あやかしの棲む家
台車は鳥居をくぐり、そこから台車を降りて洞窟の中へと入った。
洞窟の奥は明かりで満たされており、先客がそこで待っていた。
「久しぶりね、会いたかったわ静香」
そこにいたのは静枝だった。
そして、菊乃に肩を借りているのも静枝。
「お帰りなさい、お姉様」
菊乃に肩を借りていた静香の瞳から涙がこぼれ落ち、頬の焼けの痕を伝った。
あの日から、静枝を名乗り続け、演じ続け、一時も静香に戻ることはなかった。けれど、このときついに妹の静香に戻ったのだ。
悲しげな瞳で静枝は静香の火傷の痕に触れた。
「静香が自分の顔を焼いたと知ったとき、私も自分の顔を焼こうと思ったわ」
「やめて絶対に、お姉様にはその顔のままでいて欲しい。だってそれはわたしの顔だから」
「わかっているわ。けれど、静香が私の身代わりになったことは、絶対に許せなかった」
「それはなにが起こるかわからなかったから、お姉様には安全な外の世界で生きて欲しかったの。だから、だから会いたかったけれど、帰ってきて欲しくはなかった」
「そうはいかないわ。静香が私の身代わりになったこと、今は正しかったと思っているわ。これから話すことをよく聞きなさい、後戻りはできない、する気もないわ絶対に」
静枝の瞳は鋭かった。
姉がなにを心に決めているのか、静香は不安になって視線を泳がせ辺りを見回した。
出産の準備のため、たらいや湯などいろいろと用意されている。だが、その中には数珠や香などの法具もあり、中でも目を引いたのは肉切り包丁だ。
静香は怯えた。
「なにをする気なの……お姉様」
「今からやろうとしていることは大博打よ。けれど生き残るためにはやらねばならないわ。そのために私が死ぬわ」
生き残るために、死ぬ?
静枝はなにをする気なのか。
「私たちはもう何年も生きられない。試すまでもなく、それは事実として受け入れなくてはいけないわ。化け物が望むように殺し合いをして肝を喰らっていれば、もう少し長く生きられたでしょうね」
「まさかお姉様!?」
「私を喰らいなさい」
「そんなこと!」
「聞きなさい。どちらにせよ、ここでどちらかが死ななければ、死産の娘たちを蘇らせることはできないのよ。それはあなたもわかっているでしょう?」
見つめられた静香は口を開かず、首を動かすこともしなかった。
仕方がなさそうに静枝は菊乃に顔を向けた。
「話してあげて」
促されて菊乃が口を開く。
「これまで死産でなかったことはございません。そして、歴代の当主たちは、誰もが己の命と引き替えに双子を蘇らせました。それが己の意思だったかどうかは定かではございません。なぜなら、歴代の当主たちはみないつの間にか入れ替わっていたからでございます。入れ替わりを終えた当主は、呪縛で決められていた寿命を越すことができます」
すぐに静枝が続ける。
「けれど、今回は化け物に躰を乗っ取られていない。静香が殺したから」
さらに菊乃が続ける。
「乗っ取るという表現は正しくはございません。入れ替わったときにはすでに、躰は鬼の物になっているからです。鬼の躰の中に当主の魂が取り込まれ、徐々に養分として取り込まれていくという表現が正しいかと」
これを聞いて静香は厳しい顔をした。
「わたしがお母様を殺したとき、まだお母様の意識――魂があったということ?」
静枝は目を伏せた。菊乃は凜として静香を見据えている。
「はい、その可能性はございます。しかし、智代様の魂を救う手立てはございませんでした」
気にすることはない――そうとでも言うのか。
しばらく静香は黙り込み、そして息を吐いてから深く頷いた。
「今さらだけれど、このままではわたしもお姉様も十歳で死ぬの? なにが原因で、もしかしたら死なないのではないの、だって一族の血は今まで堪えていないもの」
過去に幾人がそれと同じ疑問を抱いたのか。その疑問を抱いた者の多くは、一時外で育てられた者たちだった。箱庭で育った片割れは、帰ってきた片割れを殺せ殺せと、疑問の抱かせぬまま育てられる。
静枝はその中では例外であった。繰り返しの歴史の中で生まれる些細な誤差。その誤差は時を重ねるにつれて大きくなっていく。
歴代の双子たちは、あらゆる方法で運命に抗おうとしてきた。
菊乃が語る。
「過去に試そうとした姉妹がいなかったわけではございません。多くの場合は当主によって阻止されてきましたが、一度だけそれを行った姉妹がおりました。十歳になり突然死ぬわけではございません。およそ十歳を過ぎた辺りから、肉体が腐りはじめるのです。肉体が腐れば精神も腐りはじめ、最期は狂気に駆られ…… 一人が生き残り歴史は続きました」
この屋敷の歴史を見てきた菊乃。多くを知る者である。だが、彼女はあくまで仕える者。自ら流れを変えることはしない。
急に静香が苦しそうな顔をした。股の間から羊水が流れ出す。まるでダムが決壊したように。
新たな死が生まれる。
作品名:あやかしの棲む家 作家名:秋月あきら(秋月瑛)