわ、わからないわなにもかも。お母様は狂っていた、いつも狂っていて会話もろくにできない状態だった。そんなお母様は過去に手紙を残していたわ。私と美花に残した手紙よ、そこには今前にいるお母様は化け物だと書いてあったわ。あの手紙はなんなの? たしかに目の前にいるのは醜い蜘蛛の化け物だわ……けれど、手紙に書いてあったような」
 美咲の背後で声がした。
「あの手紙はかく乱のため、そして鬼を炙り出すために書かれたものでございます。そして、鬼は美咲様ではなかった。そうとなれば、鬼はひとりしかおりません。二度も同じ手は食いません」
 二度目。
 封印された部屋から消えた鬼はどこへ?
 その答え。
 静枝の瞳から色が消えはじめた。
「姉妹で殺し合いなどさせない。二代続いて、私たちの勝ちだわ。嗚呼、長い戦いだった……」
 躰が崩れ落ちる。腐り、形を保てなくなった躰が、脚の先から崩れていく。
「魂[こん]と魄[ぱく]。私たちに足らないのは、設計図のほうよ。あとはそれだけ解決できれば……母の最期の願いを聞きなさい……私の魄は二十歳までの設計図を持って……いるわ……私を喰らえば……美咲は……あと六年……」
 静枝は事切れた。一族では最長であった。
 無表情のまま菊乃は静枝の屍体を短剣で切り刻みはじめた。
 そして、その躰から取り出した血の滴る真っ赤なモノを、半分に切ってから両の手に乗せて美咲に差し出したのだった。
「どうぞ、召し上がってください」
「…………」
 無言で美咲はそれを受け取り、背を向けた。
 ぼとぼと畳に染みをつくりながら美咲の足下に溢れ落ちる血。
 菊乃は天井に顔を向けた。
「るりあ様を連れてきてもらえませんか?」
 誰に言ったのか?
 反応はすぐにあった。
 押し入れから物音がして、天井裏から克哉とるりあが落ちてきたのだ。
 克哉は蒼い顔をして言葉を失っている。
 菊乃は残りを両の手に乗せてるりあに差し出した。
「どうぞ、召し上がりください」
 るりあはそれを奪うように受け取り、むしゃぶりついた。口と手を真っ赤にしながら、熟れた果実を頬張るように、ぐじゅりぐじゅりと雫を垂らして。
 突然、るりあの眼がかっと見開かれた。
 菊乃が静かに尋ねる。
「繰り返されてきた一族の記憶。思い出されましたか?」
「おらは……これは何度目の……嗚呼、克哉……おらのかわいい娘たちは……」
 るりあの言葉に克哉は驚く。
「俺がどうした?」
 突然、屋敷全体が激しい揺れに見舞われた。
 生臭い風が吹く。
 風に舞って御札が飛んできた。何枚もの御札が渦を巻いて飛んでくる。屋敷中を封印していた御札がすべて剥がれている。
「いったいなにがどうなってやがる!?」
 叫んだ克哉の片足が沈んだ。床が地面に沈んだのだ。
 さらに屋敷を遅う揺れは強くなった。天井が崩れ落ち、壁が剥がれ落ちる。
 逃げ出さなければ建物の下敷きになりかねない。
 しかし、激しい揺れで誰もが自由に動けず床に這いつくばっていた。
 床が沈んでいる。地盤沈下などではない。それは渦巻く呪いの重さだった。
 屋敷中に蜘蛛の子が散る。
 すでに菊乃は落ちてきた天井に両足を押しつぶされていた。それでも這って動き、見えていた少女の手を掴んだ。
「っ!?」
 菊乃が動揺を見せた。
 掴んだ少女の手は、腕から先が消失していた。
「これでなにもかも振り出しに……申しわけございません克哉様、これで終わりになるはずだったのに……」
 ぐしゃり。
 落ちてきた天井によって菊乃の頭部が潰された。

 大地を穿つ大穴。
 瓦礫一つすら残さず、屋敷と共にそこに棲むものは消えた。
 荒野に佇む女がひとり、鳥居を見上げていた。
「残念でした」
 その女も風のように消え、老若男女が混ざったようなひとりの嗤い声が残された。